横山夏美という男
場末(エピローグ)
19:00
仕事を終えた教育者の私は「荒野の止まり木」と呼んでいる雀荘に足を運ぶ。
入口のドアを開けるとマスターがあつしぼを手渡し、「いつものでいいかい?」と尋ねるので無言で肯く。
まだ卓は立たないようである。
椅子に深く腰掛け、あつしぼで顔を拭いていると…
「馬のもつ煮」と「ジャスミン茶」が運ばれてくる。馬産地熊本に近いこともあり、ここのもつ煮は馬の臓物なのだ。
もつを口に運びながらスマホを取り出しTwitterを眺める。いつものように私に宛てたキチガイたちのクソリプ、エアリプをチェックし「いいね」を付ける。そして巡回が済んだらスマホを腹巻にしまう。
横の無人の雀卓には麻雀牌が乱雑に並んでいる。私はそこから「白」「發」「中」を選び取り、そっと手を触れてみた。
初めてのマージャン
中3の夏休み、私は高2の先輩の部屋に入り浸っていた。
世間では受験勉強というものがあったらしいが、私には関係なかった。私は生来風変わりな性質で、医者の診断によると「ギフテッド」であるらしい。教科書や黒板を一度見ればすべて映像として記憶されるので覚えるという行為に努力の必要がなかったのである。
そして他者が努力に費やす時間を怠惰な環境に置き、怠惰であることに心地良さと逃げを覚えていた。
先輩は毎週少年ジャンプを購読していたので私もそれを読み耽っていた。先輩は『ONE PIECE』や『世紀末リーダー伝たけし!』が好きだが、私の趣味には合わず、私は『花さか天使テンテンくん』と『幕張』を愛読していた。
『幕張』を読んでいたときに「パイパン」という単語がわからなかった無垢な私の質問に、先輩は「これだよ」と小さな道具を手渡してくれた。
「麻雀牌の白(白板)」
これが私の初めての麻雀との出会いであった。
メンバー時代
大学の心理学科に入学した私は、学生時代の大半を雀荘メンバーとして過ごしていた。
心理学という学問は、人間心理をモノとして観察対象とする視点を磨くのに有効で、幼い頃から周囲の人間関係に違和感を感じていた私としてはとても魅力的であり、実際教授たちとの交流では多くを得ることが出来た。
反面、いわゆる心理学を学びに来るような学生にはメンヘラか心理テスト好きのキラキラ系が多く、つまるところそうした類の人間とは肌が合わず、学生生活は孤立しがちであった。
気まぐれにチアリーダー部にも入部してみたものの、電車内でセミの真似をさせられるなどの体育会特有のしごきに閉口し、一か月も持たず辞めてしまった。
高校時代から雀荘に出入りしていた私が雀荘メンバーになるのはある意味必然で、どうせ1日の大半を雀荘で過ごすなら給料を貰いながら打つのが合理的。
何故私が雀荘で過ごすのかといえば、雀荘には人間のクズしかいないからである。麻雀というゲームを口実にしないと他人と関われない者や、「賭博の共犯者」という仲間意識を求める者。例外はあれど多かれ少なかれこういう性質を持つ者たちが集う場所である。少なくとも「綺麗事しか言わないつまらない大人」よりも、謎のイキリやドヤをする子どもっぽいキチガイの方が眺めていて楽しい。
「麻雀をすることで人間を観る目も養われる」とドヤりつつもつまらないマルチの誘いに引っかかる者や、集中力が切れても長々とトイレに行くたびに元気になって復活する者…「普通の真面目な生活」をしていては中々お目にはかかれないだろう。ここには書けない大きな闇を抱えた人間も大勢眺めてきた。
端的に言えば、「社会の真面目なひとたち」はそうした闇に「気づかない振り」をしているだけで、現実世界はもっと汚く泥臭く出来ている。
「そうした世界から子どもを遠ざける」のが「学校教育」であり、それが「歪んだ認知」の要因のひとつではないか考えている。
少なくとも私にとっては「学校」よりも「雀荘」が心地良かった。アオい春。
教育者として
大学卒業後、私は教育者の道を選んだ。
雀荘メンバーとしての生活に明け暮れていたとはいえ、学業の成績は悪くなく、担当教授からは院に進んで研究者の道を薦められた。
卒業論文のテーマには「児童心理」を選んだこともあり、人間、とくに児童の心理のメカニズムについては世間一般のバイアスから離れて考えることも出来たし、周りの心理士やカウンセラー、中学高校などの教師を目指した同窓生連中が、所詮「学校という綺麗事の世界に適応した優等生」であるという傾向にも気づいていた。
私が主に児童相手の教育者の道を選んだのは、そうした綺麗事連中には救えない人間も数多いことに気づいたからである。綺麗事に導かれることにも大きな意義はあるものの、そこから漏れる魂は確実に存在する。
現実世界に生きる子どもたちは「綺麗な世界」に生きているとは限らないし、大人になったらいずれは汚い世界と対峙しなければならない。偽善者のような教育者がその真実と向き合って生きる方法を子どもたちに提示出来るかは甚だ疑問である。
学問の世界でシステマチックな教育方法の構築を目指す道もあったが、私は「ひとりひとりの人間と真摯に向き合う道」を選んだ。雀荘のクズたちも「クズという概念」ではなく、実際にはひとりひとりみんな違うクズなのである。
教育者の仕事の傍ら、私は麻雀狂いのクズとの交流もやめない。だから毎晩のように雀荘に通っている。
そしてTwitterでも自ら「キチガイを演じる道化」として、フォロワーのクズひとりひとりを観察して、ときには対峙もするのが「横山夏美」という男、そして「中のひと」なのである。
場末(プロローグ)
22:00
何をしているかわからない人が集まってくる、皆お互いにお互いを見て胡散臭いと思うメンバーだ。
その中で一際目立つ存在がいる
★
パット見の印象は可愛らしい
☆
ナチュラルメイク
★
良く見ても美人だ
☆
雰囲気から品すらただよう
★
なぜこんなところに?
☆
皆が疑問を覚える存在!?
★
🌟おわかりだろうか723ちゃんである🌟
追記
当記事へのファンアートが届きました。
むまさん、ありがとうございます!
横山夏美ファンアートはTwitterのハッシュタグ
で募集中のようです!
追記2
ノベルゲー版『横山夏美という男』を作成しました。
ブラウザまたはスマホアプリ『Script少女 のべるちゃん』で遊んでみてください。
横山夏美の二次創作「723文学」のマガジン