フィルカル編集部

「分析哲学と文化をつなぐ」哲学誌。若手研究者が中心となって創っています。おかげさまで9周年を迎えます。ハイカルチャーからサブカルチャーまで、さまざまな文化を分析哲学のツールを使って分析。また、分析哲学を文化として見る視点も提供します。https://philcul.net/

フィルカル編集部

「分析哲学と文化をつなぐ」哲学誌。若手研究者が中心となって創っています。おかげさまで9周年を迎えます。ハイカルチャーからサブカルチャーまで、さまざまな文化を分析哲学のツールを使って分析。また、分析哲学を文化として見る視点も提供します。https://philcul.net/

最近の記事

著者自身による外国語論文紹介「福利主観主義、洗練性、手続的卓越主義企画趣旨(原題:Welfare Subjectivism, Sophistication, and Procedural Perfectionism)」(石田 柊)【フィルカルVol.9,No.2より】

$${\text{Shu Ishida}}$$ $${\text{Welfare Subjectivism, Sophistication, and Procedural Perfectionism}}$$ $${\textit{journal of Ethics}\text{, 2024}}$$ 論文の概要この論文は、哲学のうち福利論(Theory of Well-Being)に属する。福利とは、大雑把に言えば、ある事物が(他の人にとってはともかく)ある人にとってよかった

    • 【試し読み】「作画が良い」とはどういうことか―アニメの作画を批評する方法(鈴木 潤)

      はじめにアニメに対する評価として「作画が良い」あるいはそれに類する作画への称賛の表現はよく用いられる。作画の良さなるものは、アニメを評価する上で一つの重要な軸となっているようである。しかし「作画が良い」とは一体いかなる意味で使われているのだろうか。本論では、この点に哲学的な考察を与えることを試みる。特に、「良い作画」という概念を分析することで、その定義を与えることを目指す。アニメというシステムにおける作画の位置や、実際の作画に対してなされた評価の例を取り上げ、これに迫る。

      • 【試し読み】過去と哲学へのセンス――B・ウィリアムズ、M・F・バーニェットとプラトン(納富信留)

        バーナード・ウィリアムズ編集者からの原稿執筆依頼に「ウィリアムズの孫弟子にあたる納富先生」という文言があり、驚愕した。私の指導教授であったマイルズ・バーニェットをギリシア哲学研究に導いたロンドン大学での師匠がバーナード・ウィリアムズである以上、「弟子の弟子」という形で私は弟子筋にあたるのだろう。驚いたのは、そう考えたことが今まで一度もなかったからである。 1991年夏から1996年夏までイギリス・ケンブリッジ大学に留学していた私にとって、1990年にアメリカからイギリス・オ

        • 特集バーナード・ウィリアムズと哲学史「趣意文」(渡辺一樹)【フィルカルVol.9,No.2より】

          バーナード・ウィリアムズ(1929–2003)は卓越した哲学史家であった。オックスフォード大学の古典学部を最優等で卒業したウィリアムズは、「自らは日曜古典学徒だ」と謙遜しながらも、生涯をとおして西洋古典を研究し、当時の所謂「分析哲学」による哲学史の軽視を批判しつづけた。それだけでなく、ウィリアムズの業績の多くは、「哲学史」として分類されるものである。デカルトとプラトンの名を題した著作(『デカルト―純粋探究のプロジェクト$${\textit{Descartes: the Pro

        • 著者自身による外国語論文紹介「福利主観主義、洗練性、手続的卓越主義企画趣旨(原題:Welfare Subjectivism, Sophistication, and Procedural Perfectionism)」(石田 柊)【フィルカルVol.9,No.2より】

        • 【試し読み】「作画が良い」とはどういうことか―アニメの作画を批評する方法(鈴木 潤)

        • 【試し読み】過去と哲学へのセンス――B・ウィリアムズ、M・F・バーニェットとプラトン(納富信留)

        • 特集バーナード・ウィリアムズと哲学史「趣意文」(渡辺一樹)【フィルカルVol.9,No.2より】

          スタンリー・カヴェル「言うことは意味することでなければならないか」/伊藤迅亮(訳)【フィルカルVol.9,No.1より】

          本稿は、次の論文の前半部の訳である(後半部の訳はVol. 9, No. 3 に掲載予定)。 Stanley Cavell, “Must We Mean What We Say?” Inquiry: An Interdisciplinary Journal of Philosophy, Vol. 1, No. 3 (1958), pp. 172–212. 邦訳にあたってはこの初版を底本としつつ、次の論文集に収録されている最新版(2015年版と呼ぶ)も参照した。 Stanl

          スタンリー・カヴェル「言うことは意味することでなければならないか」/伊藤迅亮(訳)【フィルカルVol.9,No.1より】

          すぐれて哲学的な概念としての〈セカイ〉(荒畑靖宏)【フィルカルVol.9,No.1より】

          はじめに私のいわゆる「こすり倒した」もちネタとして、次のような逸話がある。 もうかなり前、哲学を専門としない社会人が聴講生の大半を占める連続講義を受けもっていたときのことである。 それは6日間連続の講義で、認識論や心の哲学におけるいろいろな問題や立場を入門的に紹介するというような内容だったと記憶している。 その最終日の最後に30分ほどの質問コーナーを設けたのだが、そこであるご婦人が次のような質問を投じたのだ。 もちろん含むのである! ただし、日本がそこに含まれるということ

          すぐれて哲学的な概念としての〈セカイ〉(荒畑靖宏)【フィルカルVol.9,No.1より】

          著者自身による外国語論文紹介「企画趣旨」(森功次)【フィルカルVol.9,No.1より】

          今号から新企画「著者自身による外国語論文紹介」をスタートする。これは、外国語で論文を書いた人にその論文内容およびその学術的背景などを紹介してもらう、という企画だ。 いろいろと考え方はあると思うが、外国語での論文発表は学術研究のある意味での「最前線」に参加することだと言っていいだろう。そこでは日本にまだほとんど十分に紹介されていない議論が行われていたりするし、前提されている知識も異なるだろう。世界中から投稿されるような査読の厳しいジャーナルに論文が掲載されることは、ひとつの偉

          著者自身による外国語論文紹介「企画趣旨」(森功次)【フィルカルVol.9,No.1より】

          特集スタンリー・カヴェル「趣意文」(吉田廉)【フィルカルVol.9,No.1より】

          スタンリー・カヴェルの主著『理性の呼び声』(The Claim of Reason)が刊行される。 ウィトゲンシュタイン研究から映画論まで、カヴェルは非常に多面的な仕事をする哲学者である―荒畑靖宏「日常性への回帰と懐疑論の回帰」(齊藤元紀・増田靖彦[編]『21世紀の哲学をひらく』、2016年)が彼の哲学を全体として紹介している―が、その主著の翻訳はまさに「待望の翻訳」であろう。 後期ウィトゲンシュタイン哲学とカヴェルの懐疑論を扱う古田徹也『このゲームにはゴールがない』(筑摩書

          特集スタンリー・カヴェル「趣意文」(吉田廉)【フィルカルVol.9,No.1より】

          「分析的ヒューム研究」趣意文(高萩智也)【フィルカルVol.9,No.1より】

          1 企画趣旨本企画は、18世紀スコットランドに生まれ育ったデイヴィッド・ヒューム(1711–1776)の哲学と、20世紀初頭に誕生して以来英語圏を中心として発展してきた分析哲学とを横断的に論じることをねらったものである。 今回、この目的のために三人のヒューム哲学の研究者が集まって、それぞれ論文を書いている。 ここで簡単にではあるが、企画者である私(高萩)が代表して、本企画の趣旨を述べておく。 ヒュームの哲学がその後の哲学界全体に影響を及ぼしてきたことは、論をまたない。 なか

          「分析的ヒューム研究」趣意文(高萩智也)【フィルカルVol.9,No.1より】

          上野修トークイベント「スピノザと〈 私 〉のありか」(『フィルカル』Vol.8, No.3 刊行記念イベント)イベント趣意

          『フィルカル』Vol.8, No.3 刊行記念イベントとして、スピノザ研究者の上野修さん(大阪大学名誉教授)をお招きし、下記イベントを開催します。 【ご予約はこちらから→ https://bb240324a.peatix.com/ 】 その内容を紹介する趣意文を公開します。 イベント趣意スピノザ的〈私〉をめぐる問い 「私は思う、ゆえに私は存在する」(『方法序説』)と書いたデカルトが〈私〉を発 見して以来、〈私〉は考えるモノ=主体として哲学史のなかに現れました。 しかし、

          上野修トークイベント「スピノザと〈 私 〉のありか」(『フィルカル』Vol.8, No.3 刊行記念イベント)イベント趣意

          鈴木英仁「性的モノ化とはなにか、(不正だとして)なぜ不正なのか」【試し読み版】

          12月20日刊行予定の最新号より、鈴木英仁氏の「性的モノ化とはなにか、(不正だとして)なぜ不正なのか」『フィルカル』Vol.8, No.3, pp. 202–219の冒頭を試し読み版として公開します。 はじめに「性的モノ化 (sexual objectification)」は、第二派フェミニズムの理論的著作によって注目されることになったテクニカルな用語であったが、いまや学術領域に留まらず、フェミニストによる社会批判の重要概念となっている。 日本においても、「性的モノ化」、「

          鈴木英仁「性的モノ化とはなにか、(不正だとして)なぜ不正なのか」【試し読み版】

          上野修「分析哲学とスピノザ?」【試し読み版】

          12月20日刊行予定の最新号より、上野修(大阪大学名誉教授)による分析哲学とスピノザをめぐる論考を試し読み公開します。 1思わずタイトルにクエスチョンマークを付けてしまった。 あやしい、いかがわしいという意味ではない。これはいったい何の話であるか、という戸惑いの疑問符である。 というのも、たとえばカントやアリストテレス、あるいは昨今ではヘーゲルなら「分析哲学と〜」というふうに繋げても抵抗がないが、スピノザの場合、はたして「と」はありうるのか、またありうるとして、それはどうい

          上野修「分析哲学とスピノザ?」【試し読み版】

          【内容紹介】下山千遥「書評『質的研究アプローチの再検討:人文・社会科学からEBPsまで』(井頭昌彦 編著)」

          8月31日に刊行予定のフィルカル最新号(Vol.8, No.2)には、下山千遥氏(京都大学)による、『質的研究アプローチの再検討:人文・社会科学からEBPsまで』(井頭昌彦 編著, 勁草書房, 2023)についての充実の書評が掲載されています。 このたび著者・下山氏本人が、この書評の紹介記事を、note用に寄稿してくれました。 ぜひご一読ください! (フィルカル編集部) ここでは、フィルカルVol. 8, No. 2に掲載された「書評:井頭昌彦(編著)『質的研究アプロー

          【内容紹介】下山千遥「書評『質的研究アプローチの再検討:人文・社会科学からEBPsまで』(井頭昌彦 編著)」

          【内容紹介】山野弘樹「VTuberはいかなる意味で二次元/三次元的な存在者なのか?」

          フィルカルVol.8, No.2に掲載の論文「VTuberはいかなる意味で二次元/三次元的な存在者なのか?」の著者・山野弘樹さんが、この論文の紹介記事をnote用にご寄稿くださいました! 【論文の試し読みはこちらから】 こんにちは。 東京大学で哲学の研究をしている山野弘樹と申します。 2021年度から「VTuberの哲学」をテーマにした研究を行っております。 2022年8月に発刊された『フィルカル』Vol. 7 No. 2にて最初のVTuber論文(査読付き)が刊行され

          【内容紹介】山野弘樹「VTuberはいかなる意味で二次元/三次元的な存在者なのか?」

          【試し読み】「女性」で「多様」な哲学者たちの往復書簡(稲原美苗・坂本美理・竹内彩也花・槇野沙央理)

          2023年8月31日に刊行される最新号掲載の特集シリーズ『哲学とセーファースペース』。 企画の神戸和佳子氏は、その趣意を次のように述べています。 ここでは、そのうちのひとつ、 稲原美苗, 坂本美理, 竹内彩也花, 槇野沙央理. (2023). 「「女性」で「多様」な哲学者たちの往復書簡」『フィルカル』, 8(2), 160–190. を紹介します。 本稿では、哲学研究者の稲原氏と3人の若手研究者が、全部で6通の往復書簡を交わし、「連帯」や「語らない自由」など、セーファー

          【試し読み】「女性」で「多様」な哲学者たちの往復書簡(稲原美苗・坂本美理・竹内彩也花・槇野沙央理)

          【試し読み】井出和希・菊池 遼「距離と異なる像」(特集:ELSIの流れのほとりにて)

          『フィルカル』では、ELSI(Ethical, Legal, and Social Issues)つまり新たな技術が我々の社会に実装される際に生じる様々な問題について、すでに何度か取り上げてきました。 前号に引き続き、「ELSIの流れのほとりにて」第二回をお届けします。 2020年4月、国内初の ELSIに関する学際的な研究・実践組織として発足した大阪大学社会技術共創研究センター(通称:ELSI センター)に所属する研究者の方々を中心に、ELSIの実践的側面にかんする原稿を

          【試し読み】井出和希・菊池 遼「距離と異なる像」(特集:ELSIの流れのほとりにて)