連載:タッタ君ふたたび 感想 18回目

今日も朝からSNSで盛り上がってしまった。病人やってるうちにタッタ君を終わらせてしまわなくては。
もう18回目。
今回も下書きした箇所があります。

その86 ナンセンス
年賀状の季節がやってきた、という書き出しで始まる。
子供時代のタケカワさんは年賀状作成にとても力を入れていたらしい。このエッセイの頃になると、珍しく送ってきた方にお返事を書くくらいしかしてないけど(そういえば我が家は子供時代は後者だった記憶)。創造性を発揮していたようだ。
内容はナンセンスなものだったのだそうだ。
これはその85からのつながりかもしれない。
私はこのところ、本を読んでいて、ここもっと適切な単語があるんじゃない? と思うことがちょいちょいあるが、このタッタ君ふたたびは、それがかなりあった気がする。執筆活動(言い換えた!)の発表の場が国語の作文か放送劇のシナリオだった、ねえ。この辺を80年代と比較する箇所が後にやってくるが。
反応は苦笑いで帰ってくるとのこと。
そりゃそうだわな。
80年代は小中学生にも発表の場が開けているようだ、と語っているから何かと思えば、漫画雑誌の投稿ページのこと。
あーっ! ジャンプ放送局だ! と再読して思い出した(初読時は目が縛ってたなこれは)。
この頃になると、雑誌に載るのを意識しすぎて内容は面白くないが、投稿者のペンネームは常識を逸脱していて嬉しいと語る。具体例を挙げているがここでは紹介しない。具体的な名前の紹介例を見て不覚にも笑ってしまったので、私にもナンセンスで笑うセンスがあるのね。ラジオの投稿にも通ずる(1人この手のことに血道をあげている人が本アカの相互にいるな)w
ラジオの深夜放送に手紙を送った経験の話になった。デモテープと一緒に送って、テープは採用されて曲はオンエアされたが手紙は読まれなかったようだ。これもナンセンス路線で押したらしい、そしたら不採用。
ひょっとして、ナンセンスな文章って、相当レベル高くないと大受けしないのでは!? と思い、以下のことを思い出した。
おととし亡くなった女優の中村メイコさんのお父さまは、中村正常さんとおっしゃって、ナンセンスユーモア作品を書く人気作家でいらしたらしい。落ち着いたらこの方の作品を読んで、自分のナンセンスへの適性を調べてみよう。
閑話休題。
理解されなかったことがこのエッセイを書く原動力になってるのかもしれないと綴る。ファンとしてもなんだかなーという気になるあたりだ。
更に、高校時代にも同様のことを理解してもらえずほとほと困り果てたことがあった。
高校に入学したタケカワさんは、放送部に入部した。放送部は、自分の担当曜日の放送原稿を各自が責任を持って書かなくてはならない慣わしがあったという。
タケカワさんは天にも昇る気持ちで、先輩たちの前で台本を書いた。先輩たちは僕が台本を読むのを聞いて大笑いしながら、「お前、ほんとうにこんなのを流すのか?」と言う。
タケカワさんはこれを褒め言葉と受け取ってしまったらしい!
結局その台本を読んだ結果、タケカワさんは放送部をクビにされたとのことだが、この時の台本を読みたいと思うのは僕だけではないと思うと30年後から書いているのだから大した自信だと思う。
私はそれを読ませてもらうのは、適性を確かめてからにしようかな。

その87 ザ・ヒューマニスト
新井素子ファンの皆さまお待たせしました、って、大々的に書くのは怪しいかな?
とにかく私は、これを読んで、新井素子の大きな壁の中と外、という作品を思い出したのよ。
閑話休題。
これは、タケカワさんがハタチくらいの頃に書いた戯曲だそうな。楽器以外でもなんでもやるなー。某占い屋に色々手を出しすぎとか言われるわけだ(この占い屋、一時期うちの母親が凝って、よく著書を買ってたけど、私は大嫌い)。
このエッセイから遡ること数ヶ月前に、久々に戯曲を書こうとして、ブランクで筆が進まないので、昔の原稿を見てカンを戻そうと読んだら結構面白かったのだとか。
その中で特に気に入っているものが、この回で公開した内容で、タイトルもそのタイトル。ただし英語表記。
では。
食糧難の時代で、ある夫婦が、夫の父である老人に、「私は人類の食糧危機を救うために、協力を惜しみません」と書かれた書類にサインすることを要求している。
見当のついた方もいるだろうが、人肉が当たり前に食べられている状況なのだ。
先に書いた、大きな壁の中と外、という話は、ヒトタンパクなんて単語が当たり前に出てくる。所収しているあたしの中の……というコバルト文庫は、手が届くところにないし、探してる時間も読み返す時間もないから触れるのはこの程度にしておく(あ、新井素子でこの手の話題といえば、ユーミン聴きながら旦那をスープにするひとめあなたに……もあったよね)
話を戻す。
改めてどういうことか、セリフの中で説明してくれているので、それを一部抜粋すると、「我々の食べる物は、老人と胎児ぐらいしか、残ってないのですヨ」と21世紀でも恐ろしいことを言う。60歳以上には人権がないとまた恐ろしい発言が(これには、60歳当時のタケカワサン、30年後から怯えていた)。
食べられたくない老人と、サインさせたい夫婦の攻防、そして続きにキャラクターが出てくる、という。話の内容がグロテスクで誰にも見せられなかったが今やったら受けるのでは、とも語っている。
まあ、新井素子平気なヒトなら受けるかなー、と思った私でした。
30年後からのあとがきは、自身が60歳を超えるとは思ってなかった頃のテレビでの会話。

その88 コンピューターの病
タケカワさんが、コンピュータでステージをやるようになる経緯と、夜毎機械をいじっている顛末。
浅野さんとのやりとりは読んでて楽しい。
楽器メーカーの新商品説明会に行き、紅茶とケーキを見て食欲魔人になったり。
新人アーティストの曲を作るのに四苦八苦したり、泥棒日記というアルバムの中の数曲を機械を使って演奏して大好評だったとか。
この回、目が滑ったのと、前の回が強烈だったので、印象が薄いんだよなー、音楽活動に関わる話なのに。
ごめんなさい。

その89 玉ネギ
タケカワさんが薬の類にうるさい話。
このエッセイ執筆時、タケカワさんはまた風邪を引いている。
具合が悪くない時は薬を飲まないという、常人の感覚は持っているとのこと。薬が好きだという書き出しだったが!
タケカワさんは、人間を、風邪を引いた時薬を飲む人と飲まない人に分けているらしいが、そんな基準の分け方は、私は53年生きてて初めて聞く。
人類が滅びる時の原因はたぶん風邪だろう、と本気で信じてる、とのこと。
てことは、コロナで人類が滅びるってこともありうるのでは!? という発想が、2025年の私の頭に浮かんだ。まあ、5類になってはいるけど、感染者がまた増えてるっていう話だものね。
閑話休題。
胃痙攣に悩まされた話になった。
胃が玉ねぎのようになってしまったのだ、と綴っている。
足が攣った時の治し方は知ってても、胃にはそうはいかない。
そこで医者にかかってブスコパンという薬をもらい、タケカワさんは、薬には本当に効く時間があるということを学んだ。
薬が切れるのがわかりやすいんだって。
で、同じ症状に悩まされた人に、多くお仕事で会ったけど、この中にこの痛みを医者に行かないで乗り切った人がいて、その人との比較で終わっていた。
30年後からは、風邪を頻繁に引いていたから大きな病気にならないのだろう、という話を読んで、元プロ野球選手の田淵幸一さんの、度々怪我をしてたから選手寿命が伸びたという話を思い出していた。
20:03追記 この、風邪が人類を滅ぼすという
発送については2025年の、コロナがまだ燻ってる今からの見解を聞きたい。

その90 バージン・ブルース
初めて映画音楽を担当した時の話。タイトルはその映画のタイトル。子供向けではないなあ。
で、この仕事、ミッキーさんと一緒にやるはずが、彼は諸々あって、以前からの友達だった寺尾聰さんと、レコードのプロデュースでハワイに行ってしまった。
なかなか帰ってこないで、ヒヤヒヤ。
その中で、インストゥルメンタル曲を作ったことがないことによる困難? にぶち当たる。
プロデューサーが、シンセサイザーやリズムボックスを使うという良いアドバイスをして、結果的に良かったけど。
オチまで読むと、ミッキーさんが運が良くて、タケさんが貧乏籤を引いてる、という感覚に陥るかもしれない。
で、30年後からの話は、このミッキー寺尾コンビのハワイ行きがゴダイゴ結成の大きな後押しになったこと。本文は目が滑ってた(既読の話もあったのもある)が、 ぶっちゃけ、こっちの方がインパクトがある。
というのも、たまたまミッキーさんが持ってた走り去るロマンのテープを2人で聞いて、寺尾さんがこの作品を気に入った。そして
「ミッキー、日本に帰ったら絶対こいつと一緒にやったらいいよ」と言ったと。
ね、インパクトがあるでしょ?

下書きというより、今回はツイートの引用でしかない。
なんか毎回毎回前半だけで時間と字数かかってる。
今回は、87が全部持って行った感。


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西山香葉子@べにすずめ
自分と大切なひとたちが幸せでありたいと思ってます。一部、共感できない方が幸せな内容もありますが、お読みいただいた皆さま、ありがとうございます。自立の助けと執筆環境の改良、資料の購入に繋がるのでよろしくお願いします。

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