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#私の書くルール | 文章に関する一般論

 文章の書き方について関心を持っている人は多い。
 仮にだが「こう書くべきだ」という文章論があったとして、全員がそのルールを守ったとしたら、無味乾燥な文章ばかり並ぶことになるだろう。

 受験の作文や小論文、検定試験のように、合否を判定するような文章を書く場合は、何よりも公平性が大切だから、明確な客観的な基準がなければならない。言うまでもなく、採点者の内心の恣意的な基準では困る。

 書き手としては、出題者の意図を読み取り、テーマや論点に沿って、過不足なく書くことが要求される
 だから、テーマや論点がある程度絞られている作文や小論文では、トレーニングを積んだ者なら、似たような答案になるのは自明の理だ。

 私が思うに、いわゆる「文章の書き方」というものは、天井のある文章を書くときに役立つものであって、何でも自由に書いてよいエッセイや小説には妥当しないのではないか?

 文章を書くときの客観的な基準を厳格化にすれば、どうなるか?
 タイトル、文字数、使用語句を定めるのみならず、書き出しやエンディングの一文を指定したら、どんな人が書いても似たような作品が出来上がることになるだろう。私がさきほど書いた「天井のある文章」とはそういう意味である。 


 作文や小論文、検定試験で求められるような、天井のある中で書くならば、模範解答がある。もちろん、まったく同じになるわけではないが、誰が書いても大差はない。誰でも出題者の基準を満たせば合格できる。だから、「シケタイ」(試験対策)が大きな拠り所となる。

 文学ではどうだろうか?
 芥川賞・直木賞、ノーベル賞のとり方みたいな本をたまに見かけることがあるが、どれも眉唾モノだ。このような類いの本を読んで、本当にノーベル賞などとった人などいるのだろうか?
 良い文章の一般理論なんて、私はないと思っている。


 もし良い文章論というものがあるとしたら、それは誰の心に届くような文章の書き方に関することではなく、せいぜい「分かりやすい文章」程度の意味しかない。


 万人向け(大人向け)の分かりやすい文章についてなら、私も少し書ける。

①義務教育(中学生程度)の知識の範囲内の内容にとどめること。

②主題がハッキリしていること。

③結論がハッキリしていること。

④一文の長さを短めにして、なるべく修飾語句を用いないこと。

⑤必ず1つの文に主語と動詞を書くこと。

⑥一義的な意味しか持たない言葉を選ぶこと。

⑦あなたの思う前提条件をきちんと書くこと。

⑧他の外国語(英語など)に翻訳しにくいような日本語はなるべく使わないこと。


結び


 最近、大型書店に行っていないのだが、外国語(主に英語)に数多く翻訳されているような日本文学は、①から⑧の条件を満たしている作品が多いように思う。

 よく洋書売り場で目につく具体的な作家の名前を挙げれば、村上春樹、小川洋子、三島由紀夫、谷崎潤一郎、夏目漱石などである。
 ノーベル賞をとった作家なのに、川端康成や大江健三郎などは、1作品置いてあるかないか程度だ。

 一概には言えないが、書く内容がファンタジーっぽかったとしても、極めて明晰で、論理的な文章を書く作家が多い印象がある。


 文章なんてどう書いたっていいんだ、と思いつつ「#私の書くルール」というお題で書いてみました。

 3本目です🤣。



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山根あきら | 妄想哲学者
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