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春の便り
昨日、雫石の友達がちょうど見頃のタイミングで小岩井の一本桜の写真を送ってきてくれた。
※タイトル写真は2018年雫石の公園より岩手山
その日の朝の雫石の岩手山の空気が伝わってきてすごく良かったし嬉しかった。
もう桜のシーズンは終わったつもりでいたけれど桜前線は北上中だったのだ。
なんだか最近はゆとりがなかった。
つまりアソビがない。
で、友達と遊ぼうと思うのだけど躊躇してしまう。
そもそも、少年時代から友達の家には自分から遊びに行けないタイプだったのだ。
いつも誰かが遊びに来るのを待っていたのだけど当時はそれでも孤独になることはあまりなかった。
それから青年時代は友達の状況なんてSNSなんてなくても手に取るようにわかったものだ。
四六時中、誰か一人とでも繋がっていれば友人達全員の状況が見えていたと思う。
ところが今は状況が見えにくい。
それぞれに家庭があって親業も仕事も忙しい盛りだし。
でも、ほんとは状況なんてあまり重要じゃないのかも知れない。
僕はプログラマーで、職業柄、必要な情報を予め知っておくことは手数を減らす良い手だと思っているところがある。
だけどその行いが何かのために行う手段ではなく、その行いそのものが目的だったら、例えば春の便りのようなコミニュケーションなら、そんなことはヤボなことなのかも知れない。
「ねえ、ガマガエルくん。今からお便り出していい?めいわくじゃないかなぁ」
というお便りなんて。
必要なら後から手数を増やして、より深く理解に近づければ良いし、その手数そのものが楽しかったりもする。
そうであるなら今回のようにバシッと電撃に打たれたかのごとくたった一発で心を掴むなんてことがあるのだ。
春の風は気ままに吹いて僕らに心地よい。
それで本題です。
このピアノ曲は、8年前、第二の音楽人生を始めた頃に即興で作った曲です。聴いてください。
この曲で僕はまだやれると感じたのだった。
これは後付けなのだけど、この曲を聴くと岩手山の雪解けの風景がふと浮かび上がりました。
岩手山から大きな鷲が飛び立ち遥か上空へ
町をゆっくりと俯瞰すると方向を変えて滑空
森の木々の間を抜けて雪解けの川へ
そこに集まる小動物達の歌を聴き再び空へ
そんなGoProで撮影したような光景が。
これからまた第三の音楽人生を始めようかと思ってます。
あ、ちなみにアートワークの絵は当時フラクタルCGのソフトで描いたものです。何だって好きなことをやってるのが一番のアソビです。
随分と遠回りしてるけど。
令和4年4月30日 春の嵐のあとで
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