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摂食障害と。

 400回目です。φです。

 わお400回目ですね~。続きますね、思った以上に。みなさんのスキやコメントで「明日も書こっと」となります。本当に感謝しています!

 伝える機会があまりないので、ちょっとお礼を冒頭で述べまくりますね。

 書くという行為は、私にとっては楽しめる趣味のひとつになりました。自分の考えをまとめるきっかけにもなるし、書いている最中に「これ何だっけ?」と思うことから調べて学ぶこともたくさんあるし、「自分はこう考えるんだなぁ」と自分を知るきっかけにもなっています。

 ですが、ふと「書くことないなぁ…サボタージュ…しちゃう?」という言葉が頭をよぎることもあるのですよ。悪魔のささやきが(笑)

 続けるなら、自分が納得できるまで。そして読んでくれる人がいるなら、続けよう。そういう思いでここまでやってこれています。

 みなさんには本当に感謝です。色々な話題を私は書きます。思ったことをだらりと書くときもあれば、自分の経験を意外に熱心に書くときもある。考えを地味に深く考えて書くこともある。ものすごーく自由にやっています。まぁ話題に関しては私の自由だとは思っているけれど、それを読んでくれている方がいるんだよね、と思うと「私の自由」以外にも、動機が生まれてきます。

 生きづらさを感じている人には励ましの言葉を書きたい。面白さを求めている人には口角ちょっと上がるくらいは面白い言葉を渡したい。誰かの意見を知りたい人には分かりやすく別の視点の意見を伝えたい。そんなこともちゃんと思ってはいますよ、私は一見考えていなさそうな文章を書いているかもしれませんが(笑)

 これからもそのスタンスを続けていくけれど、自分なりに磨かれたものを生み出していけたらいいな、と思っています。実際はどうなるか知らないけどね!

 それではもう一度。本当にたくさんのスキ、コメント、ありがとうございます。

 さてさて、今日は何について書こうか。あんまり触れない、摂食障害について書こうかなぁ。ソフトに!


 私の摂食障害は、中学生の頃が始まり、かなぁ。前から好き嫌いは激しかったけどさ。お米は苦手でそのままは食べられないし。触感が苦手だったのと、純粋に味が苦手。

 と、いうのも私はアメリカで味覚を形成してしまったからだと思う。あちらの主食はパン、コーンフレーク、じゃがいも。私はじゃがいもは苦手なので、パンとコーンフレークまみれだったらしい。

 クラッカーとかプレッツェルとかもあったけれど、まぁさくっと言うと「米以外」です(笑)

 なので元から米に馴染みのない人。摂食障害になって、ますます米が嫌になった。炭水化物云々、という気持ちもあったのだと思う。

 一番体壊したとき、米なし。それから徐々に食べるようになって、玄米や雑穀米を食べ始めた。憧れの存在というか、目標を見つけて「元気になるぞー!」と思ったから。筋肉にも目覚めたから(笑)

 で、食べてみたのだけど、やっぱり自分の好みの味じゃない。あの粘つく感じと、変に甘いのが苦手だったのですよ変わらず。ぶれないね!

 しかしながら、炭水化物は大切。記憶力落ちたり、血液検査の結果がひっどいことになったから、私はそう言います。人によって違うかもしれないけれどね。あくまで私の場合。

 なので主食はライ麦パンとオートミール、芋。栄養バランスのグループでちゃんと「炭水化物」にカウントされる食べ物たちです。

 ですが、母親は「米が炭水化物」を譲らない。私は前からお米を得意としなかったことは知っているだろうに、「摂食障害だから米をずっと避けている」ということらしい。

 したがって、病院に行くと必ず「摂食障害がひどくて」という宣言の下、私のお米嫌いを主張するのです。いや、私ずっと好きじゃないよね…?と言ったことがあるのですが、まぁ病院帰りに散々言われたので二度と言わなくなったなぁ。私学習能力高いから!(笑)

 私の通院には必ず母親がついてきます。よって、私は未だに書類上、認識上は「治っていない摂食障害の患者」になる。私は私を「好き嫌いが激しい、発達障害の感覚過敏」だと認識しています。あと単に興味がない。栄養が摂れて、自然なものであったなら何でもいい。

 その違いがあるから、私は「完治した人」と自分を定義しない。定義してもしなくても、そんなに変わるものではないし、母親と関わる医療関係者たちがどう思っても、変わるものはないからです。強制入院させられる程の体調の悪さじゃないし、体重も減少していてピンチ!でもない。

 良くも悪くも、「経過観察」を続けているわけです。私、何個「経過観察中」の病気あるんだろ。股関節、目、神経(先天性無痛無汗症)、甲状腺、メンタル(摂食障害・発達障害)、…カウントしたくなくなってきましたので、強制終了!(笑)

 私は「あのとき治そうと思ったきっかけがあった」というものが多分あります。…と、いうのも正直記憶が曖昧になっている部分があるし、記憶というものは美化されるものです。自分の心にしかない記憶は特に変わる。なくなっていたり、消えかかっていたり、変わってしまったり。過去の自分を完全に再現できる、とは限らない。過去の自分を見る私はすでに「未来の私」なのです。過去からしたらね。

 で、そのきっかけはミス・ユニバース。と刀(笑)

 ちょうど森理世さんだったかな。彼女がミス・ユニバースになって、たくさんの情報が世間にはあったのです。そのときに知った、あの世界にあふれる自信たっぷりで強くて優しい、笑顔、言葉、行動。

 それに隠れた努力も知って、「生きるってなんだろう」とか私は考えだした。当時活躍していたイネス・リグロンさんの言葉が私には刺さったなぁ。「この人、かっこいい!」って思ったんですよ。「かっこいい大人」だった。

 今でも彼女の本は持っていて、ずっと私の支えだし、ぜひ読んでもらいたい本だと思う。ハードカバーで手に入れたのですが、文庫本でも出ているそう。よし、どこでも持ち運べるように買い直そう。ハードカバーのものは私の部屋の国宝にしよう(笑)

 人によっては「強すぎる」と思う言葉かもしれない。痛烈、この形容詞が似合う言葉たちだから。

 そして、刀。

 あんまりにも体力落ち過ぎて、刀振れなくなったんですよ。私の刀は1kg弱。片手で振るには、私の腕は細すぎました。

 今?片手でぶんぶん振ってますよ?腕のたくましさは私負けない(笑)

 振れなくなるかも。ごめんね。って思ったことがあって、すごく悲しくなった。道場に行かないのは悲しいと思った。

 と、いうことも私の心を変えるきっかけだったと思う。今思えば、ね。

 きっと今では記憶から消えてしまった、それか私が無意識になくした理由やきっかけたちがあるとは思う。かれこれ時間は経ちました。本当に誰にも話さなかった本音は覚えているけれど、それを囲む周辺事態は覚えていない。詳細にはね。

 私はそれでいいかな、と思っています。過去と向き合い過ぎるのも、過去を追求し過ぎるのも、したくないならしなくていい。過去が溶け込んでいるからこそ、今私は生きているのであって。自然に向かい合っている過去があるだろう、と思う。その程度でいいか、と思う。

 ま、私の摂食障害の理由は暴露すると母親なのですが、「未だに治っていない」「発達障害が理由だった」とか、色々歪められています!うおおおい!それは解せないぞ!!

 和解することもないだろうし、するつもりもないし、もうどうでもいいので、私は「もはや何も言うまい」な賢者の気持ちですね。話しても分からないことってあるからね~。

 さてと、これが私の摂食障害のちょっとした一部。若気の至り、で省略している過去ですが。

 今摂食障害に悩んでいる方の、何かしらの参考になればいいな。私はただの一個人で、最善の参考でもなんでもない。ただ、摂食障害を経験して、入院して、未だに病院通いだけど生きてる人。

 振り返った私のこのnoteはあっさりしているように感じるかもしれない。ですが、まぁ…色々あったよ。病院側からも「奇跡」と言われたこともある。学校からは「生きていてよかった」と言われて卒業した。担任が最後にくれた言葉は、「ただ生きろ。」だった。

 書くには重すぎるので、ふわっとソフトに書きました。そうやって書けるくらいにはなった、とも言えますね。時間の流れか、私の気持ちの切り替えか、は分からないけれど。比較対象ないからね!(笑)

 でもまぁ、生きていればたくさんの出会いがあって、そのうち「生きていてよかった」になる日が来ると私は思います。そう信じていれば、その日が来るんじゃないかな、とも思ってます。

 中学生の私が、今の私を見たらどう思うだろう、と時々思う。中学生の私よ、意外に人生って分からないものですよ。そう伝えたいものです。

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