しあわせな「折り合い」の日々
「揺れて歩く」を読んで
◯たわいもない日常
看とりまでの話であるにも関わらず、うらやましいほどに、しあわせなコミュニケーションが本にされている
それが読み終えた最初の感想だった
この本は作者の清水哲男氏の両親の暮らしの様子からはじまる
お母さまの方が5歳年上。お二人の馴れ初めは本の中には登場しないが、多分この時代には珍しい大恋愛だったのではないかと歳の差だけで予想した
(勝手な妄想です)
女学校を卒業してから人知れず歌を読み、主婦として生きてきたお母さま
6代続く指物師として職人として生きてきて、そして自分の代で幕引きを決断された腹のすわったお父さま
このお二人の中で育った清水さんは多分職人と歌人としてのDNAを引き継いで、今の仕事を生き方として選んでこられたのかも知れないと思う
そんな親子3人の関係性とコミュニケーションが美しく温かく哀しい…
166日の記録
ともに白髪になるまで…と結婚式の祝いの言葉で言われるが、その時期までふたりで生きていられることもある意味奇跡だ。
家族になり家族が増え、巣立ち巣立った先で家族を作り、次の世代へ命が繋がれ、2人の生活が日常になり、さらに深まる時期までをともにいかに慈しみ過ごしてこられたかがわかる冒頭からの章
2畳の生活空間でされる会話から滲み出る
子はいくつになっても子
夫婦のあり方もまた、いくつになっても変わらぬ間合いがある
それを作者の清水氏も察しているからこその写真が、文章とともに綴られていた
まずグッと2人の暮らしに引き込まれた
◯ギアチェンジ
物語の中盤。
ある意味強制的に日常がギアチェンジされていった
ガンの宣告
私はこれでも看護職の端くれで、様々な暮らしの中に登場人物の一人として同席させて頂くことがあるが、その日の医療職の関わりはとても辛かった
嬉々として病気を語る…
知っている知識を伝えたいという思いが先に立っていることを気づかないまま話している…
自分もそんなことをしていないか心配になった
人は良かれと思って自分の知識を伝えることがあるが、それが相手にとってどんな意味になるものなのか…
この先を伴走し仲間になって過ごすものは考える。
しかし仲間ではなく批評し評価するものにとっては、その情報の持つ意味はあまり関係ない。
情を伝えるのではなく情報を伝えるのだ。
主役はだれか…
医療や福祉に携わるものは人生のギアチェンジに関わるのだということを実感し、あり方を考えさせられる場面だった
◯愛のある折り合い
旅立ちの日までのお父さまは間違いなくお母さまのために生きた
息子のために生きた
写真はその人との関係性が本当に如実にでると思う
職人としてファインダーを構える息子を嫌がらずありのままを見せ続けた父と母は職人であり職人の妻であった
そして息子は不肖と言いつつ、その両親の日常の機微を感じつつ写真を撮り文章を書いた
なんと幸せなコミュニケーションだろう…
不器用に希望を伝える父
その希望を汲み取りつつ、時に辛くなる日常を過ごしながらも歌集を出す母
父の希望通りではではないが、父らしくあるために親不孝かもと思いつつ決断する息子
最期の場面。電話で語る姿に心が震えた
何が正しいかはわからない…
「愛のある折り合い」の様子が最後まで描かれている
今、お母さまは清水さんのもとにこられているとのこと
お父さまが生前に息子のところに行くと言いながら身の周りの整理をされた
その言葉を事実にしたかったのかもとも思った
まだお母さまはお父さまに恋し続けてるのかも知れない
この物語はまだ続いている
「人は二度死ぬ」と言われる
生物的な死と、その人を知っている記憶を持つ人がいなくなる時の死
ある意味この本の中でお父さまは生き続けることができるようになった
せつなくもしあわせな折り合いのある日々を、ご家族の記憶だけでなく、人々の妄想の中で生き続けるのかもしれない