この記事では採用応募者に面接官である我々マネージャー陣の情報を開示するため、わたしの履歴書と題して、自身の経歴について書いていきます。
なぜ開示しようと考えたのかはこちらの記事からご覧ください。
また、他チームマネージャーの履歴書は以下からご覧いただけます。
ピラミッドフィルム クアドラ(以下:クアドラ)でテクニカルチームのマネージャーをしている栗原です。
2001年に社会人になってから5度の転職を経て、2015年クアドラに入社、働く場所も東京(約11年間)→上海(約7年間)→東京(約4年間)という変遷を経て今に至ります。
エンジニアとしては主にフロントエンドをメインのフィールドとして活動しており、開発環境はこの15年間でFlash(ActionScript)からHTML5(JavaScript)に変わりました。最近ではサーバーサイドやツールの開発にnode.jsを使ったり、CMS構築は主にWordpressを使っています。プロジェクトにはテクニカルディレクターとして関わることが多いのですが、自分でコードを書くことも多く、プログラムするのは好きな方です。
いろいろな会社にいたのでこの業界の良いところ悪いところをある程度経験してきています。少し特殊な経歴ではあるので、どこまで参考になるかわからないですが、クアドラに限らず広告プロモーション系のWebエンジニアになることを考えている方の参考になれば幸いです。
わたしの履歴書 / 栗原泰隆(くりはらやすたか)
【出身地】
【所属チーム】
【ポジション】
【学歴】
【クアドラ入社日】
【職歴】
【やりがい】
【今後やりたいこと】
【資格・受賞】
【趣味】
【特技】
最後に
自分の経歴について思い出しながら長々と書いてみました。
我ながら節操がない経歴とは思うのですが、時代だったり世代特有の不安定感が出ていて、同年代の人には共感いただけるのではないかと勝手に思っています。
もともと学生時代は社学でマスコミ志望、大学に入った当時はエンジニアになろうとは1ミリも思ってませんでした。それが、就職氷河期、インターネットバブル、出版不況、Win95発売、i-mode、mixiの出現などといった時代背景から、これからの時代はインターネットが来るに違いないという確信はあったものの、卒業して入った会社は情報系の大学出身者が立ち上げた、社内にOSが作れるエンジニアがいるような会社で、文系出身の自分は中途半端、結局自分は何になりたいのかわからないで悩みまくりました。それがこの経歴に出ているのだと思います。
自分の原点は、学生時代にたまたま買ったCGIの本のサンプルを改良してつくったモーニング娘。占いが自分の携帯のi-modeで動いていることに、自分でつくっておきながら自分で感動したという体験にあります。そのプログラムは本のおまけを改良しただけなので、本当は自分がつくったと言えるものでもなかったのですが、なぜそれに感動したのかと考えると、コードを変えることでプログラムが変わるという体験をすることで、その小さな世界において自分が「神」になるという体験を経験してしまったことにあるのだと思います。
私は自分のことを特段高いプログラミング能力を持っているとは思いません。ただ、他の業界のエンジニアに比べて、広告プロモーション系のエンジニアの能力が低いとは思っていません。この業界のエンジニアの凄さは、すばやく最新の技術を製品に落とし込む柔軟性だったり、スピード感だったり、高いバランス感覚にあると思っています。それは他の業界では真似することができないことです。また、中国に渡って見た急速な発展や、失敗を恐れずとりあえずやってみるといった精神に触れることによって、広告プロモーション系のエンジニアが持っているような能力こそが現代日本に必要で足りていない能力なのではとより強く思うようになりました。
クアドラはまだまだ小さな組織なので、チャレンジできる余地がたくさんあります。
クアドラではチャレンジに積極的で、デジタル技術を使って新しい体験を自分の手で作りあげたいエンジニアを募集中です。
一緒に、だれも経験していないような新しい体験を作り出しましょう!
(この記事の内容は2023年3月20日時点での情報です)