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江戸の敵を長崎で討つ






「江戸の敵を長崎で討つ」。
(えどのかたきをながさきでうつ)


 高校の日本史の授業で聞いた記憶のある言葉。先生は「江戸の敵を長崎で討つ」という言葉の由来を話してくださったのだが、今では忘れてしまった。

 言葉の意味は「筋違いのことでリベンジを果たすこと」みたいな意味のはず。たまに思い出す言葉なのでネットで調べてみるのだが、諸説あるようでどれが正しい由来なのかわからない。

 「江戸の敵を長崎『』討つ」で私は記憶しているが、
「江戸の敵を長崎『』討つ」が正しいとする解説もある。

 真相は藪の中だ。



#それはともかく


 それはともかく、「筋違いのことで復讐する」ということは、日常ではありがちなこと。私は「江戸の敵を長崎で討つ」的な考え方は嫌い。関係のないことで、復讐しようとするのはなんか嫌いだ。

 今の学校ではないだろうけど、「宿題をやって来なかったら、給食は抜きね」とか、「意見が違ったということで、意地悪されたり」とか。

 「勤務時間外の忘年会に参加しなかったら、仕事上の連絡をしない」とか。

 「いや~、付き合いの悪い人はどうせ仕事も出来ないよ」みたいなことを言う人とか。


#それはそれこれはこれ


 個人的な人間付き合いだったら、「江戸の敵を長崎で討つ」みたいなことがあっても、ある程度は仕方ないかな、と思うが、「組織vs個人」の場面で「江戸の敵を長崎で討つ」みたいなことはこわいな、と思う。

 「仕事の出来ないヤツは、有給休暇をとってはならない」「生理休暇をとってはならない」みたいな、陽に暗にかかるプレッシャー。

 そういうのって、政治の世界でも普通にありますね。
 自分の支援した人が総裁になったら、主要ポストが分配されるが、落選したらどんなに有能な人でも冷飯を食わされるとか。

 意見の同じ人同士のほうが、何でもサクサク先へ進めるには好都合だけれども、間違った方向へ進んだら歯止めがかからなくなる危険性がある。

 「この点については意見が異なりますが、その点については協力しましょう」とは、なかなかならないものだ。

 もちろん、何でも自分の思い通りにはならないから、妥協とか、人に合わせることも必要なときもあるけれども、なんも考えずに多数派に媚びることを良しとする風潮は、ファシズム的でこわい。そして、自ら何も考えていないことを以て「大人の対応」と考える人はもっとこわい。

 「これはこれ、それはそれ」って、考えられるのが「大人の対応」だと考えるがどうだろう?


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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします

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