見出し画像

カメラ沼は自分自身の中にある

なんだか浅いことを深そうに言っているだけのような気もしますが、前回の話を完成させておこうと思います。ちなみに私の note 記事のトップの写真は過去に自分で撮ったものからエッセイの中身に合ってそうなものを引っ張ってきています。「撫でられている他の猫を眺める猫」なんて自分の人生でこの先もう一度撮れることは無いような気がします。キヤノンの EOS M3 で 2017 年に撮りました。一つ前の千本鳥居はニコンの Z 6 で 2020 年です。

生活しているとあれこれカメラやレンズの情報っていろいろ飛び込んでくると思います。フォトヨドバシだったり情報サイトだったり、お気に入りのフォトグラファーの機材だったり、目に入ってあれこれ気になって仕方ないと思います。
世界のすべてがカメラだらけに見えてしまうことがあると思います。
(この時点で共感できなかったら…この記事を閉じて OK です。お目汚しすみません…)

カメラは物質としてそこにあるものなので、見誤ってしまいがちですが、カメラの購入というのは、その時の欲しいと思うあり方は自分だけで、手に入れた後使うも自分だけ(家族と共有もあるかもしれませんが)、という極めてパーソナルな体験なんですね。

この機能がいいとかこれがいいとか、たくさんの観点はありますが、それがいいかどうかは自分の好みと自分の撮り方次第。

これに気づいてからカメラやレンズを買うときは、「買う前に購入報告を下書きする」習慣をつけるようにしました。新しい機材をなぜ買ったのか、理由や期待を書き下します。自分が書いた購入報告を読んですっと読めたら購入 OK です。

繰り返します。「カメラやレンズを買う前に、買ったつもりになって、なぜ買ったのか、どう使うのかを文章に書き下せ!」

はてなブログの方にはこの自問自答の歴史をずっと書き下していまして今見たら 228 記事もありました。我ながらちょっとおかしいと思いますね。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?