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愛せない思いが きっと当たり前だったんだ

何か信じることが一つでもあれば、道に迷ったり、焦って間違うことも減る。それが子どもの世界を殺すものだったとしても、生きる上では必要なことだと思ったときには、それは必要な決断なのだと思う。

私はたまに不登校になりかけている子どもと話したりもするのだけれども、長欠になり始める子どもの多くは教室に入るときの緊張を強く意識することが多い。今まで休んでたのに、急に入ったらみんなはどんな目で私を見るんだろうか。そういう過剰な反応、アレルギーのようなものを感じる子どもたちに、大人はどう寄り添っていくべきなのかと考えたりする。

私がいつも思うのは、その一瞬はきっと周囲もぎこちない感じにはなるけれども、それは転入生がくるときの反応と似たようなもので、すぐにそれなりの形で受け入れてもらうことができるとは思う。ただ、自分の扱いに対して何か理想を持って特別な対応を求めるのだとしたら、そういう期待は捨てた方がいい。って感じに答えている。

私はカウンセラーでも無いし、不登校に対して絶対に学校に来い!なんて思わない。ただ、人間関係や勉強が苦手だけれども、家よりは学校が好きって子どもなら受け入れてあげるべきだと思う。起立性何とかがどうとか、鬱がどうとかいう診断があるから特別に配慮しまくって欲しいって過保護だったり感情的になる保護者がいたとしたら、子どもには精神的にも自立するべきだって促す。

学校に行きたいけれども周りの目が気になる子どもと、周りを何とかして学校に行かせたい保護者、子どもの心のことを一番に考えてそれっぽい診断をするお医者さんとかがいてデッドロック状態になる事態って、子どもにとって全然良くないじゃんって思うし、そもそもそういうデッドロック状態に陥ってしまうという想像力が無かったりする人が多すぎる気もして。

子どもの周りの大人が何とかしろよって思うんだけれども、腫れ物に触れるように扱わないといけないみたいな空気を作って、みんな専門家じゃないから時間が解決してくれるのを待つみたいな対応してるのがイライラしちゃう。

教育って、子どもが変わっていくことを手伝うことで、変わることを信じて接するのが仕事なわけで、子どもも変われるんだ!って体験をするから良くも悪くも成長していくわけで。その子の人生の責任なんて子ども本人の問題だから大人が悩み過ぎる必要も無いし、育て方がどうとか環境がどうとか、そんなのどうだっていいから、若いうちは何でも新しいことやりまくってみろよ!って思うわけで。

自分で手に負えないって感じたら、さっさと誰かに任せてしまえばいいのに、何でそんなに自分を責めたり、誰かを信じることができないの?って思うんですよ。それが自分の子どもだったり、先生が受け持つ自分の学級の子だったりしても、手に負えない!ってなったら誰かの力を借りればいい。協力し合えば、助けを借りまくればそのうち上手くいくこともある。

考えすぎてしまう特性ってのがあることは分かるし、実際にどうしようもないなーって子どもも見るけれども、そういう子だって抗っているうちに少しずつ変化していくところがあって、戦っている間はその意思も感じるから、たとえ人より何かができなかったとしても、そうじゃない部分もたくさんあるわけで。そもそも出来ないことに挑戦していく精神を持てることがすごくない?たいていの子どもはヘタレじゃん。

自分の子どもだったら、抱きしめたり頭ぐしゃぐしゃにしてあげたりできるんだろうけれども、先生はそういう直接的な表現はできないから間接的に何か仕事をしてソレを伝えるしかないけれども、そういう表現が下手な人の方が世の中には多いから「頑張れ!」って応援を何とか伝えようとするのに「がんばれ」なんて言っちゃダメです。とかお医者さんが言ったりして。


そうじゃねぇだろ!!ってすごく、思うんですよね。


みんな表現が下手なだけなのに。お互いがどうすればいいの?なんて探り合って、みんなバカなんじゃないの!?ってなったりする。別に勉強だけが大切なわけじゃない。生きてて良かったとか、自分は何か好きで、何のために仕事や生活を頑張ってるとか、これからやりたいこととか、いろいろ話してあげたらいいじゃん。

何も知らないし出会ってないからやる気が出ないだけで、一時的でも学校に行かない決断をしているのなら、ぼけっとしてないでいろいろやってみればいいじゃん。って。教科書を読むのが仕事じゃなくって、学ぶ機会を与えるのが大人の仕事だろって。


「愛せない思いが きっと当たり前だったんだ」


正しいと思っていることが、いつだって正しいとは限らない。

自分の中に、愛せない思いがあったって別にいいじゃん。

いろんなことを試して、最後に行きたい場所に行くために

見失ってはいけないものだけを心に留めてさえいれば、何だってできる。



そういう魂みたいなものを、生きてゆく意味、喜びの意味なんてものを探せるようにするために、大人も子どもも話し合ってくれよ!って思うわけです。先生は残業し過ぎてそんな時間無いけどさ、土日出勤してでもそういう時間を作ってるけどさ。先生だけが向き合うべき問題なの!?って、めっちゃ思います。社会全体で、ちゃんと子どもを教育してやってくれよ!って。

GIGAスクールが教育を学校以外にも広げる社会的な意義を見出せるコンテンツになるなら文科省頑張ったな!って思うけれども、NHKとかの映像コンテンツがあって、オンライン授業もできれば他所の国にも引けを取らないよね?みたいな適当な方向に動かそうものなら、政治家も官僚も真面目に働け!ってキレそう。

あーあ。愚痴って嫌ですね。GABAチョコでも食べて寝ます。


おやすみなさい。

#オープン学級通信

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