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「元旦の午後」は間違った日本語なのか?

今年の1月もそろそろおしまい、食糧品店などには節分の豆がならべられているのを見かけるようになったが、陰暦では今年は最も寒い時期の今が年の瀬、元日は陽暦の2月1日に当たる。

私設図書館「図版研レトロ図版博物館」がある古道具屋「ねこのかく」は正月休みを陰暦でとるため、図書館も休館になる。

昨年の暮れも押し詰まったころ、 ねこの隠れ処 のある閑静な商店街とは駅を挟んで反対側の、賑やかな商店街へちらと買い物に出向いたところ、通りかかった飲食店のガラス戸に「新年は元旦午後○時から営業」という貼り紙があるのに気づいた。

新聞社だったかが出しておられる、日本語の使い分けの本に「元旦は元日の朝」とか書いてなかったっけな、とおもって、戻ってきてからその本を探してみたのだが、生憎改修工事の際に大急ぎで箱詰めして片付けた資料の中に紛れてしまっているらしく、どこにあるのかがわからない。

こういう「覧たい資料を覧たいときにぱっと覧られるように」という場面で蹴っつまづかないようにしたいのもあって工事を思い切ったのに、その後の片付けがおもうように進んでいないために以前はぱっと出てきたものが出てこない、というのは本末転倒な気がしてきてフラストレーションが溜まるが、まぁないものはないでこの際いたし方ない。

ということで、そのときはそのまま忘れてしまった。

「元旦」はマスメディアではどう解釈されているか?

前々回の短い記事を書いてしまったあと、さて次に書けそうなネタが何かあったっけ……と考えているうちにふと、柱にぶら下がっているカレンダーが目に入り、そういえばもうすぐ正月休み、と気がついて、ついでに「元旦の午後」のことをおもい出した。

川合ゴム商店『商品カタログ』A-4(昭和五年 川合ゴム商店)

ここで賑やかしに、昭和初期のゴム印カタログに載っている、賀状用の出来合いゴム印デザイン見本。

川合ゴム商店『商品カタログ』A-4(昭和五年 川合ゴム商店)

件の本はすぐには出てきそうにないので、手っ取り早くインターネットで検索してみると、まずNHK放送文化研究所サイトの「放送現場の疑問・視聴者の質問」コーナーに「1月1日の朝は、なぜ「元旦」という?」というのがあった。載せられた日付は「1998.12.01」とあるから、もう四半世紀公開されている、ということになる。

これの「解説」のところを読むと、

」は、二つ以上の字を組み合わせて新しい文字を作り意味を合成する会意文字の一つです。

「日」と「-」(地平線)を合わせて、太陽が地上に現れることを示しています。このように「元旦」は「元日の朝」を表すことばですので、「元旦の朝」は重複表現。また、「元旦の夜(午後)」というのは間違いです。

<例>
×元旦の朝は、○○の番組をお楽しみください。
×元旦の夜(午後)は、いかがお過ごしですか。

とあって、「「旦」は朝を意味する漢字だから、「元旦の午後」とかいってちゃダメ」とはっきり否定されている。放送用語としては前世紀末辺りから、(おそらく民放も含め)この路線からはみ出せないことになっているのではないかと想像される。

次に新聞はどうなのかみてみると、毎日新聞校閲部のサイト「毎日ことば」には、今年になって「「元旦=1月1日」としてよいか」というタイムリーな記事が掲載されていた。

こちらの記事ではまず一般の人々(たぶん、同紙の読者なのだろう……サンプル数が書かれていないので、調査規模はわからないけれども)に「1月1日のことを、どう呼びますか?」と問いかけた結果を示されたあと、現在市販されているものとおもわれる(最新版かどうかは調べてみていないので不明)辞書8点の語釈、それと歳時記1点の解説を引いておられる。

ここでのご指摘にあるとおり、「元旦=元日」を許容するかどうかには編者により「濃淡」がみられて面白い。調査のご回答者のうちの3分の1ほどが「「元旦」を1月1日の意味で使っていい」とお考えなのはともかく、1割以上が「「元旦」のみ使う」という結果なのは、ちょっと意外な気もした。

そして新聞社ご自身の見方としては、

本来は「元日の朝」だということを意識すべき場面もあると考える立場もあり、新聞などもそちら側にくみするものです。公共の言葉としては、1月1日は「元日」、その朝が「元旦」とする区別は今後も必要と言えそうです。

というご見解で締めくくられていて、放送用語ほどにはバシっと撥ねつけてはおられないものの、やはり「「旦」は「朝」なんだから「元日の午後」はやめとこう」という見方が支配的なのが窺える。

「旦」は大正期の字書にどう説明されているか?

現代の辞書では、「元旦」は「元日の朝」、というのが基本で、派生義や俗用として「元旦=元日」もアリ、という見方と、あくまで「元旦≠元日」、という見方とがあり、マスメディアはだいたい後者らしい、というのが一応はみえてきた。

じゃあ昔の字書や辞書ではどうなのかな、とおもって、まずは大正初期の代表的な漢和字書『大字典』で「」字をひいてみることにした。図版研には古いのから昭和後期の覆刻版、そして最近の全面改訂版『新大字典』まで何冊かあるのだが、その中で一番古い、初版の翌年に出た大正七年(1918年)六版を引っ張り出した。

上田萬年+岡田正之+飯嶋忠夫+榮田猛猪+飯田傳一『大字典』(大正七年六版 啓成社)
上田萬年+岡田正之+飯嶋忠夫+榮田猛猪+飯田傳一『大字典』(大正七年六版 啓成社)
上田萬年+岡田正之+飯嶋忠夫+榮田猛猪+飯田傳一『大字典』(大正七年六版 啓成社)
上田萬年+岡田正之+飯嶋忠夫+榮田猛猪+飯田傳一『大字典』(大正七年六版 啓成社)

[字源]會意。ヨアケのこと日が一(地平線)の上に現れし義。之と反對に一の下に日が入れば𣄼(昏の本字)となる。(引用者註:「𣄼」は〔⿱一日〕、つまり一段下の4448番の字)

ということで、続く熟語例もほぼもれなく「」の意を含んでいる。

この時点で、アタマの中に勝手に想い描いた安直な「筋書き」はこうだ。

もともと、「元旦」は「元日のよあけ」の意味だった。

しかし、まず年賀状がこれに影響したのではないか。

当初は年始回りを済ませてから書いて出すのが普通だった年賀状が、社会が発展し人間関係の範囲が格段にひろがるにつれて回りきれなくなり、その代わりとして賀状のやりとりで済ませる風習に変わっていったという。それがだいたい大正期あたりで、遅くも1920年代のゴム印カタログには賀状用の既製品が現われる。

川合ゴム商店『商品カタログ』A二號(大正十三年 川合ゴム商店)
川合ゴム商店『商品カタログ』A二號(大正十三年 川合ゴム商店)

文面の〆には「元旦」と書くけれども、受け取る方はそれを朝みるとは限らないから、だんだんに「元日」といっしょくたになっていったのでは……。

映画の宣伝も、もしかすると影響を与えたのかもしれない。

「ヴァーチャル」な臨場感ある娯楽、活動写真(映画)が大流行したのも、やはり大正期が初めだ。

キネマ旬報社『キネマ旬報』第二百四十九號(昭和二年 キネマ旬報社)

ご存知のように、大正十五年(1926年)は暮れも押し詰まってから昭和改元となったため、すでに「大正十六年」と印刷してしまってあったのをやむなくそのまま発行、ということになった出版物は少なくない。☟の例など、奥附のところは昭和になっているが、天の柱のところは百何十ページもあって直している暇がなかったとみえて大正のままだww

キネマ旬報社『キネマ旬報』第二百四十九號(昭和二年 キネマ旬報社)

年末年始の番組は、当時の映画雑誌をみると年越しのものも含め毎日休みなくかかっていたようで、その広告のうちには「元旦より○日まで」などと書かれているものもある。

キネマ旬報社『キネマ旬報』第二百四十八號(大正十五年 キネマ旬報社)
キネマ旬報社『キネマ旬報』第二百四十八號(大正十五年 キネマ旬報社)

以前、図書館で調べモノのため『キネマ旬報』や戦中の後継誌『映畫旬報』の復刻版を通しで斜め読みした際には、昭和に入って興行時間の制限がはじまったあたりの記事だったか、それこそ「初日は元旦の午後から」というような書き方もあったようにもおもう。そうした宣伝の影響が、「元旦」と「元日」との区別をあいまいにしていったのではないかしらん……。

そ〜んなことを考えていたため、調べるならば大正前期の字書、中でも熟語の豊富な『大字典』にしようとおもいついたのだった。

」のところは確認したので、次に「」字のところで「元旦」がどう解説されているかもみておこう、とページをめくり、熟語のところをみたところ……

上田萬年+岡田正之+飯嶋忠夫+榮田猛猪+飯田傳一『大字典』(大正七年六版 啓成社)

【元旦】グワン・タン 元日に同じ

ありゃ!? とおもわず「元日」へ目をやると、

上田萬年+岡田正之+飯嶋忠夫+榮田猛猪+飯田傳一『大字典』(大正七年六版 啓成社)

【元日】グワン・ジツ 一月一日のこと。

まぁこちらは予想外でもなんでもないのだが、とにかくここには「元旦=元日」と書いてある。

ってちょっとまて、「」は「ヨアケのこと」って書いてあったじゃないか〜!?!?!? なにこの矛盾に充ちた語釈???

ありゃまこりゃダメだ仕切り直しだな、と考えているところへ、TANI Takuo氏からメッセージが、というのが前回の記事で語られなかったもうひとつの歴史サイドストーリー」w というワケなのだった。

「元旦」の語釈入り乱れる明治大正期の字書と辞書

とにかく予想外の展開になったため、同時期のほかの字書にも当たってみることにした。

小宮水心『熟語類聚漢和大辭典』(大正四年訂正第七版 田中宋榮堂)

これも割と熟語が多く載っている、小宮水心『熟語類聚漢和大辭典』大正四年(1915年)版。

小宮水心『熟語類聚漢和大辭典』(大正四年訂正第七版 田中宋榮堂)

元旦」がどうなっているのかみたいので、「」字をひく。

小宮水心『熟語類聚漢和大辭典』(大正四年訂正第七版 田中宋榮堂)

元日)グワンジツ 年の第一日元旦

元旦)グワンタン 元日の朝。元朝。(引用者註:「元朝」は立項されていない)

さて、ここで問題です☆ 「元旦」は「元日」でしょーか、それとも「元日の朝」でしょーか?wwwwww

この版しか架蔵していないので、訂正版以前の内容と変わっているのかどうかはわからないが、とにかく語釈がよくわからないことになっている

ではそれよりもうちょっと前、明治後期の熟語字書はどうか。

森訥『熟語註解漢和中辭典』(明治四十四年增訂三版 松村九兵衛+森本專助+森本謙藏)

森訥『熟語註解漢和中辭典』の、明治四十四年(1911年)の增訂三版。

森訥『熟語註解漢和中辭典』(明治四十四年增訂三版 松村九兵衛+森本專助+森本謙藏)

ご旧蔵者が傷んでいるらしい背に紙を貼り付けたり、扉を切り取って表紙に貼り付けたりしてしまっていて、見た目はだいぶ残念な感じだが、本文は意外と状態がよい。さておき語釈は、というと……

森訥『熟語註解漢和中辭典』(明治四十四年增訂三版 松村九兵衛+森本專助+森本謙藏)

元旦 グワンタン 元日の朝。元日。

って、おいおい両論併記か〜いww

それでは辞書はどうなっているのかな、と、編者のやたらと多い大正期の変わり種国語辞典をまず引いてみる。

井上哲次郎+服部宇之吉+新渡戸稻造+大澤岳太郎+橫井時敬+草野俊助+江本衷+佐伯勝太郎『ABC−びき日本辭典』(大正六年 三省堂)

大正六年(1917年)井上哲次郎ほか『ABC−びき日本辭典』

井上哲次郎+服部宇之吉+新渡戸稻造+大澤岳太郎+橫井時敬+草野俊助+江本衷+佐伯勝太郎『ABC−びき日本辭典』(大正六年 三省堂)

タイトルどおり、読みをアルファベットで引くように作られている。旧仮名遣いと実際の発音とのずれに惑わされないための工夫らしい。

井上哲次郎+服部宇之吉+新渡戸稻造+大澤岳太郎+橫井時敬+草野俊助+江本衷+佐伯勝太郎『ABC−びき日本辭典』(大正六年 三省堂)

Gan-tan(グヮン−)[元旦] =Ganjitsu(元日)。

井上哲次郎+服部宇之吉+新渡戸稻造+大澤岳太郎+橫井時敬+草野俊助+江本衷+佐伯勝太郎『ABC−びき日本辭典』(大正六年 三省堂)

Gan-jitsu(グヮンジツ)[元日]年の始め第一日。第一月の第一日。ぐゎんにち,元旦,元辰。歳朝。

ということで、こちらは「元旦=元日」のみ。

次は明治二十七年(1894年)に宮内省から刊行された物集高見『日本大辭林』の、明治四十四年(1911年)縮刷版。

物集高見『日本大辭林』(明治二十七年宮内省版の明治四十年縮刷版 林平次郎)
物集高見『日本大辭林』(明治二十七年宮内省版の明治四十年縮刷版 林平次郎)
物集高見『日本大辭林』(明治二十七年宮内省版の明治四十年縮刷版 林平次郎)

解説が基本的にすべて仮名書きの上、変体仮名が多用されているので、慣れないとわかりづらいかも。

物集高見『日本大辭林』(明治二十七年宮内省版の明治四十年縮刷版 林平次郎)

ぐわんたん ナ。元旦ぐわんじつとしのはじめのひ。(引用者註:漢字表記の前の片仮名は品詞の別で、「ナ」は名詞を示す)

物集高見『日本大辭林』(明治二十七年宮内省版の明治四十年縮刷版 林平次郎)

ぐわんじつ ナ。元日。むつきのついたちのひ。

これも「元旦=元日」

明治二十二年(1889年)に初版刊行が始まった、最初の国語辞典といわれる大槻文彦『言海』明治二十九年(1896年)第十版も引いておく。

大槻文彦『言海』卷二(明治二十九年第十版 大槻文彦)

このころは、判型の大きな和本4冊組だった。

大槻文彦『言海』卷二(明治二十九年第十版 大槻文彦)

とはいえ、本文紙が洋紙なので重たい……フツーの大本の積もりで手にするとびっくりするくらい。

大槻文彦『言海』卷二(明治二十九年第十版 大槻文彦)

ぐわん-たん(名)[元旦ぐわんにちニ同ジ

大槻文彦『言海』卷二(明治二十九年第十版 大槻文彦)

ぐわん-にち(名)[元日]正月ノ朔日。一年ノ第一ノ日。元日グワンジツ元旦グワンタン

……ということで、字書と違って辞書の方は、眺めてみた限りではどれも「元旦=1月1日」だった。「元日の朝」とはどこにも書かれていない

夜が更けて冷えてきたので、つづきはまた次回。

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