見出し画像

EGOIST(第4章)

《《(前章)

第4章

 社長に最初に辞意を伝えてから一年以上が経った頃、専門学校から連絡があった。まだ辞められないのか?  いつになったら退社出来る?  いつまで待たせる気だ?  こっちも都合があるんだぞ——と。要するに、「いい加減にしろ」という話だ。言われなくても、私自身、そろそろ精神的に限界が近付いていた。
 元はと言えば、円満退社を条件にしたのは学校なのだ。その為に時間が掛かってるのに……もう、こうなったら学校の援助なんかなくてもいい、こんな会社喧嘩してでも辞めてやる! ……と、何度も本末転倒の爆発を起こしかけては思い留まっての繰り返しだ。独立開業をしたいのか退社したいのか、どちらが優先なのかさえ見失い掛けていた。

 そんな折、古い友人、駒田雄大と会う機会があった。彼は、専門学校で一緒に調律を学んだ同級生だが、卒業して僅か数週間でピアノ業界に見切りを付けた男だ。と言えば聞こえは良いが、噂では、実際は業界の厳しさに戦意喪失し、逃げるように退職したらしい。
 それだけだと単なる負犬だが、彼は違った。そして、幸運だった。ダメ元で一人で立ち上げたネットビジネスが成功し、私と同じ年齢なのに、既にかなりゆとりのある生活を手に入れていたのだ。いわゆる「青年実業家」だ。駒田の会社は、今では年商五億にまで成長しているという。そんな彼に諸々の経緯を説明すると、的確なアドバイスを貰うことが出来たのだ。

「今本のとこの社長ってさ、話聞く限り、みみっちいジジイでしょ?」
「うん、チビ、デブ、ハゲでセコくて、金に細かい嫌なやつ」
「ははは、昭和の町工場にいそうなテンプレダメ社長やな。そういうジジイってさ、短絡的でプライドだけは高いんとちゃう?」
「そうそう!  さすがやな、駒田はよう分かってるわ」
「そういうオッサン、いっぱい見てきてるからな。ちょっと向こうにある一万円札より、目の前に散らばってる十円玉が気になるタイプやな。必死の形相で十円玉を拾い集めて、気付いたら時には一万円札は風に飛ばされてて、って感じ。違う?」
「はははっ、会ったことあるん?  ってぐらい、もう、そのまんまのジジイや」
「そやろな。だったら楽勝やで。プライドを突けばいいねん」
「どういうこと?」
「だからさ、こんなに歴史と伝統と技術のある会社で、評判も信頼も高い会社なのに、私なんかが一人居なくなることがそんなに困ることなのですか?  って、そんな感じのニュアンスで言ってみな。少し挑発的に言えば、より効果的かもな」
「なるほど!  そうか、それは思い付かんかったわ。確かにあのジジイやったら、お前なんか要らんわ! っていいそう! 分かった、やってみる」

 駒田の助言は、かなり有効だった。いや、「有効」どころか「技アリ」や「一本」かもしれない。ただ、社長の性格を鑑みて、私は少し言い方は変えて伝えた。挑発的に言うのではなく、「どうせ私が居ないと困るんでしょ?」というニュアンスを忍ばせたのだ。
 すると、予想通り、私の話は社長の癇に障ったようだ。どうやら、天の邪鬼で意地っ張りな性格を刺激することに成功した。
 社長は、「残念だったな、お前なんか必要ないんだ」という態度をあからさまに打ち出して、鼻で笑うように「大して仕事出来ないクセに、何言ってんだ?  今本君なんて、うちにはいてもいなくても何も変わらないよ」と言い出したのだ。
 期待通りの反応。やはり、短絡的で単純な馬鹿だ。くだらないプライドが邪魔して、こんな駆け引きも見抜けないなんて……今までこんな男の会社に無駄に在籍してきたことが、無性に悲しくなってきた。
「そうですよね!  それなら安心しました。私なんか居ても居なくても何も変わらないですよね。これで、心置きなく辞められます」
 澄まし顔でそう伝えると、社長はようやくハメられたことに気付いたのか、顔を真っ赤にしつつも、ちっぽけなプライドが邪魔をして、自分の発言を訂正出来なくなっていた。
「そうだね、いつ居なくなってもうちは何も困らないよ」
 それどころか、社長は尚も負け惜しみを被せてきたのだ。やっぱり馬鹿だ。
 これを機に、ようやく円満退社ヽヽヽヽとなった。



 無事に退社し、引っ越しを済ませ、学校所有の工房で開業の準備をしている時、私は駒田に電話でお礼を伝えた。彼のアドバイスのおかげで、私は円満にヽヽヽ退社出来たのだ。
「そうか、役に立てたんなら嬉しいよ。……でさ、無事に開業出来たとして、その後は、どうやって仕事取っていくつもりなん?」
 駒田にそう聞かれた私は、少し返答に窮した。実は、頑張れば何とかなる!  と思い込んでるだけで、具体的に何をどう頑張るのかは見えていないのだ。
「とりあえずは、学校と学校の系列会社が仕事を卸してくれることになってるから、それで最低限の収入は何とかなりそうなんやけど……あとは、ホームページ開いて、色んな人にDM出して……チラシはもう作成済みで、知り合いの店に置いてもらったり、友達に頼んで配ってもらったりはしてる」
「まぁ、地道にやるしかないわな。でも、これから開業しようって目の前まで来てる今本に厳しいことは言いたくないけど、そんなんで客付くか?  今日明日を凌げば、って話やないやろ?  バイトした方が確実やないか?  調律なんか……まぁ、俺は数週間で辞めたから偉そうなこと言えんけど、自営でやるんやったら毎月コンスタントに数十台はやっていかなアカンのとちゃうん?  そんなんで、毎月何台取れる見込みなん?  学校からの仕事が一定量あるんやったら、倒産はないやろうけどな。でも、それメインにしてたら逆に発展もないやん。ホームページとかDMとかチラシなんて、やって当たり前って言うか、誰でもやってるからな。それぐらいやとスタート地点にも立ててないで。ちょっと言いにくいけどな、無計画過ぎやないか?  起業するってこと舐めてるんちゃう?」
 駒田の話を聞いていると、私は無性に腹が立ってきた。全てが図星だからだ。

 確かに、駒田は起業して成功してる。でも、私から見れば、それは偶然の産物に過ぎない。楽器店が嫌になって直ぐに辞めて、たまたま開いたネットショップが当たって、それを足掛かりに上手く膨らんだだけだとしか思えない。
 私は、駒田と違って、長年徒弟制度で研鑽を積んで、工場長にまで昇り詰めてからの独立だ。少なくとも、駒田よりは経験も下地もあるはず。
「無計画ってことは否定出来へんけど、正直なところ、計画したところでやってみな分からんから、やりながら考えようって思ってるんや。起業は舐めてへんよ。俺なりに腹括ってるつもり。確かに、成功してるお前から見たら幼稚でアホみたいに見えるんやろうけど、俺はもし失敗して破産しても、会社勤めを続けるよりは良いと思ってるから。まぁ、数カ月で破産したら、笑ってくれ。それまでは放っといてくれるか?」
 言葉は慎重に選んだつもりだが、私の怒気は駒田に伝わったようだ。しかし、さっきの駒田の発言には、全く別の意図があったらしい。

「すまんすまん、怒らせるつもりやないねん。心配やっただけ。余計なお世話やったな。あのさ、後出しジャンケンみたいなこと言いたくなかったけど、ホンマはな、もしちゃんとした事業計画があるんやったら、ちょっとぐらい融資してもいいかな、って思ってたんや」
「え? 融資してくれるんか?」
「いやいや、してもいいかな、と思ったんで、どういう計画があるんか聞いてみたんや。でもな、さすがにやってみな分からんって事業には融資出来んけどな。悪いけど。あ、コレも嫌味とかやないで。俺も起業の大変さは分かってるつもりやから、ついつい不安になって口出ししてしまっただけ。挑発とか否定とか、そんなつもりはなかってん。ごめんな」
「悪意がないのは分かってるよ。でもさ、大変さは分かってるって、トントン拍子であっという間に成り上がったやん。そんな言うほど、苦労とか大変な思いしてへんクセによう言うわ」
「そうか……そう思われてるんやな」
「違うんか?」
「あのな……あんま言いたくないけど、俺も順調にここまで来たわけやないで。独立一年目の売上げ、年間で三十五万円やったしな。これ、利益やなくて、一年間の売上総額やからな。メルカリで不用品売ってる主婦でも、もっと稼いでる人、幾らでもおるもんな。貯金もなくて、掃除屋のバイトで月十数万はもらってたけど、家賃と高熱費と経費でほぼ消えてたわ。ネットビジネスやから、システム管理は疎かに出来んし、商品は嘘でも更新せんと、ずっと同じもんが売れ残ってるサイトなんか、誰も見向きもしてくれへんからな。だから、ホンマに金無くてな。毎日、米とカップ麺一個だけで食い繋いだ時期もあったしな。玉子がご馳走やってんで。油も買われへんから、ご馳走言うてもたまごかけごはんかゆでたまごや。ガスも止められててな、カセットコンロでお湯沸かしてたんやで」
「マジで?  ごめん……そんな苦労してたって知らんかった」
「そんなことはどうでもいいねん。苦労自慢とか武勇伝とか嫌いやから、誰にも話してへんかっただけや。勘違いせんといて欲しいねんけど、これでもお前の起業が上手くいけばいいなって応援してるつもりやってん。気悪くしたんなら、ごめんやで。じゃあ、アホな口出しせんように、ちょっと離れて応援させてもらうことにするから、何とか成功してくれよな」

 駒田は、私のことを小馬鹿にするつもりではなかったのだ。それなのに、私は嫉妬と羨望から、上から目線で見下され、プライドを傷付けられたと思い込んでしまい、親身になって考えてくれていた友人の忠告を突っぱねてしまったのだ。その結果、ありがたい融資のチャンスを、知らず知らずのうちに不意にしていたのだった。
 いや、まだ間に合うかもしれない。それに、融資は叶わなくても、駒田の話はもっと聞きたい!

「俺の方こそごめん。やっかみというか、妬みかな、そんな幼稚な感情が先走って、俺の為に言ってくれてるのに、上から目線で小馬鹿にされたって受け取ってしまって……挑発的な言い方してしまったわ。ホント、ごめん。ホンマはな、駒田から色々教わりたいって思ってたんや。なぁ、今度時間作ってくれへんかな? お前の言う通り、ただ会社から逃げたくて、フリーランスって言葉の響きにも憧れて、無計画に開業してしまった部分も否定出来へんねん。でも、俺なりに、腹括ってやってるってのはホント。それでも、じゃあ、これからどうするねん? って不安もいっぱいやし、駒田の話は聞きたいって思ってるんよ。忙しいのは分かってるけど、一回会ってくれへんかな?」

 そうストレートにお願いしてみると、駒田は電話口でしばらく黙り込んでしまった。気を悪くしたのかもしれないし、融資って言葉に反応してしまったことを呆れているのかもしれない。何か言わないと……と考えていると、ようやく駒田が口を開いてくれた。
「会うのは構わんよ。でも、融資目当てやったらお断り。さっきも言ったけど、まともな事業計画もないのに金は出せんわ。せめて担保があれば考えるけど、何もないやろ? そんなもん、銀行に行っても門前払いやで。幾ら借りたい、何に使う、その結果売上の見込みはどうなる、それに基づく返済計画は? って話を聞いて、そこからその計画を精査して、これなら大丈夫やな、って信頼を得て、やっと融資ってもらえるもんやで。友達同士の金の貸借りと混同してないか?」
「うん……恥ずかしいけど、そこまで深く考えてへんかった。でも、会いたいのは金が目的やないねん。経営のこと、俺、ホンマに何も知らんのに、行き当たりばったりでやってるから、色々教えて欲しいなぁと思ってるんやけど」
「会ってどうするん? 明日でも明後日でも、その気になれば時間は作れるよ。でも、電話でもメールでも済むことは、わざわざ会う必要ないんちゃう? 友達として会いたくないって意味やなくて、ビジネスとして無駄って意味でな」
「そうやな……そう言われると反論も無理強いも出来んけど」
「まぁ、近々フラッと工房に遊びに行くわ。友達としてな。でな、その前にちょっとだけ聞いときたいんやけど、いいか?」
「今更、何も不都合ないわ」
「長電話になって悪いな。率直に聞くけど、お前さ、何で調律師になったんや? その仕事を続けるモチベーションは何? すぐに辞めた俺が偉そうに言うことやないけど、調律師の仕事、今でも好きなんか?」
「……痛いとこ突かれたわ。どうなんやろ。ありきたりやけど、ピアノが好きやったんで調律師って仕事に興味持って……今は、正直よう分からんな。意地もあるし、他には何にも出来んし、特にやりたいこともないし、でも、まぁまぁこの仕事は好きかな。少なくとも、嫌いではない」
「じゃあ、ピアノは今でも好きか?」
「ピアノか……多分、好きなんやろな」
「多分か。まぁ、そんなもんかもな。仕事、楽しい?」
「それなりに楽しいよ。逆に、お前はどうなん? 参考までに教えてよ。何で、調律師やめてネットビジネス始めたん?」
「調律師か……お前と違って、俺の場合は特にやりたいことなくて、何となくカッコいいイメージを勝手に持ってて、専門学校に入学しただけやな。でも、やってみたら思ってた世界じゃなかったし、楽しくなかったし、卒業して就職までしたけど、このまま続けられへんなって即行で見切り付けた……って言うか、そんなカッコいいもんやないな。投げ出したのか、逃げ出したってとこやな」
「そうなんか? でも、調律学校で成績メッチャ良かったやん」
「まぁ、必死にはやってたからな。でも、続けられんかった。だから、長く続けてるお前のことは尊敬してるよ」
「続けてるだけやけどな。で、ネットビジネス始めたのは何でなん?」
「別にネットやなくても良かったんやけど、他に手段がなかっただけ。やりたかったのは、天然石の販売や。これは、実は子どもの頃からの夢、と言うか憧れかな。石が好きやってん。でも、仕事にするって発想はなかったから、ちょっと調律師に寄り道してしまったけど、無職になった時にやっぱり石に関する仕事をしたい! と思ってな。それで、ネットショップでやってみたって感じやな。たまたま上手いこといって、今は、アパレルから不動産、中古機械、運送業務など色んな職種に手出しててな、居酒屋も一軒持ってるし、天然石の販売なんてうちのグループ会社全体から見たら、1%以下の売り上げしかない事業やけど、やっぱり石は好きなんで続けてるんよ。多分、他の事業が全部ダメになっても、石だけは続けると思ってる」
「俺は、ピアノにそこまでの執着ないかもな……アカンな、開業前にこんなこと言うとったら」
「でも、ピアノが好きで調律師になったんやろ? なれた時は嬉しかったやろ? お客様の喜ぶ顔を見て、嬉しかったやろ? その時の気持ちを忘れんようにしとけば、多分、上手く行くはずやで。月並みやけど、初心忘れるべからず、やな。厳しいこと言うと、ピアノの向こうにある、ユーザーの喜ぶ顔が思い描けなくなったら、調律師なんて辞めた方がいいと思うで」


(次章へ)》》

(第1章へ)