【試し読み】「作画が良い」とはどういうことか―アニメの作画を批評する方法(鈴木 潤)
はじめに
アニメに対する評価として「作画が良い」あるいはそれに類する作画への称賛の表現はよく用いられる。作画の良さなるものは、アニメを評価する上で一つの重要な軸となっているようである。しかし「作画が良い」とは一体いかなる意味で使われているのだろうか。本論では、この点に哲学的な考察を与えることを試みる。特に、「良い作画」という概念を分析することで、その定義を与えることを目指す。アニメというシステムにおける作画の位置や、実際の作画に対してなされた評価の例を取り上げ、これに迫る。
そもそも作画とは、アニメの映像のうちアニメーターの仕事による部分である。キャラクターを中心とした動くものの絵を描くのがアニメーターであり、背景などは別のセクションのスタッフの仕事による。またアニメーターの仕事は原画と動画に大別される。アニメは静止画を連続で映すことで動いているように見せるが、原画とは動きのポイントとなる絵を描く仕事、またその絵である。動画は、原画と原画の間、中割りと呼ばれる絵を描いて動きを補完する仕事、またその絵を指す。よって基本的には原画の方がアニメ作画のメインであり、「作画が良い」と言った際には原画が良いということを指す場合が多い。従って本論では原画の仕事を主に扱う。なおアニメーターの仕事として他にレイアウトや修正といったものもあるが、これらは原画ほどは「作画が良い」という評価の対象にはならない。よって本論ではこれらについても明示的には言及しないこととする*1。原画すなわち作画に対する、絵や動きの良さの要因を探るのが本論である。
「作画が良い」とは多くのアニメ・ファンが使う表現であるが、中には上述のような知識なしに使っている人もいよう。例えば光のキラキラとした表現などは現代のアニメでは作画でなく撮影という工程で付けられることが多いのだが、そうした撮影によって作られた美しさを作画の良さと混同する人はたびたび見受けられる。そこで本論で分析の対象とするのは、アニメ制作に精通したプロや評論家、あるいはアニメ制作やアニメーターに関する知識を豊富に持った作画マニアと呼ばれるファンが良い、あるいはそれに類する言葉で肯定的に評価するような作画に限定することとする。
他の多くの藝術分野と同様に、作画においても、何が高く評価されて何がそうではないかはこうした識者の間で一定のコンセンサスがあると考えられる。インターネット掲示板での情報交換や、「作画MAD」と呼ばれるマニアが作画の良いシーンを繋げて編集し動画サイトに投論したもの、雑誌『アニメスタイル』などの作画を論ずるメディアで取り上げられるアニメーターや作画は、だいたい同じような人やシーンとなる。こうしたところで取り上げられるアニメーターはプロからの評価もやはり高く、スタジオジブリや押井守、庵野秀明監督作品などの大規模な体制で製作され国際的に評価が高いアニメに参加することが多い。よって本論で取り上げる良い作画(あるいはそうでない作画)は、良いということが大多数のプロやマニアの間で認められているもの、雑誌や作画の情報交換をするサイトでよく取り上げられるアニメーターのものや有名監督の有名作の作画に限ることとする。しかし作画を論ずるメディアはそれほど多くない。本論では、出来るだけアニメ専門誌・専門書の記事やプロの制作者の証言を出典として作画評を取り上げるが、その他にも、インターネット上の匿名のマニアたちの評価も少しばかり参考にする*2。作画の良さについては、インターネット上での匿名の議論も無視できないほど重要な論壇となっている。
また考察の対象としていわゆる「アニメ」というカテゴリーの作画に限定する。ここでアニメという語を「アニメーション」とは区別して使っている。アニメとアニメーションの違いについては後ほど詳しく述べるが、アニメーションとは絵が動いて見えるようにする技術一般を使ったディズニーなど海外作品や個人制作のもの、対してアニメは主に現代日本の独特の様式を持った商業作品を指すととりあえず大まかに理解しておいて頂きたい。また何気なく用いた「カテゴリー」という語も美学や藝術哲学においては重要である。
本論の構成を述べる。第1節では「良い作画」となんなのかを考える。具体例から始めてどのような作画が良いとされるのかを考察する。そこからさらに詳細な定義へと進んでいく。予告しておくと、重要なのは「上手さ」である。続く第2節では、アニメ作画のさらなる内実をカテゴリーと批評の観点から考える。「作画が良い」あるいはそれに類する評価は美学者・哲学者のノエル・キャロルの言う「批評」になっていることを確認し、そのような批評であるために作画評はアニメのどのような性質に気を付けているか、また気を付けるべきかを述べる。第3節では作画批評を実践する際に注意すべき点を提示する。
1 「良い作画」という概念の解明
本節では「良い作画」とはなんなのか、概念的探究を行う。まずいくつかの良い作画の例から始め、その特徴を抽出する。続いて「良い作画」に厳密な定義を与え、具体的な「作画の良さ」を褒める言説を取り上げてその定義に適っていることを確認する。
1.1 良い作画とは上手い作画である
まずいくつかアニメーターの実例を挙げていこう。井上俊之は間違いなく多くのプロや作画マニアが認めるであろうアニメーターである。井上の仕事が「良い作画」だと認識するのは難しくないと思われる。井上や、もう一人加えるならば沖浦啓之は、リアル系と呼ばれる作画スタイルに長けていて、その技術は特に『AKIRA』(1988)、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995)、『人狼JIN-ROH』(2000)といった作品で発揮されている。彼らは人物や物体およびその動きを極めて緻密に、現実と見紛うようなリアルさで描くことができる。例えば歩く人間を、現実の人間に近い頭身で手足の振りの速さをそのままに再現するなどして。これは西洋の近代藝術が再現や模倣のために培った技術と似ている。つまり、我々はミケランジェロのダヴィデ像に驚くように、井上や沖浦の人物作画の造形と動きの緻密さに驚けばよい。井上や沖浦の作画は、ミケランジェロの彫刻が良い彫刻である限りは良い作画と言えそうだし、ミケランジェロの作品を良くないという人はまずいないだろう。とすれば「良い作画」の十分条件の一つとして「現実、あるいは現実に起こりえそうな出来事を正確に再現した作画」を挙げることができる。
しかしこれは必要条件ではない。現実の再現とは程遠いが良いとされる作画をするアニメーターもいる。湯浅政明、大平晋也といったアニメーターは、人物などの輪郭を現実とはまったく異なる風に描くが、やはり高く評価されている。湯浅は『ちびまる子ちゃん』(1990–92、1995–)や『クレヨンしんちゃん』(1992–)といったデフォルメされたキャラクターが活躍するアニメの作画で頭角を現した。大平は『イノセンス』(2004)や『君たちはどう生きるか』(2023)といったリアルな造型の人物が登場する作品で、他のアニメーターが担当した箇所とはかなり絵柄の違う作画を披露している。彼らの作画は見ていて気持ちよく、おもしろいものであるが、井上や沖浦のおもしろさとはかなり質が違う。井上・沖浦と湯浅・大平をどちらも包摂するような「良い作画」の概念的特徴はあるだろうか。
本論文で筆者が提案したいのが、「上手い」という性質である。井上と沖浦、湯浅と大平の作画は、上手いために良いと言えるのである。なお、「上手い」とはどういうことかという分析は後に詳しくする。ここでは「技術が高い」程度の一般的な意味に思っておいていただきたい。
なぜ上手い作画すなわち良い作画なのか考えてみよう。アニメ作画というカテゴリーの特徴は、どんな作画も作品に従属しているという点にある。この「従属」は二つの意味を含んでいる。一つ目は文字通り、作画は作品の一部でしかなく、作画だけ取り出して独立の作品になることはない、あっても例外的である、というものである。作画を鑑賞の対象とする人は、こうした作品の一部にあえてこだわることとなる。二つ目は、作画は作品の制作工程において他の工程に制御されている、というもの。つまり、何を描くのかは演出家などの指示に従うこととなり、アニメーターの手腕はそれをいかに描くかという面で発揮される。アニメーターのアイデアで何を描くのかを決めることもあるが、その場合その決める作業は作画という工程には含まれないだろう。そして「いかに」描けば良い作画になるのかと考えたときに、それは「上手く」描くことであると自然に帰結される。よって良い作画は上手い作画でなければならないし、上手い作画は良い作画となる。
いかに描くかという面で、例えば筆を使って線の質を変えるなどというアイデアも考えられる。しかしこの場合も、それが良い作画となるためには上手いことが必要になるように思われる。上手くなくとも筆を使うというアイデア自体が良いものである可能性はあるが、その場合はやはり作画としての良さとは言えない。
以上から、アニメ作画というカテゴリーの目的は、決められた絵や動きをできるだけ高い技術で描き、その作画が第一の意味で従属する*3作品を優れたものにすること、だと言える。よって作画の目的が達成できていると評価するには、その作画が上手いことが必要(かつ十分)となる。作画マニアや評論家は、そこで投じられた技術の高度さを見ているのである。1.4節で、上手さとは何かという点をより厳密に議論する。
1.2 良い作画における上手さの役割―うつのみや理の事例から
うつのみや理は、良いとされる作画を多く残してきたアニメーターであるが、その良さは必ずしも判りやすくはない。うつのみやがその個性を発揮させた作品は、作画が良いと言えるのか、むしろ「作画崩壊」なのではないかと論争になることがある。うつのみやの作画を通して本論の立場を確認しよう。
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注
これらは原画の仕事との区別がつきにくいという事情もあるためで、無視しているわけではない。
特に、5ちゃんねるなどの情報をまとめた「作画@wiki」(https://w.atwiki.jp/sakuga/)というサイトはアニメーター毎にページが作られていて参加した作品の情報が載っている。出典が載っていないものも多いが、そのアニメーターがどの作品のどのカットで原画を描いたかという情報の量が豊富であり、ざっと調べる分には重宝する。またこのサイトに載っている有名アニメーターの評価は作画マニアのある程度の総意と受け取れるため、本論でもたびたび参照することとする。
以下では単に「従属する」と書いたら第一の意味とする。
鈴木 潤 Jun Suzuki
北海道大学大学院文学院哲学倫理学研究室博士後期課程。専門は論理学、特に線形論理をはじめとした部分構造論理の証明論と代数的意味論。副業でアニメを研究。ブログ「曇りなき眼で見定めブログ」(https://cut-elimination.hatenablog.com)にて論理学とアニメの情報を鋭意発信中。Twitter(X):@cut_elimination
ブログ転載にあたり、必要最低限の編集を加えました。
(フィルカル編集部)