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『1秒の恋』 | 自分のことをフォローしたいと思いますか?

 たまにnoteをしているとき、自分だったら自分のことをフォローしたいと思うだろうか?、なんて考えたりします。

 私だったら、私のことはフォローしないだろうな、と思います。

 投稿数は多いし、話題はマチマチだし、なにを言ってるのかわからないことがあるし、長文を書いたと思えば、短いつぶやきだの、イラストや写真だけの投稿があったり。いつもやることがバラバラで、安心して読める記事がない。

 書いてある内容は、ポジティブのときもあれば、ネガティブな内容のことも多い。いい加減に気軽に「スキ」なんて押したら、不愉快な思いをさせるかもしれない。

 記事を読んでいて、「いいな」と思ったり、「楽しい」と思えることが多い人をフォローしたい。
 「フォロバ100%」なんて書いている人もいるけれど、「フォローしてくれるなら誰でもいいの?」と思ってしまうこともある。別にフォロバ100も悪いとは思わないけれども、フォローする人は、自分の趣味・思考法と異なる人だったとしても、「対話」が成立する人を選びたい。


 もともとnoteをはじめたのは、偶然にすぎません。
 私はひとりで読書するのがスキ。読書するときには、音楽もかけませんし、テレビも見ません。本と「二人きり」になりたいから、読書の最中はスマホの電源をオフにすることも多いです。だから、本来的には、不特定多数の人とやり取りをするSNSとは相性が悪いのかもしれない。

 けれども、読書や実生活で自分が経験したことを無性に語りたくなることもあります。必ずしも同意を求めているわけでもなく、反論を求めているわけでもない。
 「だったら日記に書けばいいじゃないか!」という意見もあろうかと思うけれども、自分以外に誰も読まない日記を書く時の気持ちと、誰かに読まれるであろうSNSに自分自身のことを書く気持ちはやはり異なるものです。

 もう一人の自分を想定して自問自答するのが日記ならば、相手が聞いていようとなかろうと自分以外の他者を想定して書くSNSは、やはり書く時の心の持ち方が違うものです。

 結局のところ、元も子もないことを言えば、私にとってSNSとは、自分語りをする場所であり、たまに波長が合う人と出会えば、相手の話も聞いたりする場所。コミュニケーションが長い期間に渡ることもあれば、一期一会に終わることもあります。

 長い間交流のあった人が突然いなくなったり、ケンカ別れすることもあります。心を残したまま、お別れすることは、SNS上の出来事とはいっても、あたかも死別したかのような悲しみにつつまれることもあります。

 フォロワーなんて、どんどん入れかわっていくのが常態ですし、それもやむを得ないことです。

 できることならば、一度出会って心が触れあう瞬間が一秒でもあるならば、そういう関係が永続することを望むものですが、軽く軽く漂うように、いま・この瞬間が光であふれれば、それ以上なにも求めなくてもいいのかな、なんていう気持ちも頭の片隅にあります。

 その場限りの関係にしろ、永続的な関係を構築しようとするにせよ、いま・この1秒が、永遠の一瞬になるような、そんな出会いがあればいいなと思います。

 たとえ1秒の恋であったとしても。


(約1,300文字)



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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします