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『超男性』を読んだ

10月17日、読了。

目次を一瞥して面白そうな短編集だと思い購入したのだが、読み始めてみると長篇だった。それぞれの章題が奇抜なので勘違いしたのだ。「右側にも左側にもない心臓」「テオフラストスの絶賛するインド人」「あなたは誰です、人間ですか?」等。結局面白かったのでどちらでもいいようなものなのだが。

不思議な長篇だった。今まで読んだどの作品にも似ていない。まるで夢をみている時のように、荒唐無稽なのに違和感を覚えない。読後にはなにか壮大な感動さえ覚える。

当初は、理解し難いものの心地好い、散りばめられたフランス風のユーモアに面食らったため、それに慣れる時間が必要だったが、途中からそんなことよりも物語の持つ疾走感に巻き込まれていった。猛烈に回る車輪に轢かれてぺちゃんこになって、タイヤに貼り付いたままグルングルンと回されるような読み心地だった。しかし終盤になると愛の本質のようなものが静かに現れて、こんなめちゃくちゃなのに愛は語れるのか、いやむしろ愛とはめちゃくちゃなものの向こうにしか現れないものなのかもしれないと呆然とした。

仏文学者の巖谷國士による解説によれば、この独特だが美しい構造を持った長篇は、この作品の著者であり実に万能な人物であったアルフレッド・ジャリの性格と切り離しては説明し得ないものであるらしい。解説の中に当作品とジャリの理想型に相通じる表現として腑に落ちた表現があったので書き留めておこう。

「野卑から繊細へ、正気から酩酊へ、冒涜から敬神へ、真面目から悪戯へという、まったく正反対の格好のあいだの往復運動をくりかえしながら、混沌のうちにたゆたう何やら宇宙的な球体、ロートレアモンの『 偉大な独身者』にもかなう、失われた自己同一性への郷愁」

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