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『メイクアガール』安田現象スタジオ映画企画第一作目の感想
SNSで話題沸騰中のアニメクリエイター、安田現象。彼の手掛ける作品が映画化された。
1月31日に公開となったので実際に映画館に足を運び、鑑賞してきた。
この記事はその感想や所感を極めて主観的に述べた個人の感想記事である。
※注意※この記事は作品のネタバレを含みます。なるべく映画鑑賞後にご覧ください。
はじまります。ネタバレ注意!!
公開前、予告映像段階での所感
――彼女がいると、パワーアップするらしい――。
そんなセリフとともに流れた予告映像を観た。
天才発明家の高校生「明」と、彼が創り出した人工生命体の少女「0号」の物語。
予告映像ではそんな二人に次々と襲いかかる異変を乗り越えて、真実に辿り着くーーといったお話なのだろう、と捉えていた。
予告映像段階での期待度はバッチリ。
ヒロインの0号ちゃんも可愛いし、無感情な少女が愛を知ってゆく物語の美しさには期待を抱くだろう。
鑑賞前から気になっていたこと
主人公が身につけているゴーグル。それも透過して目が見えるものではなく、光を反射して目つきや視線が伺えないようになっている。
個人的にだが、目が描かれていないキャラクターというのは、感情移入が非常に難しい。
おそらく、主人公でありながら我々=視聴者に隠している設定や過去があるのだろう、と推測した。予告映像で確認できる、彼のゴーグルが割れて地面に落ちるという描写は、彼の過去や秘密が明らかにされる、もしくは隠していた本当の気持ちに気付く、といったシーンのものだろうと勝手に推測した。
鑑賞を終えて
まずは一言。
「 サイコ!! 」
「サイコ!!」
これに尽きる。
お話が終わり、エンドロールの間、頭の中の小峠英二がロッカーを開け閉めしながら叫ぶのである。
「サイコ!!」
見ごたえはあったし、興奮はした。
「サイコ!!」
しかし正直なところ、満足は出来なかった。
「サイコ!!」
面白くない、というわけではない。面白いところはあったし、気になる点も同じくらいあったということだ。
「サイコ!!」
小峠英二の出番はこれにて終了だが、以下では本編の良かったところと悪かったところを箇条書き形式で、補足説明を交えながら述べてゆく。
良かった点
・絵が良い、動きが良い。
3Dアニメだけど、動きにロボット感を出さないようにすごーく細かく動きを作ってるように感じられた。動きを通して安田現象さんの作る映像独特の「そこに居る感」を、背景美術を通して美術監督のこだわりを感じられた。
・物語序盤の0号がレストランでのアルバイトを通じて表情豊かになってゆくシーン。
尺の限られた映画だからこそ、音楽に合わせて繰り返される日々が0号を成長させていく様子が階段を昇る描写から伝わってくる。こなれた様子で盛り付けたハンバーグプレートをトレンチに載せ、(現実ではキッチンとホールの区切りはあれど、客の数からしてアイドルタイムだろうから気にしない)軽快な足取りでホールに繰り出し、笑顔でハンバーグを提供する様子は劇中の邦人・茜と一緒になって思わず声を上げたくなった。
・物語中盤、攫われた0号を追いかけるカーチェイスシーン。
街中の防犯カメラ映像や自動運転車両のトラッキングデータを利用、オーバードライブさせて目標への経路を導き出し、キックボードに飛び乗ったかと思えばどこぞの名探偵ばりの抜群な運動神経で車の間をすり抜けてゆくシーンは臨場感たっぷりで興奮した。
・物語終盤、0号が主人公に小さなものを投げつけながら生体制御を克服してゆくシーン。
これはとても良かった。エロかった。少し前のシーンであった絵里さん(主人公に嫉妬していたお姉さん)の改造ロボットが主人公に対して明確な加害をしようとして瞬時に自壊したが、0号ちゃんが物を投げつけた結果、ちょっとだけ「痛い」という反応をされた時のバックファイアを認識しながら少しずつ大きな物を投げつけ、ついには鉄パイプやサバイバルナイフで滅多刺しにしていくところで、0号ちゃんの中にあるぐちゃぐちゃの感情が吐き出されてゆく様子や愛ゆえの狂気、己を縛り付ける制約からの解放を目指した行動の最適解としての滅多刺し。同時に流れる劇中歌によって、狂気と失望を孕んだ、いい意味で虚無感を得るような終わり方になったのかな、と思う。
・茜ちゃんが可愛い。
茜ちゃんが可愛い。えっちだ。
悪かった点
・日常パートのテンポが悪い
カーチェイスやアクションシーンなどは躍動感があって良いのに、日常会話ややりとりのテンポが悪すぎる。色んな人が言っているのだが、
「無数のショート動画をつなげたシーンの集合体」を観せられているような感覚だったのが残念だった。
特に、会話パートはもっとテンポ良く描いて欲しかった。個々のシーンは好きです。(製作失敗した変形ロボット?にパーツがガシャンと落ちてくるところとかめっちゃ安田現象を感じられて良かった)
・主人公に感情移入が出来ない
そのまま。主人公に感情移入が出来ない。というか全体的に、登場人物に感情移入が出来ない。
前述したように、主人公が身につけているゴーグルで目から表情が伺えないのと、おおよそ共感しづらい家庭背景、取り巻く環境など。
人造人間作れたのにそれに成果を感じずに「研究が何も進捗してない!」ってキレるのはどうなの?そもそも主人公が何をゴールに研究してるのか分からない。あと右腕が急にパカって開いてびっくりした。確かにホームページには「右腕は義手」という説明はあるが、映画では一切の説明が無い。
そりゃ茜ちゃんもびっくりするわ。視聴者も同じくらいびっくりしてるよ。
主人公に感情移入出来ないからヒロインの0号ちゃんになら感情移入出来るかな、って思ったけどそろそろ感情移入出来そうだな、というタイミングでぶっ壊れちゃった。なので置いてけぼりな感覚だった。
・悪役?の絵里さんの説明不足
物語序盤から登場しているし、主人公とは何かありそうだな、とは推測するが2人の関係性について一切説明が無い。「大学は(行かなくて)良いんですか?」「良いの。単位も取りきっちゃったし、どこで研究しようが私の勝手でしょ」「はあ……」みたいなやりとりとかあって良かったんじゃないですかね。特に、悪役に持っていくならもっと掘り下げるべきだったし、なんなら主人公ではなく絵里さんに感情移入出来るように作れば良かったのでは?と思っている。(自身の努力だけでは到底追いつけない絶対的な才能の差、自分よりも若いのに賞や論文をいくつも取っていたり出していたりしている、加えてあの天才博士の息子さんで社会からの期待も大きい、みたいな)
・おじさん(高峰庄一)の存在が空気
居なくても話が成り立つ。その割には制作側からの愛も感じない謎の存在。邦人の彼女(セリフ「くにく〜ん」のみ)の方が目立ってたぞ。
少なくとも主人公との関わりが無駄にあったせいで絵里さんの出番を削ってしまった。序盤の絵里さんとすれ違う「やあ」も要らないし、初見で「コイツ誰だ」って思ったまま流し見して、2回目観てようやく気づけたくらい影が薄い。
物語序盤〜中盤で彼の家庭環境に問題がある描写が存在するが、どうでも良すぎる。強いて言うなら「うちなんて構ってくれるのはソルトだけだよ〜」というセリフはおじさんみがあって良かった。というかこのセリフ言わせるためだけに作ったキャラクターなのでは?じゃあモブに序盤で喋らせれば良くね?(サポートロボのソルトが社会全体に普及している描写として)
物語中盤、倒れた主人公を彼の部屋まで運び込んだシーンも、絵里さんが(不自然なくらいに)何かと手をかけて彼を部屋に運び込んでいた、といった描写の方が視聴者としてもサスペンスみを感じられて良かったのではないか。
・絵里さんが弱すぎる
登場人物の濃さとしても、終盤の戦い方としても。漆黒の怪人ゼノトゥーン(正式名称は"黒装束"らしい)の中から現れた0号ちゃんを攫った張本人。詰みかけている地下トンネルで堂々登場。0号ちゃん奪取のために何か策でもあったのかと思えば、改造ロボットを仕向けるのみで、渾身の改造ロボット君は戦うことすら出来ず自爆。そしてただのソルト1体に制圧されて退場。
なんなんだこれは。無策すぎるだろ。
「無駄ですよ」「だよね、やっぱり私の負けは決まってたんだ」みたいなやりとりあったけど、あまりにもしっくり来なすぎる。
物語中盤で怪人ゼノトゥーンに奪われた(ように見せかけていた)黒ソルトはその後まったく出番無かったし、とにかく消化不良。
願わくば白ソルトと黒ソルトで戦って欲しかったし、改造二足歩行ロボにももっと活躍してほしかった。突っ込んで壊れるだけはもったいなさすぎる。
私が絵里さんの立場ならもう少し考えて戦うし、自らの身体に外骨格を纏って「アハハハハ!ソルトじゃ君に指一本触れられないけど、私は違う!」みたいな感じに吹っ切れてほしかった。彼女自身が改造人間で、その華奢な身体からは想像つかないくらいの怪力の持ち主、みたいな設定があっても良かったんじゃないですかね。
物語序盤でなんかマウスぶっこわしてたし。そうはならんやろ。
この、絵里さんに関わる描写や説明の少なさが、本作品の物語としての面白さを薄めてしまった最も大きな要因であるように感じる。
・0号ちゃんが救われてない
作中ではさんざん酷い目に遭って、ようやく主人公をぶっ刺して自由を手に入れられると思ったら生体制御に負けてママに身体を乗っ取られちゃった。
可哀想すぎる。あんなに頑張っていたし、中には0号ちゃんには感情移入出来た人も居るのでないか。作中一番の被害者である。
ネットワーク上からすべてのソルトを従えて反逆戦争とか起こしてほしい。
個人の好みにもよるだろうが、正直、誰も救われないみたいな話は観たくないので、せめて「なにもかも失ったけど愛だけは手に入れたよ」とかそういう終わり方にしてほしかった。
・茜から主人公への根拠不明な恋愛感情
前述もしたが、茜から主人公へ対する根拠のない好意は不気味である。いわゆるラブコメで、主人公がめっちゃくちゃにモテるっていう設定なら分かる。他にも女の子がいっぱい登場して、とかなら百歩譲って良いけど、シリアス系じゃん。せめて過去、主人公に救われたとか、そういう描写を入れてるならまだ分かるけど、それが無い。
お話自体は主人公と0号ちゃんの物語であって茜に隙は本来無いはずなのに、無条件に主人公が好きである必要はどこにあったんだろう。茜が「可愛くてモテる」という位置づけで、短くもないスカートの下にスパッツ履くくらいガード硬いのに主人公を好きな理由が一切描かれていない点が唯一モヤる。その根拠のない感情は気持ち悪いと感じてしまった。なんで主人公のこと好きなの?っていう。もっとサバサバしてて徐々に惹かれていくけど結局0号ちゃんに負けちゃう、みたいな方が可愛かったよ。
・ハンバーグを箸で刺して食うな。
ハンバーグを箸で刺して食うな。行儀が悪いぞ。
主人公のキャラクター付けの一環であることは理解しているが、主人公が高校生ということも相まって行儀悪いところから嫌な幼さを感じてしまう。せめてフォークにしてほしかった。
こういうところもあって余計に感情移入が出来なかった。私が0号ちゃんだったら幻滅してたかも。
じゃあどうすれば良かったのか。
アマチュアながら私も物書きである以上、作品に文句を付けられたり、批判的な感想をもらうことも少なくない。
無論、作品が世に出た以上、批判や講評をすることは自由だし、出す側もその心持ちで出している(少なくとも私は)はずだ。
だがしかし、「つまらなかった」「ここが良くない」とだけ言われてしまうのはあんまりであることも良く知っている。
言うなれば、職場やアルバイト先、部活中にダメ出しを受けたときの
「じゃあお前がやってみろよ」という感覚に近い。
以下は完全に自己満足であるが、私だったらどう描くかを簡潔に述べる。
・主人公と絵里さんの関係性をもっと描く
前述もしたが、絵里さんには主人公に対するただならぬ感情が疼いているはずである(実際、そうだった)。であるから2人の関係にもっとフォーカスして、0号ちゃんと同じくらい存在感を強める。
むしろ三角関係のような描き方ですら良かったとも思う。
終盤のトンネルで追い詰められたシーンでは簡単に姿を現さず、顔が見えないまま主人公を守るソルトをボコボコにして強さを見せつける。
動きに法則性を見出した主人公が一撃を入れると、そのヘルメットの中からは友人のように慕っていた絵里さんの素顔が現れるようにする。
その嫉妬や不満など、積み重なった感情を終盤に爆発させてヒステリック気味にまくしたてるシーンを追加する。途中までは善戦するも、0号ちゃんへの思いから覚醒した主人公に右腕を突き刺され、その義手からオーバードライブコードを強制的に注入、無力化される。
そして最終的にはあっけなく負けて、「どうして私は追いつけないの」と呟いて座り込み、空虚さを演出するのだ。彼女に関しては、救われない存在のままで良い。
・0号ちゃんがママに乗っ取られたままにしない
0号ちゃん、あんなに頑張ったのに、ママに乗っ取られて終了。
やるせなさすぎる。だから何か方法はないかと考える。
主人公がかけているオレンジ色のゴーグル。これは言うなれば明が過去(=イチョウ並木の景色=母親)に囚われているという暗喩であり、ゴーグルが外れるシーンは過去から解放される瞬間で良い。0号ちゃんに物ぶつけられて壊れるだけに使うのは勿体なさすぎる。
また0号ちゃんに滅多刺しにされるのは、左手ではなく腹部やせめて腕・肩であるべきだった。(繋ぐための手は残すべきだった)
トンネルの中で自らの首を絞め、生体制御に負けた0号が肉体を母親に乗っ取られる。母親である稲葉は血に塗れた明を哀れに思いながらも、世界への帰還を果たすという目的は達成されたのだから、主人公への関心は生命機能の維持のみ、となるだろう。
肉体を母親に乗っ取られた0号ちゃんは、主人公に作られた後に関わった様々な人(絵里さんや茜を含む)から芽生えた心の部分で抵抗している。(作中で"僕の前を歩いている"と表現されていた部分)
左手で圧迫止血を試みる母親(=0号)の手を取った主人公は、自身の生命より0号を感じることを優先して彼女と手を繋ぐ。
手を繋いだとき、2人で夕食を食べたあの日の記憶が2人に蘇る。その時感じた「温かさ」や「満たされている」感覚。「家族」というその感覚を思い出した明は、過去の記憶に居続ける母親と別れを果たし、家族としての0号と共に生きることを決意する。
呼び覚まされた0号の自我を恐れる稲葉。ほんの少しだけ抵抗を考えたが、0号の意志の強さを感じ取ると優しい笑みを浮かべ、0号に向けて
「行きなさい、生きなさい」と言葉を贈る。
生死も分からぬまま倒れた2人。後日、ずっと目を覚まさなかった0号が目を覚まし、研究室の水槽を見つめる。
明へ振り返った0号は涙を流していたが、主人公の目を見て笑う
「お待たせ、しました……!」
「お帰り、0号」
以上である。上記のようにしたからといって物語がすべて面白くなるわけではないし、言うなればこの筋書きも私の好みであるゆえ、この描き方が視聴者を全て満足させるかというと、それも違う。
繰り返しになるが、以上の意見は完全に自己満足であり、作品の評価を落としたり、議論を求めるものではない。
最後に
公式パンフレットで知ったことなのだが、監督である安田現象氏が
「脚本には一切口出しをさせない」という強気な姿勢で作られたそうだ。
改めて、面白いか否かはさておき、自分の作りたい物語を1本の映画にしてしまった安田現象氏の豪胆さに脱帽する作品であったと言えるだろう。
絶賛公開中なので現段階では何も言えた事ではないが、仮にこの作り方で一定の興行成績を収めたとなれば、氏に続くように映画製作へ乗り出すクリエイターや彼らに出資を行う会社もどんどん増えてゆくだろう。
ともあれ、面白いか否かで言えばしっかりと面白かったと言える映画であり、私自身ももう一度観て確かめたいことがある。
いずれにせよ消化に少し時間がかかる作品だとは思うので、みなさんも考察を進めながら、今一度劇場に足を運んでは如何だろうか。
天津石