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言葉を紡げなくなった。

毎日のタスクとして、「SNSの更新」というのは、わたしたちみたいな表舞台で生きているフリーランスにはマストである。

表現してなんぼ、言葉に表してなんぼなので、こうしていつでも自由に手軽に言葉を表出できるSNSがある時代に生きていて良かったな、とも思う。
あまりにも手軽すぎるから、「持続して書く」ということはかなりハードルが上がる。だって好き放題、いくらでも放り込める四次元ポケットがあったとして、便利だなとは思ってもなんでもかんでもぶち込まず、結局入れるものを考えてしまうと思う。大切なものが増えれば増えるほど、考える。他人と共有したいこともあればそうでないこともある。共有しないと次に進めないことだってあるわけだ。へえ、それええなあが次につながることもある。SNSは四次元ポケットだ。

2月末からコロナの影響で色んなスタンダードや良くも悪くも持っている習慣を改めないといけなくなった。ただ自分においてはラジオから流れてくるニュースのように、歴史の教科書を読んでいるときのようにどこか「他人事」みたいな気分だった。演奏会も中止延期したし、ピアノ教室の発表会もなくなった。仕事もどっかんとなくなったし、印刷物はただの廃紙になってしまった。店の営業時間だって変えないといけなかった。それなのに、どこか他人事だった自分にまさかこんな大きな転機が来るなんて。

この5月末から6月、自分の人生に於いて俯瞰して見ても、ターニングポイントだったのだ。チャンスの特急列車は目の前に確かに止まったし、これがそれだと理解して乗り込むことが出来た、と思う。晴れ舞台へ進むのか地獄行きにするのかは自分次第だ。

ビフォアコロナ、アフターコロナで自分にとってのSNSの在り方が変わった。ビフォアではどうしてもキラキラした宝箱にしたかったところもある。四次元ポケットの中に大切なものだけを取り込んで、コレクションしてディスプレイしていた。正直言って。インスタ映えを言葉でやっていたような気分だ。

コロナ禍において、正直ほぼ何も言葉にできなかった。言葉が出てこなかった。いつもは簡単に生み出せていた言葉が出てこなくなった。色んな感情が生まれた。
そんな中でお店にしてもクレモナにしても、支えてくださったのは、ずっとわたしたちを応援してくださっていたたくさんの人だったし、今まで自分たちが積み重ねてきた力が何よりものエネルギーになった。だからこそ何も失いたくない。という必死の生き残りをかけたスピリットみたいなのが自分を支配していた。息の詰まるような演奏みたいだ。

でも、こんなに目まぐるしく世界が変わっていく中で、自分が音楽に対して、コーヒーに対して、人に対して、社会に対して思うことや考え方も相関的に動いている部分と一筋通っている部分があって、そのどちらもが今しか味わえない感覚だったり、バランスだったりする。綺麗なものも汚いものも、バカみたいなことさえも、今しかないものだから、これを一つずつ手に取ってポケットに詰め込んで、人目に晒そうと思う。もしかしたら美術館から動物園になるのかもしれないが、アフターコロナで新しい世界に突入して、それでもわたしたちが生きて音楽を生業にし、コーヒーを生業にするには、嘘偽りのない『言葉の力』が必要だと実感している。

どれだけ自分たちの言葉で自分たちの考えを表現できるか。どれだけ自分たちの正しい価値を適切で素直な言葉で伝えられるか。しかも脚色せずにありのままを伝えること。だから、今まで目を背けてきた、なんで?とか、意味が分からん!という感覚もきちんと表現したいと思っている。おそらく読み手も「それは嘘やろ」とか「ほんまかいな」というフィルターがこのコロナ禍をくぐりぬけて身についていると思うから(わたし自身もそうだ)、なおさらハリボテはもう必要ない。持っているものを磨き上げる必要しかない。

【クレモナ】というブランドは「ひたむきで実直であること」が何よりもの特長だ。明日スポーツニッポンで取り上げられるわたしたちの記事の取材の時に、記者の方に「武士みたいですね」と言っていただいた。そう、騎士ではなくて武士であること。一本筋が通ったスピリットを、もっとずっと積み上げていきたい。

そんなことでわたしの四次元ポケットであるSNSは、新しいフェーズに突入することにする。


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