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旅行前日に憂鬱になるのはなぜだろう?
旅行前日に憂鬱になるのはなぜだろう?
ここ2~3年、旅行していない。落ち着いてきたら、そろそろ旅行したいな、と思う。
今まで、数多くというわけでもないが、旅行してきた。楽しかったこともあるが、旅行そのものよりも、どこに行こうか、とあれこれ考えているときが一番楽しい。
他の人はどうか知らないが、旅行の前日は、まったく楽しくないことが多い。それどころか、できることなら行きたくないとさえ思ってしまう。楽しみにしていたはずなのに、目前に旅行の日が近づくと行きたくないのだ。なぜだろう?
まだ、はっきりと自分の心理分析をしたわけではないけれども、こういうことかなぁ、と思うことを綴る。
どこに行こうか、と考えている間は、「どこにでも行ける」可能性がある。しかし、日時や滞在時間、予算を考えると、当然、どこにでも行けるというわけではない。
諸々のことを考慮した上で、行き先が決まる。行き先が決まったら、行きたい場所を、どのように回って行こうか、と漠然と考え始める。
行きたい場所も、ルートも決まった。あとは、着替えなど、何を持っていくか、あるいは持っていかないかと考える。
旅行前日には、行く場所も持ち物も、すべて決まっていて、あとは実際に行くだけの状態になっている。宿泊先も決まっている。
このような状態に旅行前日にはなっている。そうすると、もう旅行が何か、義務のように感じられるようになる。要するに、自分で決めたこととはいえ、計画した旅行には「自由」が少なく、「義務感」さえ感じてしまうのだろう。
楽しく旅行するには、細かいことはあまり決めないほうがいいのかもしれない。
分刻みで行き場所、食事する場所を決めてから旅行する人がいるが、楽しいのだろうか?名所の「存在確認」することが、そんなに楽しいことだとは思わない。
理想的には、休みの日の朝🌄、晴れていて、勝手気儘に、ブラッと行って、ブラッと帰って来られる旅行がいい。そうすると、あまり遠くには行けないのだが、遠くに行けば行くほど「楽しい」というわけでもなかろう。
たまには旅行したいと思うが、家の中にいても、読書という旅行はできる。
読書の世界では、国境も時代をも越えることができる。でも、そろそろ実際にどこか行きたいなあ✨
ここまでは、下の記事(↓)の再掲になります。
最近「再掲記事」も投稿している
毎日記事を書くのが習慣になっているので、特に猛烈に書きたいことがなくても、何かキーワードが思い浮かべば文章は書ける。
けれども、これだけ毎日書いていると、書いている途中で「このテーマは前にも書いたことがあるなぁ」と、自分の書いた過去記事を思い出すことがある。
一度書いて投稿したものでも、すべて読まれているとは限らないし、はじめて目にする方も多いだろうから、「再掲」するのも悪くはないかなぁとも思いながら投稿している。
ストックしている記事が多いということは、長い間書き続けてきた強みかなぁとも思う。
毎日投稿して何の意味があるの?、とふと思うこともあるけれども、やっぱりそれは自分の財産になっている。自分の書いた過去記事に、今の自分が励まされることもある。
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