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漱石の『こころ』覚え書き

夏目漱石の『こころ』。作中の有名な言葉の一つに、「恋は罪悪です」というものがある。先生が「私」を諭す時に言った言葉だ。先生はまた、自分を慕う「私」にこうも言っている。「異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」とも。先生という人物には、「私」と会話している間も心ここにあらずといった印象を受ける。Kのことを考えながら話をしているからだとみていいだろう。

ここで、ある仮説が立つ。

Kと親友である先生は、同性二人の世界の中に突然鮮烈な印象を持って入り込んできた異性であるお嬢さんに、Kが激しく心を惹かれているのがわかった。お嬢さんは魅力的な人物だったので、自分の心も彼女に惹かれていることもわかった。

しかし、お嬢さんに対する気持ちとは別の次元で、先生はKに嫉妬したのではなかったか。

つまり先生は、Kと自分は本当の心の交流を持っていたはずなのに、いとも簡単にお嬢さんに恋してしまったKを見て、Kが自分を裏切ったような気持ちになったのではないか。そのために、お嬢さんを奪うという、Kが一番傷つく方法で以て、Kに復讐を果たしたのではないか。これが、先生が「私」に言った「そうして自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから」という言葉の意味なのではないかという仮説だ。

ぼくは中高一貫の女子校で育った。卒業してしばらくは、大好きな友人たちに恋人が出来ると、その恋人がどんなに素敵なひとであったとしても、一抹の口惜しさと悲しみを抱いたものだ。当時、周りの女子校育ちの友人も、よく同じことを言っていた。ジュブナイルには、こういう気持ちの構造は珍しくない。

 一番最初にこの物語を読んだときに疑問に思ったことがある。結局、お嬢さんは誰のことが好きだったのだろうかということだ。

しかし何度も読むうちに、たぶんこうなのではないかと思い始めた。本文中では、お嬢さんが誰に恋心を抱いていたのかはっきりとは書かれていないが、お嬢さんは最初から、Kではなく先生のことがずっと好きだったのだろう。Kとお嬢さんが連れ立って歩いているのを、先生が目撃する場面がある。それは二人が最初から計画したものだったのか、たまたまばったり会っただけなのか、先生は問いただそうとする。しかしお嬢さんは先生の嫌いな若い女特有の笑い方をし、中ててみろと先生をからかった。これはお嬢さんにとっては、自分の好きなひとが、自分と好きなひとの親友との仲を疑い、躍起になっている場面だ。これが愉快でなくてなんであろう。躍起になっているということは、先生がお嬢さんを好きだと言っているようなものだからだ。お嬢さんは、若い女に特有の無邪気ないやらしさを以て、先生という男への優越を確信したはずだ。

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