遅効性の毒〜CURE〜(後編)
2005年。
俺は高校を卒業し、すぐ父親の仕事の跡を継ぐ形で就職した。
もちろん夢はあった。
でも、父親に突き付けられた現実とこれからの事を考えて、夢は諦めざるを得なかった。
昔は漫画家かイラストレーターになりたいとも思ってたけど、当時は映画に携わる世界に行きたいと思うようになっていた。
結局、夢は夢だ。
茨の道を突き進むだけの覚悟も根性も無い俺は、そのままズルズルと肉体労働の仕事に就いた。
最初は踏ん切りがつかなかったが、段々仕事内容を覚えていくうちに「そんな事も考えてたなぁ」と回顧するようになっていった。
卒業してからもしばらくは黒沢監督の事をずっと考え続けていた。
2006年に「LOFT」、2007年に「叫」、とホラー作品を立て続けに公開される度に心が踊った。
「トウキョウソナタ」や「リアル〜完全なる首長竜の日〜」、「Seventh Code」などジャンルを問わず作品を作り続ける監督に改めて凄いと思わされていた。
ただ、社会人になると結構行動範囲も広がっていくもので、映画だけじゃなく様々なものに目移りするようになっていく。
仕事だけじゃなく、プライベートでも忙しくなっていくとどうしても作品を追いきれなくなっていた。
いつしか、最後に公開された作品が何かを思い出せないくらいになってしまった。
なんてこった。
2013年頃、この頃から「動画配信サービス」が徐々に世間に浸透し始めてくる。
当時、パソコン専門店でPCを買い換えた際にサービスでiPadを無償で提供して貰った俺は、同じくサービスでGyaO NEXT(現在のU-NEXT)をインストールして貰っていた。
そんなに詳しくなかった俺は、新旧問わず様々な映画やアニメ、ドラマが見放題のそのサービスに驚いた。
中にはレンタルDVD店に無かった作品も配信されていたので大興奮だった。
その時ふと考える。
「これ黒沢監督の作品もあるんじゃね?」
早速調べてみると、案の定あった。
しかも古い作品も大量にある。
「やったぞ!」
中には配信されていない作品もあったが、それでも申し分ないくらいの作品数はあった。
そして、その中で久々に見るタイトルがあった。
CURE
高校3年生以来か。
高校を卒業してから約8年、食わず嫌いせず、色んなジャンルの映画を見漁ってある程度の耐性が付いてきた俺はふと思った。
「今だったら見れるのでは…?」
成人になり、世の中の不条理や理不尽を目の当たりにした今の俺に、「CURE」は理解できるんじゃないだろうか。
そう思ったら、選択肢はひとつしかない。
「見よう」
タブレットという小さなスクリーンで、俺は8年ぶりに「CURE」を鑑賞した。
するとどうだろう、あの時に理解できずにいた内容が面白いようにわかるようになっていた。
何なら「黒沢清」という一人の映画監督が映し出す「本当の怖さ」が、8年という歳月のおかげか分かってきたような気がした。
そう、「毒」がいよいよ身体中に侵食してきたのだ。
黒沢監督の真骨頂といえばホラーだと思っていた。しかし、この「CURE」という作品からは、ホラーのそれとは違う人間が放つ得体の知れない怖さが詰まっていた。
その怖さとは、普通に生きていれば決して出てこないであろう理性の下に隠れた「狂気」や「殺意」。
作中で間宮邦彦がライターを使い暗示をかけるシーンがあるが、それはまさに炙り出し文字のように、奥底に眠っている殺意を揺り起こし滲み出させているようだった。
こわい。
これが人間の怖さ。
10年前に罹患した毒が、いよいよ発症した瞬間だった。
「CURE」は序盤から不穏だ。
ゲイリー芦屋氏の軽快な音楽と同時に、螢雪次朗が鉄パイプで娼婦を滅多打ちに撲殺する。
その事件現場に疲れた顔をしながら向かう役所広司演じる刑事、高部。
このシーンだけで、俺の心はあっという間に鷲掴みにされた。
見た当時には感じなかった感動だった。
そして映画のラスト。
スタッフロールと共に流れる「ジプシーの踊り」。
背景は夕暮れの住宅街。
これまで起きた惨劇がまるでごく普通に過ぎていったかのような妙な落ち着き。
まさにタイトルの通りCURE=癒しにも感じる様だった。
これは、凄い映画だ。
この感想に着地するまでに、随分と長い時間がかかってしまったものだ。
けどこれは、タイトルにも書いたようにジワジワと効いてくる遅効性の毒だった。
それが「黒沢清」という「映画の伝道師」が仕掛けた大掛かりな催眠暗示だったのだと、今になって感じる。
ただまぁ、それを毒や暗示だなんて喩えてるのは世の中でおそらく俺だけだろう。
ただでさえ学が無い工業高校卒風情の俺が、ちょっと小賢しく考えただけだと思ってもらっていい。
でも、それでも、この「CURE」という作品に魅入られてしまった感覚を何に喩えたらいいかを考えた時には、これしか浮かばない。
こんなにも黒沢監督の作品を愛してしまっているのだから、「毒」や「呪い」と喩えても何ら不思議ではないと思う。
おそらく、死ぬまで消えないのだから。
終わり。