うつ状態からの帰還 Episode 5(完結編)
モンゴルでの毎日
ウランバートルのホテルに宿泊したモンゴル到着日以降、テントやゲルに泊まる毎日なので、お風呂はもちろん、シャワーもない生活が続いていたのですが、乾燥していて空気が綺麗なせいか、肌がべたつくことはなく、頭皮も痒くなることはありませんでした。
普段から割と潔癖なところがあって、外出時のトイレはシャワートイレを探したり、非常用に携帯ウォシュレットを持ち歩くほどなので、渡航前の不安は撮影の過酷さより、むしろ日々の衛生面だったのですが、意外と大丈夫でした。
登山を伴う撮影日などは汗びっしょりになるんですが、高機能のインナーを着ていることもあって、すぐに乾燥してサラサラになるので汗臭くなることもなく、想像以上に快適に過ごせていましたし、夜になって寝袋に入る前に一通り体をウェットのボディタオルで拭けば十分でした。
トイレはほぼ野糞なのですが、本当に降ってくるような満点の星空の下でするのは最高です。モンゴルにももちろん携帯ウォシュレットを持って行っていたので、滞在中に唯一お尻だけはシャワーを浴びることができていました。
ホンゴル砂丘での撮影
モンゴルでの撮影も5日目に突入していました。その日の撮影はホンゴル砂丘でのシーンでした。モンゴル南部の中国との国境近くに位置する、モンゴル最長の砂丘です。
夏は観光客も多い場所らしいのですが、訪れた初冬は人がいませんでした。砂丘のふもとまではラクダに乗って移動します。もちろんラクダに乗ったのも初めてです。
ラクダで砂丘のふもとに着いてからは、高さ約200メートル程の砂丘を徒歩で登っていきます。下から見上げた砂山は巨大で、本当に人が登れるのか? と思う程急な斜面に見えます。登山や砂丘を登ることが事前に分かっていたので、渡航前に近場の高尾山にトレーニングに行ったりしていたのですが、所詮付け焼き刃のトレーニングで、普段からの運動不足を思い知ることになりました。
数日前の登山の時も、自分ではコンパクトにまとめたつもりだったのですが、登山するには多過ぎる機材をリュックに入れていたため、途中で足が止まってしまい、ドライバーをしてくれたモンゴルのフォトグラファーの方にリュックを背負ってもらい、遊牧民のガイドの方にも三脚を持ってもらい、自分はカメラ1台だけを持ってやっと登るという情けない状態でした。
ホンゴル砂丘に登る時も自分はカメラシステムだけを持ち、交換用のレンズや三脚はメンバーに手分けをして持ってもらいました。
砂丘を登るのは初めてだったのですが、想像以上にきつい体験でした。砂浜がそのまま急坂になったものを想像していただくと分かると思うのですが、一歩、また一歩と登っても砂と一緒にズルズルと落ちてきてしまいます。フォトグラファーの清水さんが「3歩進んで2歩半落ちる」とおっしゃっていたのですが、まさにその通りで、下りのエスカレーターを登るように、足元の砂がズルズルと落ちるスピードよりも早く一歩を出して登って行くことが求められます。
数日前の登山で、僕のブーツの靴底は削れて真っ平らになってしまっていました。体力のなさに加えて、ブーツが全くグリップしてくれないという悪条件が重なり、どんどん遅れ始め、他のメンバーとの差がみるみるうちに開いていきました。
下の写真は一番に登頂した清水さんが撮影された写真です。黄色のダウンを着ているのがモンゴルのフォトグラファーのヤマさん、下の方に小さく2人写っているのですが、一番小さい豆粒みたいなのが僕です。
この日のミッションは、ホンゴル砂丘に吹く砂嵐の撮影でした。夕方の日没前の限られた時間に吹く砂嵐を絶対に撮らないといけません。
自分の立っている場所からはるか彼方、砂丘の頂上に既に登頂しているメンバーを見上げて、心が折れそうになりました。既に体力は限界に達しており、ニット帽から汗が滴り落ち、足はガクガク、息はゼーゼー、心臓は脈動が聞こえるくらいバクバクです。ボトルの水も底をつきそうです。
絶体絶命の時に僕がしたこと
この時に自分に起きたことは、まるで奇跡のような、神がかったような体験でした。もう、一歩も踏み出す力も残っていないような状況だったのですが、
「絶対に頂上まで辿り着いてみせる!」
という強い意志が不思議と湧き上がってきました。でも体力はもうほとんど残っていません。無駄にもがくのをやめ、一旦立ち止まって、どうしたらこの絶望的な状況を打開できるのか、足元の砂を見ながら必死に考えました。
体力を奪う最大の要因は、踏み出した一歩がなかったことのように、足元の砂と一緒にずり落ちてしまうことでした。そこで足裏の体重のかけかたを色々と試してみました。足裏全体に均等に体重をかけて砂を沈ませないようにそろりそろりと歩くと、少しはましになりました。
ただ、この登り方は比較的緩やかな勾配だと効果があったのですが、勾配がきつくなってくると全く効果がありませんでした。しかも上に行いけば行くほど勾配は急になっていきます。
次に、擦り減って平らになってしまった靴底でどうすれば砂をグリップさせることができるか、考えました。
モンゴル渡航の数週間前に、過酷な撮影に備えてモチベーションを上げようと「MERU」という登山家のドキュメンタリー映画を観ていました。この映画のヒマラヤ級の登山のシーンでは、登山家たちがピッケルやアイゼンを雪山に突き刺しながら登っていたのを思い出しました。
そこで、砂山を強くキックしてブーツのつま先を砂に深く突き刺してみました。するとつま先が砂に固定されて、体重をかけてもずり落ちなくなりました。
「これなら行ける!」
という手応えを感じ、一歩ずつ、交互につま先を突き刺しては登っていきました。
1)右足のつま先を砂に突き刺す
2)左足を引き上げる
3)左足のつま先を砂に突き刺す
4)右足を砂から抜いて引き上げる
という動作を繰り返しました。この方法だと一回に進む距離はせいぜい半歩くらいなので、登るペースとしてはものすごく遅かったのですが、足が固定されることで無駄な体力を消費しなくなり、極端に遅いながらも、時にはジグザグにルートを取りながら着実に砂山を登り始めました。
そんな僕を上から見ていたメンバーは、途中から僕が休むことなく登り始めたので何が起こったのか、と思ったそうです。
この登り方を見つけてからは、前に進むことだけに集中して周りの景色など一切見ようともせず、無の境地で一度も休むことなく着実に歩を進め、メンバーから遅れること約40分、ついに登頂することができました。その時に眼前に広がっていた景色を、僕は生涯忘れることはないでしょう。
僕が登頂した時は既に日が落ち始め、それまでに吹き荒んでいた砂嵐は止んでしまっていました。しかしながら、その時の僕は根拠のない自信があって、絶対にもう一回砂嵐は来る、と確信していました。
そうして砂嵐を待つこと十数分、奇跡的に再び砂嵐がやってきて狙い通りのシーンを撮影することができました。無事撮影に成功した後は、砂嵐はピタリと止んでしまいました。まるで最後の砂嵐が僕の到着を待っていてくれたかのようでした。
奇跡的にミッションを完了することができ下山すると、僕のブーツはぱっくりと裂けてしまっていました。
絶対にあきらめない
ホンゴル砂丘でのこの体験は僕にとって非常に大きな、今後の人生にも影響を与えるような出来事でした。単に砂丘を登った、というだけの話なのですが、その時に自分が置かれていた状況と責任、様々な思いが渦巻いた中で成し遂げることができた自信は計り知れないものでした。
先の見えない、ゴールが全く見えないような状況でも、目の前のことを一歩ずつ、たとえ半歩でも進めることができれば、絶対にゴールに到達できる、やり遂げることができるんだ、という教訓と自信を得ました。
2020.2.25追記:
購入して一週間のブーツが裂けるほど過酷な撮影を行った映像が遂に完成しまして、2/12に公開になりました。OLYMPUSのYoutubeチャンネルでご覧いただけます。モンゴルの景色はなかなか見ることがないと思うので、是非ご覧ください。
うつ状態からの帰還
モンゴルで貴重な体験をして帰国した後だったのですが、インフルエンザからのうつ状態になってしまいました。
うつ状態を少しずつ克服できたのはEpisode 2で書いたように、少し仕事から離れ、何も考えずにできることをやってみることをして、まずは体を元の状態に近いところまで持っていけたからでした。
その次は、Episode 3で書いたSNSやメールチェックの時間を限定し、集中できる時間を確保しました。
こうして、体調の快復とともに少しずつ仕事に復帰していったのですが、長めのお正月休みをいただいたので少し勘が鈍ってしまい、最初のうちは仕事のペースをうまく掴めず、溜まりに溜まった仕事をどこから始めたらいいのか途方に暮れる瞬間もありました。
その時に、ホンゴル砂丘を半歩ずつ登ってやり遂げたことを思い出して、大して進まない日があっても諦めず、取り敢えず手を動かすことを、来る日も来る日も継続してみました。
そうして段々と仕事のペースを取り戻すことができ、仕事が回り始め、現在ではうつ状態を経験したからこそ、新しい習慣を身につけることができて、逆に良かったとさえ思うようになりました。
ご協力いただいた関係者の皆様と、側で支えてくれた妻に改めて感謝致します。
思った以上に長いエピソードになってしまったのですが、この体験を書いている最中にも同じような経験をされた方々からのメッセージをいただきました。
恐らく、程度の差はあれ同じような経験は誰でもしていると思います。その時に踏ん張れた人はラッキーですし、体調や様々な要因で踏ん張りがきかないと、うつ状態や、本格的なうつ病になってしまう可能性があるんだと思います。
僕もこの先はもう「うつ」になることはない、とは言い切れないので、この時のことを思い出せるように体験記として残しました。
お付き合いいただきありがとうございました!
Episode 1
Episode 2
Episode 3
Episode 4
※私は「うつ病」と診断されたわけではありません。過去の経験と自己判定により「うつの傾向」がありました。「うつ病」は心の病気なので治療が必要です。自分にも「うつの傾向」があり心配な方は、信頼できる医療機関を受診されることをお勧め致します。