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【感情紀行記】イケおじのイデア

 古代ギリシャの偉大なる哲学者プラトンは、イデアなるものを提唱した。哲学というのはなかなか小難しく、言語で説明するのはとても難しい。高校の時にも倫理という科目でなんとなく習った気がするし、大学でも哲学の授業を履修した。しかし、哲学系の授業というのは、初めはなんとなく面白く聞いているものの、途中からよくわからなくなり、最終的には哲学的瞑想状態、通称「睡眠学習」に没入してしまう。

 そういう馬鹿げた話は横に置いておいて、将来なりたい人物や、尊敬する人などを聞かれたり、考えるようになった。進路の岐路に立たされた過去、幾たびか問われてきた課題が再来したわけだ。尊敬する人というのはなんとなく後付けや型に当てはめていうことができるのだが、どんな人になりたいのかというのはなかなか難しいものがある。うっすらと頭の中にあるのは、イケおじと呼ばれる人々である。イケてるおじさんということだと認識しているのだが、なかなか言葉に表しづらい上に、言葉にして発するには少し恥ずかしさも残る。個人的に考えているのは、少し時代が古いのかもしれないが、いいスーツをオシャレに着こなして、洒落たハットを被れるような人格になりたいのだ。実際にそうなるかは別として、それが似合うような人になりたいのだ。何も具体的な人とか、名前とか、行動、言語化できるような人格というのはない。しかし、頭の中には明確にイケおじというものが存在する。これこそイケおじのイデアな訳だ。

 このイケおじにはもう一つ想像されていることがある。それは、仕事ができるということだ。仕事ができないおじさんはイケていないだろう、という勝手な妄想によるものだが、大方当たっているのではないかと思う。少なくとも、自分は仕事のできるイケおじになりたい。そういうわけで、振られた仕事は完璧に、できるものならニーズに応えて注文以上のものを仕上げる癖などをつけてきた。最近は、それに全振りしすぎて仕事ができるだけの空虚な人間の方が近づいているのではないかと思うくらいだ。果たして将来、自分は今思い描いているイデア界に近づくことができているのだろうか。それとも、全く異なる人物像になっているのだろうか。人生思い描くようにはいかないが、大きな人生の地図を思い描き、なりたい方向への羅針盤を持ち続けることが大事そうである。

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