#海であそぶ
ふとした時に海を見たいな、と思うことがある。現在わたしは海から遠いところに住んでいるので、海に行きたいなと思っても気軽には行けない。そういうときは海の代わりに、川を見に行ったり、湖を見に行ったりする。それで少し気持ちが紛れたりするけれども、同じ大量の水でもやはり海には海の魅力がある。
「何でなんだろう?」と改めて考えてみる。
川の流れを見ているときは、「ゆくかわの流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつむすびて久しくとどまりたるためしなし」。
方丈記ではないけれども、無意識的に、川の流れに時間を読みこんでしまうからだろう。
それに比べると、海で見る波は、寄せては返すもので、川の流れのような、流れてしまえば終わり、というような一過性を感じない。波は繰り返し繰り返し、まるで時間を忘れたように、同じ光景を反復する。一言でいえば、川の流れはわたしをして時間を意識させ、海の波はわたしをして時間を忘れさせしむ、ということなのだろう。
それなのに、最近は海に行く前に、海で泳いだあとの帰り道のことを考えてしまって、しばらく海で遊んでいない。
プールと違って、海の場合、泳ぐ前は「日焼け止め塗ろうかな」とか、泳ぎ終わったら「塩がベトつくだろうな」とか、いろいろ考えると面倒くさく思って敬遠してしまう。
だったら泳がないで、ただボッーと海を眺めていればいいじゃん、とも思うけど、海を見たら泳ぎたくなってしまうんですよね。
もう10年近く前になるけれども、サイパンの海で、熱帯魚といっしょに泳いだときは本当に楽しかったな。いつかまたどこかの海で熱帯魚と一緒に泳いでみたいけど、何日もの間、時間を忘れるという余裕がないんです。
海は逃げていかない。そう思って心象風景の海を思って、ときどき心をなごませるのみ。海に遊びに行かなくても、日々、心の水平線に自分を投影している。
「剃るべきか、剃らざるべきか。それが問題だ」なんて、くだらないといえばくだらないことを考えることなく、海で遊べる日を思いつつ。
(888字)
ヤバい。字数オーバー。
これでは自分の企画に応募できない😱。
青ブラ文学部募集要項
2023.8.20まで募集☆彡
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします