カレーのボキャブラリー(カレーのパースペクティブ#5)
カレーを、世界を作っているのが言葉だとしたら、カレーを表現している言葉に着目することが、「カレーとは何か」という問題を考える一つのヒントにならないだろうか。
今回行った対話には現役のカレー屋さん、ライターさん、ポップアップ料理人、サラリーマン、美大生...などなど多様な立場の人が集まり「カレーを表現するための言葉」について対話を行った。
カレーを食べた後、あなたはどんな言葉を使ってそのカレー体験を表現するだろうか?自分は、「ドンシャリ」なカレー、「脳を揺さぶる」ようなカレー、などと表現したりする。
今回は、そんなカレーの表現に着目した対話です。
カレーのボキャブラリー
哲学対話を通して「カレーと人間との関わり」を考えていく前代未聞のイベント「カレーのパースペクティブ」も第5回を迎えた。
第5回のテーマは「カレーのボキャブラリー」と題し、人間がカレーを表現する際にどのような言葉を使っているのか、ということをテーマとして対話を行った。
元々はカレーの食体験の表現としてどのような言葉を使っているのか、具体的な事例をできる限り集めてみようという趣旨で始まったのだが、いざ始まってみるとカレーの評価軸の話や味を伝えるコミュニケーションの話など、自分たちがカレーというものをどう評価し言語化しているのかという問題に行き着くことがわかった。
カレーのパースペクティブとは?
カレーについて考えたことのある人なら誰でも参加可能な対話イベント。カレーについて、「対話」を通して様々な角度から探究していきます。
過去のアーカイブはこちらのマガジンにまとめてあります。
このnoteは、「カレーのパースペクティブ 」プロジェクトにおいて行われた、カレーにまつわる哲学対話の個人的なアーカイブである。
以下の内容は実際の対話とは関係なく、登場人物は全て記号化された架空の人物である。
カレーの表現に着目するそれぞれの理由
司会:みなさまご参加ありがとうございます。今回このイベントには現役のカレー屋さん、ライターさん、ポップアップ料理人、サラリーマン、美大生...。様々な立場の方が参加されていますが、あなたがカレーを表現する言葉に着目する理由はなんでしょうか?
料理人:自分はカレーをイベントなどで作り、人に振る舞う機会も多いのですが、本番で作るときには練習で作ったものを再現しなくてはいけない。再現性を高めるために、目指す味をきちんと言語化することが大切だと思っています。
ライター:ライターという仕事柄、表現ということにそもそも関心があるのですが、カレーに関する語彙を広げることにも興味があります。
カレー屋:カレー屋なのでカレーを日々作っていますが、自分は音楽が好きなのでカレーを音楽に例えて表現することが多いです。例えばカルダモンやコリアンダーなんかは爽やかというか、きらびやかな高音という印象がありますよね。聴覚と味覚の相関関係、みたいな話ができたら面白いかなと。
「ドンシャリ」なカレー。音楽とカレーの表現の共通項
司会:いま、カレーを音楽で例えるという話が出ましたけど、自分もカレーに対して、そういう音楽に例えた表現をたまに使います。「ドンシャリ」とか、「ラモーンズっぽい」とか。
美大生:「ドンシャリ」ってなんですか?
カレー屋:ドンシャリ、わかる気がします。ドンシャリはミドルが弱くて低音と高音が強調されたギラギラした感じの音ですが、ミドル、つまり出汁感が少なく渋い香りと軽やかな香り両方が上手に立っているカレーの特徴を表しているな、と。
スパイスって、音域のようにハイ/ミドル/ローでなんとなく分類できると思っていて、例えばさっき言ったカルダモンとかコリアンダーみたいな爽やかなものは高音域(ハイ)。で、カシアとかクローブ、ブラックカルダモン、黒焦げにした唐辛子なんかはローというかベースの低音域に例えられるんじゃないでしょうか。
料理人:ブラックペッパーとかもハイですかね。嗅覚味覚と聴覚の相関、あると思います。軽やかな香りのものって分子が軽くて、実際飛んで行きやすいんですよね。
カレー屋:いつも同じように作るんだけどぶれる時もあって。「今日はカルダモンの高音を強調したいかも」って感じて、気分で日によってスパイスの配合変えてますね。あと音楽関連で言えば大阪スパイスカレーのお店はバンドを組むノリでやっている人たちが多い気がします。だから創作っぽい自由で楽しいカレーが多い。
司会:ジャズ的なカレーっていうのもあるんですかね?
美大生:カレーって音楽好きな人がなぜか多いですよね。音楽もカレーもその場で消えるものなので、感覚の中で瞬間的なハーモニーが生成・消滅していくのが似ているのかもしれません。
料理人:スパイスが立ったカレーを表現する場合の語彙として、クラシックよりはロックだったりパンクだったりといったノイジーな音楽をイメージするのは、味以外の雑味が強すぎてとにかく刺激が強い、というのがありそうです。カレーはすぐ味が飽和するというか、「落ち着いて食べられない」料理だなと思います。
「脳に来る」カレーは文学作品の評価に近い
司会:友達でめちゃくちゃカレー食べ歩いている人がいるんですが、おいしいカレーを褒める言葉として「脳」をよく持ち出すんですよね。「脳に来る」とか「脳を揺さぶる」とか。
美大生:「ヘヴン状態」ってやつですね。
司会:カレーの作り手としては「脳に来る」はその人の深い所を掴んだ感じがして嬉しいですね。大衆的なカレー店だったら平均点を取れればいいんですけど、個人店としては10人中2、3人が「脳に来て」くれて、また食べに来てくれたら嬉しいですよね。そのためには一回で爪痕を残さないと、と思うんですが、対面なのでお客さんの食べ方やお会計の時のリアクションでわかってしまう。その人の目に力や輝きがあるんですよね。
料理人:本で読んだのですがインドに「NO MASALA」という言葉があり、スパイス感が感じられないときにけなす言葉だそうです。これはスパイスレスで「脳に来ない」ってことですよね。
先ほど大阪スパイスカレーの話が出ましたけど、そういう現地・原理主義の方とは語彙も違って来そうだし、整理されてない感じがあります。
カレーって、別に現地に寄せて再現することを目指す食べ物じゃないですし。
ライター:ウイスキーやワイン、コーヒーなんかはテイスティングの文化がある程度確立していますけど、確かにカレーは整理されていないかも。
カレー屋:ワインやウイスキーはカレーに比べて味がある程度は決まっているのでは?カレーの振れ幅は大きすぎて一概に評価できないですよね。あとカレー屋をやっててよく聞かれるのは「このカレーはどのくらい辛いですか?」という質問。そんなにカレーに詳しくない人は「辛さ」への着目が多い気がする。
司会:品評という意味ではカレーのグランプリがあったりしますが、投票で決まる1位って結局大衆的なカレーに落ち着いちゃって自分の一番とは一致しないです。評価軸がたくさんあるカレーでグランプリを決めるのは難しい気がしますね。
料理人:でも「脳に来る」ようなカレーがグランプリになっちゃうのはやばい感じがしますねw
ライター:カレーの評価は文学に近いのかもしれません。ベストセラーの本が自分に良い本だとは限らない。芥川賞とったからってベストセラーとシンクロしてるわけじゃないですしね。ワインとかに比べると構成する要素が複雑なので、料理全般そうだと思いますが、カレーはアートの領域に入っているかもしれませんね。特にカレーは要素が多くて複雑だと思います。
司会:ワインソムリエの表現とかは参考になりそうですが、いつかそういう評価軸のマップみたいなものも作りたいです。
カレーで「「給油」」する
美大生:個人的な話になりますが、人体を車、カレーをガソリンだと捉えているフシがありまして。スパイスがバシッと効いた満足感のあるカレーは「燃費がいい」ですが、普通のルウカレーみたいな、あまりグッと来ないカレーだと満足できず、「燃費が悪い」と言ったりします。
料理人:単純なカロリーの問題というよりは、食べたものに対して供給される元気の量みたいな話ですかね?
美大生:そうですね。同じクロワッサンでも専門店とコンビニでは同じカロリーでも心の満たされ具合が違うというか。
ライター:ガソリンで思い出しましたけど、カレーに関して面白い表現だと思っているのは、「給油」という表現。主にパキスタン料理を食べる時とかに使われる言葉なんですが、表面に油が1センチ浮いてたりするニハリなんかを食べるときに使ったりする。
料理人:和食ではそこまで油が多い食べ物がレアだからこその表現なのかもしれませんね。日本人は根本的に油への抵抗感を持っているというか、センシティブなのかもしれません。食べ慣れている現地人が見たら特に抵抗なく美味しそうと思うのかも。
司会:そうやって半分ふざけて使っている言葉に自分たちの罪悪感やら価値観やらが見え隠れしているのが面白いですよね。
カレーを語る言葉は多ければ多いほどいいのだろうか
料理人:ところで、カレーを語る上で表現する言葉は多い方が良いと思われますか?
カレー屋:多い少ないとは違うのですが、辛さだけではなくって、食べる前にお客さんに味が適切に伝わるような表現ができたらいいなと思います。一つは素材に着目して伝える方法があるかなと思っています。重厚感のあるシナモンを使っていて、とか、獣っぽいカレーです、とか。 もしくはハーブ系の香りがしっかりしたカレーです、とか。でも結局難しい。
司会:カレーに限らずですが、語っても語っても言葉の網目からすり抜けてしまっているようなところがあって、もうカレーについて語るのやめようかなと思う時があります。
ウィトゲンシュタインの「語り得ぬものに関しては沈黙しなければならない」ではないですが、カレーの美味しさはまさしく語り得ない「主観的価値」の領域に入っているから、カレーの美味しさは語るものではなくて「示すもの」なのかもしれない。御託はいいから黙ってカレーを作れよ、と自分に思うときがありますね。
美大生:単純に友達とおいしい気持ちを共有したいときに、カレーを食べる専門の人の間での共通の言葉があったらいいなと思いますね。「このカレーなんか好きだな」という漠然とした気持ちから一歩進んで、思考を深めて喜びを共有する言葉が欲しいので、カレーに対してカジュアルに使える言葉は多い方がいいなと思います。あと、カレー屋さんに感動を伝えたい。
料理人:なるほど、ありがとうございます。自分はカレー作りに再現性を求めるので、なるべく細かく描写できるようにできるだけたくさん言葉を使って解像度を上げ、記憶に固定化しやすくしたいんですよね。香りの表現とか数値化できないようなパートがたくさんあるので、覚えておくための言葉が必要という感じですね。
カレーに関するお気に入りの表現
司会:最後に、それぞれの参加者に、カレーを表現する上でお気に入りの表現を挙げてもらいましょう。
「抜け感のあるカレー」
ファッション用語でも使われるような言葉。都会っぽかったり、あえて外しているような感じ。
「ヘヴン状態」
というものをカレーを食べて体験したことがないので気になる。
「カレーかわいい〜、いいよ〜、仕上がってるね〜!」
とかボディビルの大会、アイドルの撮影会のように声をかけながらカレーを食べたい。
「脳に来る」
カレーを食べる上で最高の褒め言葉だと思うから。
「スクティキメる」
スクティというネパールのジャーキーみたいな干し肉の料理があるのだが、「キメる」という表現に中毒性がよく表れていると思うから。歯応えが強く、「顎のトレーニング」ともいう。
「音楽に例える系のワード」
カレーを音楽で例えるというのが新鮮だったので、今後使っていきたい。
「青空が見えるようなカレー」
カレーを作っていると青空が見える瞬間がある。インドの路地裏が思い浮かんだりとか。そういうカレーを作っていきたい。あとは「涅槃の景色」とかね。
おわりに
例えばワインなんかはテイスティングの作法や着目するポイントや香りの分類がある程度決まっている。色や透明感を眺め、アタックを感じ、時間ごとに変化する味わいを感じて描写し、最後に残る余韻にまで着目したりする。
そういう作法や楽しみ方が決まっているのは素晴らしいと思うし、それがワインのテイスティングがきちんとした文化まで昇華されている理由だと思う。
ただ、カレーは自由すぎて味の幅が大きすぎてそんなことはできないし、しない方がいいんだと思う。カレー自体がすでに表現であるということもあるが、言語表現も含めてどこまで行ってもカレーは遊びであって欲しい。誰かの作為によって楽しみ方を決められてしまうような窮屈さ、標準化はカレーにはいらないと思う。
しかし同時にそれがカレーが永遠のサブカルチャーに止まっている理由なのかもしれない。カレー愛を語り合える共通の語彙や食べたことのない人にも伝わるような的確な言葉があったらいいなと思う矛盾した気持ちもあったりする。解像度の高い言葉が使われるようになって、カレー文化がこれから益々発展すると楽しいですね。
次回のカレーのパースペクティブ
次回は「3Cの可能性を探る」と題し、カレー、カルチャー、コミュニティーをテーマに対話を行いたいと思います。
かりい食堂さんをゲストにお迎えし、かつて高円寺に存在した文化コミュニティの話を伺いながら、以下のようなテーマで対話を行う予定です。
・人を結びつけるカレーとは?カレーはカルチャーなのか?カレーの作り上げるコミュニティの可能性とは?
• そもそも2020年代における理想的なコミュニティとは?サロン的な共同体は可能なのか?
聞くだけ参加でもオッケーなので、ぜひお気軽にご参加お願いします。