見出し画像

EGOIST(第2章)

《《(前章)

第2章

 二人の研修生の関係は、四六時中、プライベートもずっと近くにいる環境を強要されている為か、少しずつギクシャクし始め、綻びが生まれてきた。当然とも言えるだろう。特に、人目のある勤務中よりも、帰宅後のプライベートの時間から、二人の関係は狂い始めた。
 実際、他人と一緒に暮らしていると、何かとストレスは増えるだろう。しかも、恋人や親友、師弟といった近い関係ならまだしも、この二人は単なる同僚なのだ。風呂に入る時間や生活必需品のストックの管理といった日常の些細なことから始まり、休日の庭の手入れやゴミ出し、共有スペースの掃除など、対立してしまう要素は沢山あった。
 やがて、師匠の食事の準備なども押し付け合いになり、仕事中もほとんど口を効かない険悪な関係になっていた。それだけならまだしも、いつしか社会的には対等な筈の二人にも、暗黙的な上下関係が構築されるようになったのだ。

 そもそも、二人は年齢こそ同じだが、キャラクタが真逆と言ってもいいぐらいに違い過ぎた。
 吉岡という研修生は典型的な陽キャで、対する岩見は絵に描いたような陰キャだ。当然のように、吉岡は体育会系で岩見は文化系。見た目の雰囲気からして、チャラ男とオタク。声も身体も一回り以上大きな吉岡は、次第に高圧的で威圧的な態度を取るようになり、岩見が大人しく耐え忍ぶ構図になった。
 技術的にも、吉岡の方が器用で要領が良かったが、残念なことに、岩見の方が頭だけは圧倒的に良かった。吉岡は、何をやらせてもソツなく「出来る」が、理論や法則などは理解出来ていない。単なる模倣と、あとは直感頼みだ。そういったセンスは抜群だった。
 一方の岩見は、何をやらせても鈍臭いくせに、理論の理解は完璧だったのだ。覚えたことは忘れないし、応用も効く。それがまた、二人を不穏な関係へと導いたのだが。

 師匠は、何度となく二人に「仲良く協力し合う関係になれ」と言い聞かせたが、その場では二人とも深く反省を示し、上手く取り繕う為、根本的な解決にまでは至らなかった。やがて、二人は歪な関係を、上手く隠蔽しながら過ごす術を覚えたようだ。
 また、その頃から師匠が体調を崩しがちになり、出社する回数も減っていたので、尚更目に付きにくくなっていた。いつしか、師匠も会社の人間も、「弄る」「弄られる」関係と誤認するようになっていた。なにより、岩見がへらへらと笑って対応しているので、なかなか見抜けなかったのだ。
 そのまま、二人の関係性に対して、社内の全員が盲目になっていた。誰にも見えない所で、「ちょっとした弄り」や「嫌がらせ」どころではない、時に金銭的な負担や精神的な迫害、そして、肉体的な暴力さえ伴う「虐め」に発展していたのに、私を含め、気付く者は一人もいなかった。
 後から思うと、岩見は笑顔を浮かべつつも、懸命にシグナルを発していたのかもしれない。しかし、結果的に、シグナルは誰にも届かなかった。ひたすら一人で抱え込み、我慢していたのだろう。
 そして、二年近く経ったある日のこと、ついに岩見は逃げるように忽然と姿を消した。二人の間に何があったのかを、詳細に綴った手紙を残して。

 法的には「社員」でも「従業員」でもないのだが、社内で慢性化していた虐めが発覚したのだ。残った男はクビにして、逃げた子に謝罪して呼び戻しましょう、と先輩方や事務員達が社長に進言したが、見事に無視された。社長の言い分は、耳を塞ぎたくなるぐらいに酷かった。
「確かに虐めは良くないが、虐められてた方も大人なんだから、自分で溜め込まないで誰かに相談すべきだったんだ。そんなことも出来ない根性無しは、どっちみちこの世界では生きていけないよ。それに、挨拶も連絡もなく、突然いなくなる辞め方は、自分勝手で社会人失格、うちには不要な人材だ。そもそも、一方的な置き手紙だけだと、本当に虐めがあったのかも疑わしいよ。単なる被害妄想じゃないの?」
 虐めた本人が、行き過ぎた「弄り」があったと認め、威圧的で横柄な態度で接してしまっていた、と反省しているのに、「虐めがあったのかも疑わしい」「被害妄想」なんて発言は、あまりにも無責任だし、腹立たしく思ったものだ。

 ただ、虐めのことは一度棚に上げて、「この世界では生きていけない」との予測だけ切り取ると、残念ながら私も同意出来る。彼は、あまりにも受け身で消極的でおとなし過ぎた。もっとがっついて学ぶ姿勢がないと、技術なんて身に付かないし、口数が少な過ぎると接客も出来ない。第一印象が暗いと、客は敬遠する。自分の意見を持たない人の技術や知識は、逆に信用出来ない。
 岩見には同情するところもあるが、確かに彼はこの仕事には向いていない。技術者は、知識や技術力だけではダメなのだ。他のほとんどの職業と同じで、結局は「人間力」が最も大切なのだ。そう考えると、岩見は他のほとんどの職業にも向いていないことになる。可哀想だが、それが現実だ。
 だからと言って、残った吉岡が優れてるとも思わない。アイツの本質は、要領がいいだけのチャラ男だ。今でこそ、反省して大人しくしているが、決して本心ではないだろう。

 また、ここ数ヶ月は師匠がめっきり不在がちになっていたので、吉岡はそのことも不満に思っていたようだ。たまに顔を出しても、師匠を独占出来るわけではないので、吉岡にとって、岩見は邪魔者でしかなかったのだ。岩見に対する虐めも、そのことが遠因になっていたことは間違いないだろう。
 確かに、この会社の研修生の「労働条件」は、現代の日本社会とは思えないような奴隷並みの劣悪さ。それでも、師匠に師事して学べることが、どれだけ貴重な体験なのかは理解しているので、その引き換えに、全ての不条理を容認しているのだ。
 なのに、その前提条件が崩壊している上、研修生は二人いたのだから、学ぶ機会は当初の予定より激減していた。岩見がいなくなっても、師匠があまり来社しないことには変わりない。だから、他の条件も見直して欲しい……吉岡は、口にこそ出さないものの、そう考えているようだ。確かに、私も研修生経験者として、吉岡の考えは全面的に理解出来る。だからといって、彼が岩見にしたことは正当化されないが。
 師匠のいない日は、私の先輩が彼に技術を教えているのだが、当然ながら師匠ほどのオーラもカリスマ性もない。「師弟」ではなく上司と部下なのだ。「技術」を教えているのではなく、「仕事」を教えているにすぎない。実際、先輩も単なる業務の一環として面倒を見ているだけで、吉岡のことを真剣に育てるつもりなんてないだろう。
 結局のところ、社長も師匠も吉岡も、それにきっと私も先輩も、皆んな自分のことだけが大切なのだ。



 師匠と吉岡だけで暮らすことになると、庭付き一戸建ては明らかに大き過ぎた。しかも、ここ数ヶ月の師匠の来社は、二日ほどしか来ない週がほとんど、全く来ない週もあるぐらいの頻度なので、吉岡の一人暮らしのような感じになっていた。会社の判断ミスに過ぎないのだが、零細企業のクセにそんな寮の為に、毎月何万円ものローンと高熱費を経費で支払っているのだ。私を含めた他の先輩社員からも不満が噴出した。何故アイツだけ会社の金で「家」に住ませてもらえるのだ? と。
 そもそも、楽器業界なんて然程儲かる職種ではない。しかも、ピアノに特化した工房となると、同年齢の一般職の人から見ると、馬鹿らしくてやってられないような低賃金だ。もちろん、私も先輩方も例に漏れず、正社員とは言え悲しくなるような薄給だった。実際に独身の社員は、皆せいぜい2DKのボロアパートで慎ましく生きていた。
 それでも、仕事は楽しいし、やり甲斐は感じていた。そう、好きじゃなければやってられない仕事なのだ。収入とやり甲斐を天秤に掛けた時、慎重に吟味しても、やっぱりこの仕事の継続を選んでしまうのだから、ある程度の諦念はあった。そんなもんだと納得もしていた。それなのに、ろくに仕事の出来ない新人研修生が、技術を学びながら会社の経費で一軒家に住んでいるなんて、流石に間違っているだろう。
 私たち社員は結託して、社員全員に住宅手当ぐらいは出してもらえないのか? と会社に要求することにした。しかし、会社は受け入れてくれなかった。それなら、せめて無駄な経費を削減すべきではないか? と訴えかけたが、これも「将来を見据えた計画の必要経費だ」の一点張り。社長と従業員は、その後も何度も話合いを重ねたが、険悪にこそなれ、歩み寄ることはなかった。いや、社長と社員の間に、決定的な亀裂が入ってしまったと言えるだろう。
 そして、ついに恐れていたことが起きた。四人いた私の先輩技術者のうち、独身の二人が会社に嫌気をさして辞表を出したのだ。技術者だけでない。長年勤めていた渉外担当の事務員も、「もう限界よ」と言い残し、退社した。更に、一人だけ在籍していた営業も辞表を出した。会社は、内部から崩壊しようとしていたのだ。
 それでも社長は過ちを認めなかったし、辞めたいヤツは辞めろ、と引き留めもしなかった。残された社員にも、既に会社への恩義や執着はない。生活の為に、若しくはただ面倒だから、残留を選択したに過ぎない。
 どっちにしても、残されたメンバーで仕事を回さないといけない。先輩技術者の一人は、技術の仕事は最低限の外回りだけに絞り、営業と渉外を兼任することになった。もう一人の先輩技術者は、フル稼働で外回りだけに専念しないといけない。技術者上がりの社長まで、週に数件だけ外回りを行うことになった。
 幸か不幸か、私は工場長の役職に就かされた。と言っても、工房ワークに専念するのは私と吉岡だけだ。時々、師匠が来社している間は、師匠の指示に従い、吉岡の指導も師匠が行うのだが、基本的には私が工房の全てを取り仕切り、吉岡の面倒を見ないといけなくなったのだ。
 新しい体制は、空回りと失敗の連続だった。外回り調律も営業も、他社とのやり取りも、継続性が大切なのだ。せめて引継ぎが行われていればまだしも、ブツ切りでの交代劇はスムーズにいかなくて当然だ。そもそも、トータルで四人も減ったのだから、マルチタスクからは逃れられない。吉岡以外の全員が、明らかなオーバーワークで心身を擦り減らし、社内の雰囲気はピリピリとしていた。
 そんなゴタゴタに何とかケリを付けようと動いたのは、会社でも社員でもなく、師匠だった。

 師匠は、書類上は契約社員だった。勤務日数を日当で掛けた報酬、プラス滞在時の諸経費を条件に、修理業務をこなしながら研修生の育成に当たっていたのだ。しかし、滞在時の居住施設が原因のトラブルが発生した以上、今までのような条件での業務継続は不可能だと言い張った。
 また、師匠は、二人と同居しておきながら、険悪な関係性を完全には見抜けなかったことに罪悪感も覚えていたのだ。もっとも、師匠は二人の保護者ではない。それに、プライベートへの関与は師匠の責務ではないのだが、やはり後ろめたさは感じてしまうのだろう。そして、師匠も退社を申し出た。いや、正確には「引退」だ。
 この会社の技術的な評判は、ほぼ全て師匠の名声によるものだ。それに、私も残された二人の先輩も、会社や社長ではなく、師匠との繋がりを大切に思っているのだ。要するに、師匠が居なくなると、この会社には全く価値も魅力もない。それを知ってか知らずか、社長は様々な折衷案を提示して、何とか師匠の引退を食い止めようとしたが、師匠の意志は変わらなかった。
 私は私で、何度となく師匠に電話してみたが、翻意させることは出来なかった。そもそも、高齢の師匠にとっては、「引退」の二文字は数年前から頭にあったそうだ。タイミングを計っていた矢先に発生したトラブルに責任を痛感し、体調を崩しがちになったことも重なり、モチベーションを完全に喪失したことが一番の理由らしい。決意は固く、翻意させるなんて出来そうになかった。それどころか、逆に私が師匠に退社と独立を促された。

「技術屋なんて、雇われてやってても面白くないぞ。特にこの会社は狂ってる。フリーランスで自分のやりたいようにやりな。今本君なら、頑張れば何とかやっていける。確かに、今本君まで辞めたら会社は大変なことになるよ。そういう気掛かりがあるのも分かるが、もっと自己中に生きてもいいんだよ。今を逃すと、ズルズルと辞められなくなるぞ……」

 電話では、師匠にそんな話を切り出された。とてもありがたい話で、私にもようやく「退社」という言葉が脳裏にチラつくようになったのだが……残念ながら、師匠は一つだけ間違っている。
 私には、会社のことを気に掛けるような優しさも忠誠心も全くなかった。独立なんて考えも付かなくて、単に職探しや生活基盤の変化が面倒なので残っただけだ。自分が辞めたら会社かどうなるか、なんて心配は全くしていない。
 それよりも、「もっと自己中に生きていい」という言葉が脳裏にこびり付いて離れなくなった。師匠の真意とは、違う受け止め方をしたのかもしれないのだが。


(次章)》》