詩 | 資本主義的な価値観を忘れてみたい

「100円をくれる人と
1000円をくれる人なら
どっちが良い人?」と問えば
「どちらも気持ちだから」と
答える人も
「1000円をくれる人と
100,000,000円をくれる人なら
どっちが良い人?」と問えば
口ではなんと言おうが
100,000,000円をくれた人に
平伏すものだ

無一文の人を
実質的に助けられるのは
性格が悪くても
ちゃんと金を払ってくれる人であって
同じく無一文の
性格がよい
金を1円も払えない人ではない

どんなに美辞麗句を並べようが
資本主義的な価値観に
支配された世の中では
「性格の良い貧乏人のほうが
性格の悪い金持ちより尊い」と
言ってみたところで虚しさが襲う

「だが資本主義を
支えているのは誰か?」と問えば
口ではなんと言おうが
あなたも含めて
「資本主義を支えているのは
ひとりひとりの人間である」

資本主義的な発想は
実際に金銭が動く場面ばかりではない
いわゆる「損得勘定」
という考え方は
資本主義的な発想と
なんら変わらない

「私を心地良くしてくれる人」は
善であり
「私を不快にする人」は
悪であると考えるならば
「資本主義的発想」と
「損得勘定」とは同一のものだ

「こんな世界はイヤだ!」と
ひとりで叫んでも
ほとんどなにも変わらないが
「こんな世界はイヤだ!」と
全員が叫べば
世の中なんて一瞬にして
変わることが可能だ

資本主義的な発想なんて
単なる観念に過ぎず
みんなの意見が一致して
「資本主義なんて要らん」となれば
あっけなく消すことができる

だが資本主義に代わる妙案なんて
誰にも思い付かないから
消えずに惰性でつづいている

どんな思想でも
ゼロベースで考えるのと
既存のものの土台の上に
立って考えるのとは
相矛盾するものだ

なるようにしかならないのだが
理想という言葉が
現実という言葉の
対義語であるのはおかしい

「理想はどこにありますか?」と
問われれば
「現実の中にある」と答えるしかない

いかに未来のことを
語っているつもりでも
理想はいつも現実の中にしか
存在しない


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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします