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EGOIST(第9章)

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第9章


 私が駒田のブースを訪れたのは、イベント最終日でもある二日目の夕方、イベント終了の数分前だった。ブースでは、色彩、光沢、硬度、形状など、様々な個性を持つ天然石が、原石のまま展示販売されていた。また、ブースの端っこでは、それらを綺麗に加工したアクセサリーも販売されていた。今でこそ、多方面に進出している駒田のグループ会社も、その原点は石の販売だったと聞いている。文字通り、これが「原石」なのだ。
 もっとも、残念ながら私にはその良さも価値も全く分からない。しかし、沢山のマニアに支えられた人気のある世界なのだろう。既に片付けを始めているブースも多々ある中、駒田のブースはまだ沢山の客で賑わっていたのだ。
 私を見つけた駒田は、部下らしきスタッフに何やら声を掛け、私の元に来た。
「何か欲しいのあったら持って帰っていいで」
「せっかくやけど、多分すぐに失くすから、遠慮しとくわ」
「まぁ、興味ない人にしたら単なる石ころやしな。じゃ、ちょっと早いけど、メシ行こうか」
「店番はええのか?  何か俺の為にスタッフさんに迷惑掛けてない?」
「もうイベントそのものも終わるし、後のことは元々全部頼んであるから、大丈夫。何もタダ働きさせてるわけやないしな。で、行きたい居酒屋あるんやけど、そこでええか?」
「高くない?  俺、ご存知の通りそんな金持ってへんで。万とか言われたら辛いんやけど」
「大丈夫、メッチャ安い店や」

 イベント会場から駒田が行きたいという店まで、二人で歩いて移動した。途中、大きな公園の脇を通ったのだが、園内にはブルーシートで作られた簡易テントが彼方此方に張られていた。会場から僅か数百メートル移動しただけで、見るからに治安が悪そうな貧民街になるのだ。
 ここは、地元の人間さえ滅多に寄り付かない、ホームレスや日雇い労働者に占有された集落だ。週に数回は、ボランティアによる炊き出しが行われているし、公園の広場には、毎朝日雇い労働の募集に人が殺到する地域だ。連日、年季の入った自転車を相棒に、空き缶を回収して回る者もいる。不法ビデオや偽ブランド品の露店販売も沢山あるし、白昼堂々と違法な薬物の売買も行われている地域だ。ゴミが散乱し、タバコの吸い殻もあちこちに捨てられている道を、二人で黙々と歩いた。
 そんな危険な地域の外れに、小汚い居酒屋があった。今では、年商十億を超えるまでに大きくなった会社を経営する駒田には、全く似つかわしくない店だ。そもそも、駒田がこんな所に来るなんて、誰も想像出来ないだろう。



「ホンマ、久しぶりやな。電話で説教して以来かな?」
 とりあえず、ビールで乾杯して、改めて駒田と向き合った。久しぶりに会う駒田は——会場で会った時には気付かなかったのだが——幾分か頭髪が薄くなり、一回り以上も身体が大きくなっていた。分かりやすく言えば、若禿と中年太りだ。
 幼い頃には、あんな風にはなりたくない、と思った容姿だが、今となっては少し羨ましくさえ思える。何となく、生活に不安がなく、身体も健康な証のような気がしたのだ。
 簡単に言えば、色んな意味での「ゆとり」だろう。そして、それこそ今の私に全く縁がないものだ。もっとも、「若禿」は関係ないかもしれないが。
「そうやな。でも、あの時お前に叱られてなかったら、今頃野垂れ死んでたわ。おかげさまで、何とかバイトしながらやけど、調律師って名乗れる程度には仕事させてもらってるで」
「良かったわ、それなら」
「しかし、言っちゃ悪いけど、すごい店やな。じゃりン子チエ思い出したわ」
「まぁ、あの漫画の世界が、まさにこういう地域やもんな」
「安いのは嬉しいけど、お前はもっとええ酒飲んでると思ってたわ。俺に合わせてくれたんなら有難いけど、もうちょい上の店でも良かったのに」
 半分皮肉で、半分は申し訳なさも込めて、駒田にそう言った。しかし、駒田は薄っすらと笑みを浮かべている。とても穏やかで、優しい笑みだ。
「違うねん。俺、この店が好きでな、年に何回か来てるねん」
 そう言ったきり、黙ってしまった。「なんで?」と聞くタイミングを逃した私も、次の言葉を出せないでいた。そのまま一分ぐらいの沈黙を経て、ボソボソと駒田が語り始めた。
「俺さ、開業したばかりの頃な、全く何も売れなくて、バイト代も全部生活費に消えて、貯金もゼロになって、それどころか借金もあって。まぁ、借金と言うか、専門学校の学費やな。俺、言ってへんかったけど、小学生の途中から親おらんからな、高校まではお婆ちゃんに育てて貰ったけど、専門学校は奨学金で通ってたんや。それやのに数週間で就職先の会社辞めてもうたから学費も返さんうちに収入無くなって、一か八か始めた事業が上手くいかなくて、他の仕事に転職するのも悔しくて……バイトで食い繋いでたけど、ちょっと風邪ひいて数日休んだら、それだけのことで収入が足らんで生活出来んくなって。さっきの公園でホームレスでもやるしかないかな?  って下見に来たことがあんねん」
「アホな、お前、開業したのって二十歳ハタチぐらいやないか。まだ学生やっててもいい歳やのに、ホームレスって……」
「そうやな、まだハタチそこそこの時や。多分、若手ナンバーワンのホームレスになれたかもな。今思ったら、何でそこまで追い詰められてたんか分からんよ。幾らでもやり直し効く歳やもんな。でも、その時はホンマにどうしていいか分からんで、絶望しかなくて、学ぶのも働くのも嫌になってな。まぁ、健康な若者のクセに贅沢な話やな」
「分からんでもないよ。少し前の俺も、そんな感じやったしな。健康な若者やないけど」
「とにかく、一人でこの辺に来たんよ。でも、実際に来てみたら、思ってたのと全く違ってな。皆んな自分のペースで懸命に生きてるやん。一般社会の常識からちょっとズレてるかもしらんけど、個々のペースで頑張って生きてるし、楽しそうに笑ってるし。確かに皆んな着古した服で小汚い格好やし、髪もボサボサ。まともな収入もないんやろうけど、結局何を優先するかってことが一般的じゃないだけやねんな。生活の安定より、酒とタバコと堕落の方が楽、それならそれでいいんちゃうかな。酒が切れたら日銭稼いで、生活保護もらって、まぁ、税金も納めんヤツが人様の税金で……ってことはおいといて、生活スタイルって意味でな、そういう堕落も別にアリなんやなって思ったんよ。どうしても、普通に働いて普通に生活して……そういうのを知らんうちに強制されてるし、そこから外れるのが怖くて、いや、恥ずかしいって思うんやろな。ろくに仕事してない、とか、大した稼ぎもないとか、それがいけないことみたいに洗脳されてるねんな。でも、普通ってなんやねん?  彼らは、自分の人生を好きなように生きてるだけ……変な言い方やけど、すごい羨ましく思えてきてな。ホームレスとか日雇い労働者って馬鹿にしてたんやけど、俺なんかより皆んな頑張ってるし、充実してる。少なくともそう見えたんや。俺なんか、ホームレス以下やん!  って気付いて……」
「で、元気付けられたってことか?」
「いや、逆や。俺、そんなに強くないからな。俺なんか、ホームレスにもなれんのやって気付いて……ホームレスにもヽヽ、って言い方は良くないな。でも、その時は社会の最底辺がホームレスって勝手に思い込んでてな、やのに、俺はそれ以下やん、生きる価値ないやんって思って……最後に何か美味いもん食って死のうって思ったんよ。で、財布見たら千円札一枚だけ入ってて……目の前にあったんがこの店やねん。吸い込まれるように入店して、ビールと唐揚げだけ頼んでな。気付いたら、俺、このカウンターで泣いてたんよ」



「お、兄ちゃん、どないしたんや?」
 空っぽのグラスを前に、一人で泣いてる青年に、見るからに日雇い労働者であろう初老の男が話し掛けた。全身真っ黒に日焼けしており、ぱっと見は痩せ気味の体躯だが、よく見ると歳の割には筋肉質な身体。そして、そのまま青年の隣に座り、ビールを注文した。
「若い男がメソメソすんなって。コレか?」と言いながら、男は小指を立てた。
「女なんてな、掃いて捨てる程おるぞ。兄ちゃん、男前な顔しとるやん。安心せぇ、うまいことやりゃあ、これから好きなだけ抱けるぞ。どや、おっちゃんが口説き方教えたろか?」
 すると、近くに居た別の男性が、大声で話に入ってきた。
「おい、川ちゃん、そっとしといたれや。一人で思い存分泣いた方が吹っ切れることもあるで。俺もよう一人で泣いたから分かるんねん」
「嘘コケ!  たもっちゃんが一人で泣いてるとこ、想像出来んわ」
「はははっ、こう見えてもな、ロマンチストやねんぞ」
「なーにがロマンチストや!  寝言は寝てからにせぇ!  ほら、兄ちゃん、あんな阿呆なオッサンも俺みたいなクソジジイも、楽しく笑って生きとんやで。アンタみたいな若いハンサムが泣くんでねえって。な、ビール奢ったるで、ちょっとジジイと話でもせえへんか?  そんなえぇ女やったんか?」
 すると、ようやく青年は——二十歳の駒田は、顔を上げ、隣の男性に向き合った。
「ありがとうございます。女やないです。俺、この店出たら死のうと思ってたんです」
「アホかっ!  わざわざ死なんでも、そのうち勝手に死ぬわ!  兄ちゃんよ、何があったか知らんけど、そんな若いのに死んだらアカン!  それに、死ぬのはいつでも出来るで。最終手段や。せめて六十ぐらいまで生きてから、考えた方がええで」
 自称「ロマンチスト」のたもっちゃんも、グラス片手に駒田の隣の席にやって来た。駒田は、川ちゃんとたもっちゃんという二人の男性に挟まれた形だ。
「おいおい、兄ちゃん、俺らなんか死ぬタイミングも逃してしまってよ、ダラダラ生きとるけど、毎日なんやかんや楽しいぞ。もう、死ぬのも面倒臭くてな。生きてると良いこともあるで。俺みたいな無職のその日暮らしの日雇い労働者でもな、生きてて良かったって思えるんや。人生ってそんなもんやぞ。川ちゃんの言う通り、死んだらアカンねん」
「そやで。俺とたもっちゃん……って、このおっちゃんのことな、俺らが意見合うことは、そうないんやで。つまりや、俺とたもっちゃんが二人とも死んだらアカン言うてんねんから、多分それは正解なんや」
 青年はいつしか「川ちゃん」と「たもっちゃん」の勢いに飲み込まれ、泣き止んでいた。気付いたら、グラスにビールが注がれている。二人にせがまれ、青年はポツリポツリと自らの身上話を話す羽目になった。奨学金で専門学校を出たこと。就職出来たのに直ぐに辞めてしまったこと。思い切って起業してみたけど、鳴かず飛ばずで生活に窮してること。もう、何もしたくないこと、生きてることに疲れ、無気力になったこと……。二十歳の青年が何を甘えたこと言ってるんだ!  と一喝して終わりそうな話だが、既に還暦に近いと思われる川ちゃんとたもっちゃんは、息子より若いであろう年齢の駒田の話に、真剣に耳を傾けた。

 いつしか、三人はしんみりと……なのに、何処か楽しげにチビチビと酒を酌み交わしていた。店主からの奢りで、ツマミも追加されていた。たもっちゃんと川ちゃんの仲間から、タバコの差し入れもあった。
「保さん、川田さん、こんなに奢って頂いて申し訳ないです」
「アホなこと言うな!  これも何かの縁やで。それに、今日は生活保護の受給日やから、俺も川ちゃんもちょっとだけリッチやねん。税金納めてくれはってる方々には申し訳ないけどな、まぁ、俺も昔は税金ぎょうさん払っとったからな、年金の代わりやと思って貰ってるんや」
「俺はな、最近使ってくれてる土方が仕事はえらいキツイんやけど、金はなかなかええねん。向こう二週間ぐらいは、ちょっと贅沢出来るんや。ホンマ兄ちゃんは運がええで」
「そやな、昨日やったら俺は金出せんかったもんな」
「いつか……必ずお返しします」
「そんなもん要らんって!  久しぶりに若い子と話出来ただけで、俺らは満足や」
「そうやで。まぁ、若い姉ちゃんやったらもっと良かったけどな。はははっ」
「まぁ、俺らみたいな人生の落伍者でもな、毎日こうやって笑って生きてるんや。そのうちどっかで野垂れ死ぬんやろうけど、それでも酒とタバコはやめられへん。今更まともな職にも就けんし、日雇いでこき使われて、日銭稼いではパチンコですられて、もし生活保護打ち切られたら、即ホームレスや。そのクセ、生活を改めることも自分から死ぬ勇気もあらへん。兄ちゃんみたいに、そんな若いのに死ぬ覚悟が出来るなんてな、逆にメッチャ強いんやと思うで。アホやから上手いこと説明出来んけど、アンタはスゴイって話や。運もええしな」
「川ちゃんが人褒めるのって、めっちゃ珍しいことやねんで。兄ちゃんよ、アンタは絶対成功するわ。川ちゃんはな、今でこそここでこんな暮らししとるけど、人を見る目は確かなんや。昔はな、兄ちゃんも名前知ってる超一流企業の人事部長やってたんやで」
「おいおい、そんな話は要らんって。それに、たもっちゃんも嫁さんに逃げられるまでは経営者やったやろが」
「元経営者だけにしてくれや。嫁さんに逃げられたとか、余計な情報は付けんでええねん!」
「あははっ、すまんすまん。なぁ、兄ちゃんよ、いつでも辛いことあったらここに遊びに来ればいいで。川ちゃんかたもっちゃん呼んでくれ!  って誰かに言えば、直ぐに飛んできたるわ」
「ありがとうございます。お二人にお会い出来て、本当に良かったです。俺、一応バイトは続けてるので、もうちょっと今の生活続けてみます」
「おぉ、ジジイは嬉しいぞ。種蒔いたら後は時々水撒いて根気ようやってれば、いつか芽が出て花が咲くもんや。ダメやったら、また違う所に種撒いたらええん。セックスといっしょや。兄ちゃんはまだ幾らでも種あるやろ?  俺らはもう枯れてもうたけどな。わはははっ」
「はははっ、もう川ちゃんは、すぐ下ネタに持ってくからなぁ」
 若い男は、入店して始めて笑った。明るくて楽しそうな若者の笑顔を取り戻した。


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