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第11章:他者信頼とは

大輝は、いつものように図書室でアドラー心理学の本を読んでいた。今日読んでいるのは「他者信頼」という項目だった。

「他者信頼…か」

彼は声に出さずにその言葉を繰り返した。アドラーは、他者を無条件に信じることが健全な人間関係の基盤であると説いていた。しかし、大輝にとってそれは難しいことだった。かつてクラスメイトからいじめを受けた経験が、どうしても彼の中で人を信じる壁となっていた。

それでも、アドラーの教えが示すこの概念に興味を抱かずにはいられなかった。

「信頼って…どういうことだろう?」

ふと疑問が浮かんだ。これまでの大輝の考えでは、信頼は何か特別なきっかけがあって初めて築かれるものだと思っていた。しかし、アドラーの言う「他者信頼」は少し違う。信頼は与えられるものではなく、先にこちらから与えるものだと言うのだ。

「信頼することを決めるのは自分なんだ…」

この考え方は新鮮だった。大輝は信頼を「見返りがあるもの」だと思っていた。人が自分を信頼してくれるから、自分もその人を信頼する。だが、アドラーはそうではないと教えている。信頼は無条件で先に差し出すものだと。

その日の放課後、大輝は図書室で伊藤さんと話していた。彼女とはここ数ヶ月で随分仲良くなっていて、今では自然とお互いの悩みや考えを共有し合うようになっていた。

「大輝君、最近また何か考え込んでる感じだね」

と伊藤さんが問いかける。

「実はさ、最近『他者信頼』って言葉が気になってるんだ。」

「他者信頼?」

伊藤さんは興味を持った様子で眉を上げた。

「アドラー心理学の本で読んだんだけど、信頼は相手に見返りを求めないものだって。相手がどう反応するかに関係なく、まず自分が信頼を差し出すんだって。」

伊藤さんは少し考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。

「それって、けっこう勇気がいるよね。だって、信頼して裏切られるのが怖いもん。」

「そうなんだよ。でもアドラーは、裏切られるかどうかは相手の課題だって言ってた。自分は自分の課題に集中するべきなんだって。」

伊藤さんは静かに笑った。

「なるほどね。つまり、信頼するかどうかは自分の選択で、相手がどう応えるかは別の話ってことか。」

「そう。でも、実際にやってみるのは難しいよね。まだ自分も試してるところなんだ。」

大輝は言葉にしながら、自分がいかに他者を信じることに臆病になっているかに気づいていた。

「でも、これからは少しずつでもいいから、自分から信頼を与えていこうと思うんだ。人に期待しすぎないで、自分が信じることで前に進めるなら、それでいいんじゃないかって。」

大輝の心の中には新しい決意が芽生えていた。

伊藤さんは笑顔で大輝を見つめた。

「大輝君、なんか最近前向きになってるよね。ちょっと驚いちゃった。」

「そうかな?」

大輝は少し照れくさそうに笑った。

こうして、彼は他者信頼という新たなテーマに向き合う準備ができた。アドラーの言葉を実際の人間関係でどう活かすか、それがこれからの大輝の課題だった。

コラム:信用と信頼の違い

「信用」と「信頼」という言葉は、同じような意味で使われがちですが、実はこの二つには大きな違いがあります。特にアドラー心理学においては、「信頼」という言葉が重要な意味を持っています。

1. 信用とは?

「信用」は、相手の過去の行動や実績に基づく評価です。たとえば、仕事で何度も約束を守ってきた人や、これまでの言動に信頼できる要素がある人を「信用する」と言います。これは、相手の行動や実績が裏付けとなっているため、裏切られるリスクが少ないと感じられる場合に生まれる感情です。

つまり、「信用」は過去の実績に依存し、相手の行動が条件付きであるという前提が含まれています。「信用」は一種の契約のようなものであり、相手がその契約を破った場合には簡単に崩れてしまうものです。

2. 信頼とは?

一方で、「信頼」は無条件で相手を信じることです。相手の過去の行動や実績に依存せず、こちらが先に信頼を差し出すものです。アドラーは、信頼は相手がどのような行動を取るかではなく、自分の意思によって先に与えるものであるとしています。相手の反応や結果を気にせず、自分の選択として「信頼する」という行為を大事にするのです。

この「信頼」には、裏切られるリスクが伴います。しかし、それを恐れるのではなく、たとえその結果が期待通りでなくても、自分が信頼を与えたこと自体に価値があると考えます。相手を無条件で受け入れ、信頼することで、健全な人間関係を築く土台ができるという考え方です。

3. 信用は過去、信頼は未来

簡単に言えば、「信用」は過去に基づき、「信頼」は未来に向けて与えるものです。信用は条件付きであり、信頼は無条件です。信頼を先に与えることで、相手との関係を深め、より健全な人間関係を築くことができるとアドラーは説いています。

この違いを理解することは、人間関係における心の在り方を変える第一歩となります。信頼を先に差し出すことで、より豊かな人間関係が築けるかもしれません。

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