かつての生徒指導困難校の向こう側から見えてくること
15年ほど前に「生徒指導困難校」で勤務していた知人と話す。
連日勃発していた事件について聞く中で気になるものがあった。
給食配膳室での早食
「給食を配膳室に忍び込んで勝手に食べていたんだけど、不思議なのは、主菜とか人数で数が決まっていたのは、自分の分より多く食べることはなかったんだよな。」
想像でしかないが、クラスのメンバーに気を遣った、というよりもクラスのメンバーから真に排斥されるのを恐れたような印象を受けた。
仮にそうだとしたら、その感覚を生かす(利用するというよりは生かす)指導ができたら、改善に向かうことができるのかもしれない。
残念ながら学校の中にそのシステムは自然には存在しないし、かなり意識しないと生まれないし維持できない。
15年経った今、こうした状況は起こるのだろうか。
「忍び込んでおきながら、自分の分だけを食べる」という画が2023年にはあまり想像できない。
そうするともはやシステムの構築だけでは追いつかないのかもしれない。
やんちゃなグループの未来
その彼らが成人してからの後日談を聞いた。
多くは社会人として懸命に働いている姿を見せて大人としての付き合いができるようになっていたという。
しかしその彼らをもってしても「あいつといるとトラブるから距離置いているんだよね」と言わしめる仲間がいる。
曰く、衝動性が高く、気に入らないことがあると暴力や破壊行為に及ぶことが繰り返される。そのため、だんだんと集まりに呼ぶのも忌避するようになっていった。
教員として相対した知人に聞いたところ、「在学中からキレると手がつけられない状態になっていた」ということだった。そして「今なら特別な支援が必要だったんだろうな。」
大変な学校においては「一見すると大変な子ども」にもその「大変」な振る舞いをしている背景はそれぞれ異なる。しかし、現場で対応する職員は追われる。十把一絡げに対応して好転することもなければ、アセスメントする余裕、余力もないというのが当時の状況だったと推察される。
そして前段と重なるが、大人のマンパワーで対応することが前提だからこそ大変で苦しいのだろう。
そんな職員室
どの学年でも、生徒指導面で課題を抱える生徒が大勢いたため、職員室では人様のことをとやかく言っていられない、みんなでやるしかない、という雰囲気があったらしい。
職員室で支え合う風土があれば、やっていける。逆に大人が協働できない環境であれば難しい。自己を回顧しても、子どもたちよりも職員室での同僚との関係が働きやすさを規定してきた。
じゃあ何をするの?ということを考える年齢に自分が差し掛かってきたことも感じさせられた。