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文字にできない思い出

 自分以外に誰も見ないであろう日記であっても、書くことができないことがある。それは、他人に見られる可能性があるからではなく、あとになって自分自身に見せられないからである。

 「嘘」には4種類ある。

①他人にも自分にもつける嘘。
②他人にはつけても、自分自身にはつけない嘘。
③他人にはつけなくても、自分自身にはつける嘘。
④他人にも自分にもつけない嘘。

 他人につく嘘というのは、自己保身のためや、あるいは相手に対する気遣いのためにつく嘘である。日常的にみんなついている嘘だろう。
 自分につけない嘘というのは、自分の心の中でもどうしても正当化できない嘘か、あるいは、自分で自分自身が怖くて認めたくない嘘である。

 嘘というと「他人につくもの」を意味することが多いが、「自分につく嘘」は自分の心の内側の出来事なので、他人には見えにくい。
 そして、普段は心の奥にしまっている嘘なので、それが心の表面に表れたとき、自己嫌悪になりやすい。

 他人につく嘘は、自分につく嘘に比べれば大したことはない。
 思い出のなかには、もはや自分でも嘘だと判別できない出来事もリアルなものとして保存されているかもしれない。


 

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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします

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