#部活の思い出(友達に流されるとまずい場合の話)
部活の思い出、かあ……
嫌な方は、バドミントンのラケットを片手に見上げてた体育館のステージ隣の白いアナログ時計。
早く時間過ぎないかな、て年中思ってた記憶。
もともと私は、中学で部活動はしたくなかった。土曜の午後に習い事をしていて、しかも場所が遠くにあるJR駅の反対側の隣町(今は合併してるけどね)。学校と、当時の自宅はバスの路線が違ってて、学校の方が駅から遠い。でもって学校と自宅も2キロくらい離れてる。
この習い事が、私は好きだったんだな。そして、学校と別の世界を持てていたのは、学校に馴染めなかった私にとって良いことだったかな。
それでも平日の放課後は暇だったから、顧問の先生にやや丸め込まれて? バドミントンを始めてしまったのだ。友達も入ってたし。
説明を勘違いしてラケットを買い間違えるとか長い話も多い。夏休みの練習は行きたくなくて行かず、2学期の部活はいづらさ最高潮。夏休み途中には習い事の方で年に一度の大イベントもあったし。
毎週土曜13時、先輩に部活を休むと言いに体育館に出向くのが恒例になった。これは凄いストレスになった。こういう、板挟みみたいなは未だにめちゃくちゃ苦手。これは、他のnote記事を読まれた方なら想像つくかな?
正直、部活動をやれという同調圧力みたいなものがあったのは当時既に嫌だったし、しかも千葉県の旧東葛飾郡という、強い部活が校内に、確かひとつもなかったはずだが、四六時中練習してたように思う地区。現代ブラック部活問題とされる話の一端かねえ。
2年生になると、体育館でシャトルを打つ機会が増えた。狭いスペースで1人打つと、次の奴に入れ替わる。冒頭の、壁の時計を見上げるのはそんな時間。
練習すれば少しは打ち返せるようにはなるけども……
そして毎週土曜13時、先輩に部活を休むと言いに体育館に出向く。
夏休み、やはり途中まで習い事が忙しく、部活をサボってたら、2学期にはすっかり居づらくなっていた。
次になにやるか。漠然とバスケットボールと言っていた。
今思うと、中1の晩夏以来、当時りぼんで連載されてて人気だった「月の夜 星の朝」という漫画が大好きになってたから、やりたくなっていたのだろう。練習キツイよ、と言われたが、それを実感したのはとある日曜日の1回だけだった。
3点シュートがルールに入ってすぐの頃かな。
これの練習は楽しかった。
楽しかったけど、バスケ部を引退して初秋、コバルト文庫にハマって、小説を書きたくなってしまう。高校のバスケ部顧問に勧誘されたが、小説を書きたいからと断った→これは、後に少し悔いた。ちなみに進学した高校は、中学の近くにあって2度ほど練習に行ってたので顧問に顔を覚えられてたのだ。入学前の春休みに練習に参加させてもらうという経験もしたような記憶がある。という流れを書くと誤解されるかもしれないが千葉県立高校でした。地域限定でも生徒の勧誘には動いているわけです。最近これを思い出してみて、日本中に名前の知られた学校は生徒集めもスケールが違うだけなんだな、という考えに至りました。
友達と同じ部活動を選んでも楽しいと思えないこともあるから、選択にあたってよく考えた方が良いかもね。ということで終わります。最後までお読みいただきありがとうございました。出来れば他のもお読みいただければ幸いです。
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