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運命の一冊を待つのではなく
運命の一冊に出会うこと、そこには期待はしないでおこうと思う。
つい5年ほど前まで、本を読むことに無縁だった。
語彙力がないというか、読解力がないというか。
年に一回くらいは、意識高くぶって本を買ってみるものの、
当然ながら読み進めることもできない。
10ページほど読めば眠気が襲ってきて、「今日は疲れているんだよね」と
じぶんに都合よく解釈し終了する。
そんなポンコツ状態だったけれど、ここ5年で少しずつ本を読む習慣ができてきた。
むずかしい本は苦手だけど、オーディブブル・電子書籍・紙の本を合計すると、年間200冊くらいは本を読むようになった。
そんな「現在」から「過去」に運命の一冊という観点でのメッセージを送るとすれば以下のとおり
「キミが抱いているような、運命の一冊のようなものはないよ」
読書をまったくしない時ほど、「運命の一冊」というワードに魅了されているように思う。
「運命の一冊」への期待は、ある意味で「一攫千金」的な思考に似ているかもしれない。
その一冊によって、「何かピンとくる」ひらめきのようなものに出会うのではないかと。
それによって自分の行動が変化するのではないかと。
しかし、それはまったく逆である。
むしろ、「読書をするからこそ、その本に出会う確率が高まる」といってもいい。
その本に出会うまでの間、さまざまな本を読んでいることで多くの知見を得て、物事や現象の全体像が描けてるようになっている。
だからこそ「パズルのピースをみつけた時に、一気に歯車が回り出す」ようなものだと思う。
もし仮に自分にとっての「運命の一冊」というものがあるとするならば、
それは読書経験という肥沃な土壌があってこそ。
だからこそ、「運命の一冊を待つ」のではなく、
日々の読書を通じ「出会いに備える」という行動が重要になるだろうな。