エッセイ的短編小説📖 | 「スキ制限新法」時代における感覚的フォロー基準
A Sarcastic Comedy
(💗あくまで妄想💗)
「スキ制限」が厳格になった。新基準がどういうものなのか、私にはよくわからない。細かな分析をする能力もなければ、その意志もない。そういう分析は、他の人に任せる。とりあえず、今までよりも、少ない数しか「スキ」できなくなったことは間違いないようである。
「スキ」することができるならば、少しでも「よい」と思った記事には「スキ」してきた。自分好みの記事にも「スキ」してきた。「スキ」なクリエーターの書いたものなら、1日に複数回の投稿があってもスキしてきた。
しかし、今のように「スキ」できる数が減ると「選別」せざるを得ない。
なるべく多くの記事・クリエーターに「スキ」することを考えると、
①
1日あたり1人のクリエーターに「1スキ」するにとどめる
②
単なる「相互スキ狙い」の記事には「スキ」しない
③
自分の記事に対して、コメントをいただいたことのないフォロワーを斬る
などが思い付くところだ。
とは言っても、私も、一応、血の通った人間だ。マイルールを決めたとて、心情的に流されることもある。杓子定規的なマイルールを適用することはできない。しかし、「スキ」数の減少は、フォローの数を抑制する方向に向かわしめる。
自分の「時間的なこと」「読解能力・読むスピード」を考えると、1日に読むことができる記事は、マックスで200記事、平均すれば、100~150記事くらいである。
最大でも「200」程度なのだから、理想的な「フォロー数」は200~300人程度だということ。「あれ?、読めるマックスの記事数より多いではないか?」という御仁もいるかもしれない。なぜ多いかといえば、
①
みんながみんな、毎日、投稿しているわけではないということ
②
もっぱら「写真」「絵」「イラスト」を投稿している人もいる ( = 読むのに時間がかからない )
③
お休み中の方もいること
というのが主な理由である。
じゃあ、結局どうするか?、ということを以下に書く。
「フォローの数を減らすこと」。
ただし、闇雲に減らすのではなく、杓子定規的にマイルールを貫徹するのでもない。「心情的なこと」も考慮する。
結局、今回の事案がもたらした問いは「どういういう人をフォローしたいか?」ということなのではないか?
心情的なことも入るので、やや漠然としているが、自分がフォローする人の基準を書く。すべてに該当する人を選別するのではなく、「1つでも」当てはまる項目がある人は残す可能性が大きい。
①
自分にとって、「スペシャル」な存在であること。はじめてコメントをくれた人。毎日のようにコメントしてくれる人。「自分でいい記事が書けたな」というときには必ず「スキ」を返してくれる人。
②
そのクリエーターの名前を想起したとき、印象に残った記事を3つくらいすぐに挙げることができること。
③
自分にはない観点をもっている人。
④
自分が言いたくても、言い表せないことを言語化して記事を書いてくれる人。
⑤
まったく自分とは相容れないようでいて、何か心の琴線に触れる記事を書くことができる人。
…とダラダラと書いたが、今回「スキ制限新法」ができたことで、去年はじめてnoteしたときのことを思い出す機会が増えた。
なにも分からず、暗中模索していた頃を少し懐かしく思う。その頃は、「スキ」が常に一桁、コメントもほとんどなかった。
でも「スキ」が1つ付くだけで、めちゃ嬉しかった。
「スキ新法」ができたメリットを敢えて一つ挙げるなら、「あなたは何のためにnoteしているですか?」というprimitiveな問いを想起するきっかけになったことであろうか?
(↑)で書いたことはすべて妄想。リアルだとくれぐれも勘違いしないでくださいね💗。
リアルなことを3つだけ書いて、この記事を締め括る。
①
世の中全体から見れば、noteしてる人より、noteしていない人が、圧倒的多数派(overwhelming majority)であること。
②
結局は、どんなnoterよりも、自分というnoterが最も大切だということ。
③
「重いスキ」と「軽いスキ」があり、その区別は「心情的なこと」(自分自身の感覚)に依らざるを得ないこと。
おしまい
#振り返りnote
#noteのつづけ方
#ユーザーの声を聞け
#新エディタはいつもほぼほぼ改悪
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#アカウント停止にならないのは有難い
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