短編小説 | 地球はまわる
(1)
小学生の頃、はじめて地球が動いていることを知ったとき、その理由を考察したことがある。
先生にきいてみるとか、本を読んで調べることはなかった。ちょっと自分の頭で考えてみたかったから。今もそうだけど、人に質問するのって苦手だし。
こんなふうに私は考えた。
地球は「動かない」か「動く」かのどちらかである。
最初に動かない可能性について考えた。「動かない状態」というのは、どう考えても、「動かない」という1つの状態しかない。
次に、動く可能性について考えた。自分の体が地球だとしたら、私は「右」へ動くことも、「左」へ動くこともできる。「前」へ動くことも、「後ろ」へ動くこともできる。ジャンプすれば「上」にだって動くことができる。そのほか、「右斜め前・後ろ」「左斜め前・後ろ」など数え切れないほどある。
思考実験の結果は、
(動かない) : (動く) = 1 : ∞
明らかに「動く」可能性が有力である。
(2)
とりあえず、地球は「動く」ほうが自然であることを理解した私は、さらに考察を深めた。
なぜ、地球は「まわる」のだろうかと。
まず、「まっすぐ」に進むのは、どうだろうか?
たとえば、前方向に直線に地球が動くのはどうだろうか?
直線に進むということを考えに考えた結果、私は地球が直線に動く可能性は、きわめて低いという結論にいたった。
「動く」状態というのは、無限にあるのに、なぜ一方向だけに動きつづける必要があるだろうか。無数にある動ける可能性の選択肢を捨てて、1つの方向に進みつづけるのはもったいないではないか。
私が地球だとして、「どこに行ってもいいよ」と言われたとしたら、「右」へ動くことに飽きたら、きっと「左」へ行きたくなることだろう。なぜ、右と自分で勝手に決めて、自らの可能性を狭める必要があろうか?
(3)
そこで私は、あらゆる方向に動くことを考えた。
そうだ!
円を描くように動けば、ずっと違う方向に動けるではないか!!
「回る」ことは、飽きずに動きつづける最善の方法ではないか!
が、そこで「待てよ」と私は思った。もっと遠くに行ける可能性があるのに、なぜ同じところをグルグル回る必要があるのだろうかと。
(4)
これは難問であった。私は考えに考えた。しかし、ようやく結論を得た。
ぐるぐる回りながら、どんどん今いる所から離れていってしまったら、元の場所に帰りたくなったとき、帰れなくなってしまうではないか!
間違いない。地球は全方位に動く可能性を回ることによって享受しつつ、ホームシックにならないように、その中心を不動のものとしたのだろう。中心を「動かない」ようにすれば、「動かない」という可能性も、その動きに付け加えることができるではないか。
(5)
私はこのようにして、地球は同じところを回るという真理に到達することができた。