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私たちを囲んでいるものの”異常さ”
りあです。本日も元気に微熱中です。いやはや、薬の副作用とはおそろしい。これだから私は薬が嫌いなんです。自分のなかに異物を取り込んだ感を覚えるので。
まぁ、薬を飲まなければならない状態になった自分のせいでもあるのですが。ストレスが多すぎて体重減っていて、自律神経も「おやおやおや」というくらい乱れていて、薬に頼らざるを得なくなった、というのが事実なのですが。
前置きはさておき。ふとスーパーマーケットのなかを歩いて、「なんでこんな世界が”通常”なんだろう」と思った。
夏なのに、冬の味覚というものが売ってある。数え切れないほどの商品の数が常にある。切れることのないストック。ドリンクだけでも数百種類。
よくよく考えたら、なんかおかしな世界じゃないでしょうか。どうしてこんなに物が必要なのでしょうか。季節外れのものを売るのでしょうか。
お客さんは私だけじゃない。一日に数え切れないほどの人数がやってきて、必要な分、もしくは必要以上のものを買うでしょう。だから大量のストックがあったとしても、もしかしたら需要と供給のバランスはぴったり取れているかもしれない。いろんなニーズに合わせているからこその種類の多さかもしれない。
けれど、大量のものがあれば、捨てるものだって多くなる。「少ない!また売り切れだ!」というクレームを避けるために、お店は余るほどの物を売ります。それがフードロスになろうが、お店にとっては「商品が常に十分にある」「いろんな種類がある」という”良いお店”である方が良いのでしょう。
お店の方針によって異なるかもしれないけれど、お店だって経営者がいる。慈善活動ではない。儲かっていれば、ロスが生まれても問題ないのかもしれない。
人類の欲望の詰め込みパックかなぁ、スーパーマーケット。ふとそう思った。自分のほしいものが置いてあって、ほしいときに置いてあって、わくわくさせてくれるものが常にある。そういった、「必要最小限のものが満ち足りた人間のさらなる欲」というものが詰め込まれているような。
頑張って冬野菜を夏に育てなくてもいいじゃない。夏野菜があるんだし。野菜に困るわけではないのだし。食べもの飲みものが何百種類もなくていいじゃない。毎月のように新商品出さなくてもいいじゃない。
私の言っていることは、このご時世の風潮に反するような、資本主義から離脱してそうな、経済回している人たちからすると「そう言ったら鈍化するでしょ」と怒られそうな意見だけども。
そりゃ選択肢が多かった方が「好きなものを選べる」という喜びもあるでしょうし。「あれは口に合わないけど、こっちなら!」ということもあるでしょうし。
一長一短、とは分かっているのだけれども。
なんでもあるからこそ、季節感も感じられないし、「あって良かった」という感謝の気持ちも抱けないのでは、と思ってしまう。
たくさんあればいい。あればあるほどいい。
そんな社会がこれからも続くのかなぁ、なんてちょっと切なく思う。もう一度見直しって必要なんじゃないの、と思う。
今日はぼやきっぽい内容になりましたね。なんといいますか、「当たり前」というものを見つめ直してこそ、「尊さ」というものが見つかるのだと私は思っています。
Have a meaningful day