和をもって尊しとなす         世界最古の海洋民族魂の蘇り

いまは@ocean_vaa が今年の最大の目標にして6ヶ月まえからそのためのトレーニングを続け、
オハナみーんなの想念とともに漕いだモロカイホエも無事に終わり、

マウイでのんびりと休息をとりながら漕いで、そしてHokule’aとの時間をのんびりと過ごしている、、、

といいたいところだけど、

なんとなんと、

ヴァアのカルチャーとスピリットをゆいつ継承し今も精力的に世界中を飛び回り活動しているわたしの大切なオハナでありメンターでもあるアンクルKimokeo のマウイの家にお世話になっているということもあり、
彼がマウイのクプナの導きのままに早朝から行動する凄まじいほどのペースと、突然命令される様々な事象に合わせて生活しているので、自分の時間がなく、かなり疲れ気味です、

でもこの降りてくる宇宙の生命力の流れのような、突然の出来事や命令に合わせることがカヌーピープルとしての生き方であり、海を人力で漕いでわたるという世界観に似ている、なんとかなるようになる、人間の判断の良し悪しとはまったく関係なく必要なように宇宙が求める方向にすすむという感覚は決して嫌いじゃない、

のんびりとした何もない原始のマナが残るモロカイ島での気の知れたオハナたちとの数日間が懐かしく恋しくもあり、

ここマウイにいるとあらためてハワイはアメリカなんだな、、、というのを強く感じています、

あまりにも車社会(モータリゼーション)に自然も人も侵され、

物に溢れて、ゴミに溢れ、物質主義の価値観にハワイアンたちも洗脳されながら、かろうじて生きているというよりも、保護というアメをもらいながら結局はアメリカという国が求めるように生かされている、

ヴァレーに棲み、昔ながらの大自然の恵みをいただきながら生きる人はほとんど見当たらない、 車に乗りマクドナルドに代表されるアメリカンな食事をする、

ハワイアンの文化を継承できる環境やプログラムを国からお金で与えられながらも、人々はアメリカ的な生活スタイルに何の疑いもなく生きている、

言い方が悪くなるけど、ハワイアンはアメリカ合衆国に飼われている、、
そんなふうにみえてしまう

こんな話をするために書き始めてわけではないのだけど、、、

今まで19歳のときからパドリングやサーフィンだけでなくビジネスも兼ねて何度もハワイに来ていて、家族でもなんども訪れているけども、

今回ほど日本を恋しく、そして日本人としての誇りを感じるのは始めてだ、

日本に帰りたい、日本の海を漕ぎたい、というのが今の心境なのが不思議だ、

前回はCovid-19のパンデミックになる直前にマウイ島に1ヶ月ほど滞在していた、

もう5年前のことだ、

その時はハワイにこのまま残り、沢山の大自然と太平洋のマナをこのハワイで感じながらアンクルからカヌーピープルとしての生き方をもっともっと学びたいと思ったほどだ、マウイを離れる前に次回マウイに戻ってきたときに3ヶ月は滞在するつもりで、友達から借りる予定にしていた家を下見して荷物を置いて来たほどだから、かならずすぐにマウイに戻ろうと思っていた、そういうプランを私なりにたてていた、

それから4年間のパンデミックがあり、そして昨年のラハイナの大火災がおこり、5年間の間にわたしも還暦を迎え人生の節目を迎えるとともに、社会からよりいっそう距離をとり隠居するように外にではなく内なる精神や魂の世界と向き合い、無心に海を漕ぐ生き方を追求し心がけるようになった、

ハワイやタヒチに行けない分、この5年間それまでに増して日本国内で様々な場所を漕いで渡った、小笠原諸島、伊豆諸島、南伊豆、西伊豆、八丈島、相模湾、瀬戸内海、玄界灘、平戸、五島列島(宇久島)など、海で、砂浜で、それまで以上に愛と感謝の祈りをささげ続けた、

そうするうちに、その祈りのエネルギーに引き寄せられるように、いままでとは違うオハナがどんどん増えていった、ピュアな心をもつ子どもたちが集まってきた、そしてその愛と調和のエネルギーの和にそぐわない人たちがクラブを後にしていった、、

ヒロシマ,ナガサキを漕いでつなぐという祈りの航海では、多くの神社や古代から聖地といわれてきた場所をPili Aloha (一つの愛)という名前がついたヴァアで海から漕いで上陸し訪れて祈りを捧げた、

アンクルKimokeo も最初から最後まですっと一緒だった、

ヴァアという調和と助け合いの精神がもっとも大切と言われるカヌーを漕ぎ続けながら、、、

このnoteに航海日誌のようにして書き綴ってはいたが、ちょうど瀬戸内海から九州に漕いで渡る関門海峡の手前までで書くのを休んでいる、

九州に上陸してからのことはこれから冬の時期をつかってじっくりと書くつもりなんだけど、

とにかく日本の歴史は長く、奥深く、繊細でミステリアスでおもむきがある、神々は人々に身近で、数万年にもおよぶ海とともに生きた人々(わたしはそれを世界最古の海洋民族と呼んでいる)の歴史があり、その文化と魂が今もそこにねむるように存在しているのだ、

日本もハワイと同じように、アメリカの覇権主義に占領され、骨抜きにされて、属国となり、若者たちは(わたしも昔はそうだった)お金と物質主義のアメリカ文化に憧れ洗脳されている、

でも、それでも、日本の古来から続く神々の神話や、和の精神と魂はたしかに生き続けている、
海洋民族の魂は、地方の神社や、森や磐や、祠や、伝統芸能などの文化や地方の祭りの中に隠れながら、ひっそりと生き続けている、

古代の日本人の祖先とよばれる縄文人、それよりも古い祖先たち、大地を破壊する農耕をし土地を所有する以前の私たちの祖先は、殆どが海に面した入江や浦に棲み、離れた島々と流通もしながら海とともに生きていたので、私たちの祖先は誰もが海洋民族だったといっても過言ではないだろう、
それもはるか数万年前から、

そして彼らは日本近海だけでなく、太平洋の海を風と潮流に漂流するかのように母なる地球が導くままに縦横無尽に航海をしていた、

タヒチにも、ハワイにも、アオテアロアなどのほかの太平洋の島々には、縄文人と思われるような人たちがやってきたという形跡や遺跡が古代の伝説に多く残っている、

その数万年も続いた私たちの祖先の魂は、年月が長かったということもあり、眠りながらそこにいて、目覚めるその時を待っているのだ

さらっと書いたけども、

そういうことをこの5年間で強く感じ、その日本各地にねむる八百万の神々、伊古奈比咩命、綿津見命、天照大御神、宗像三女神、などなどの存在に気付き、また自分の内に存在する日本海洋民族の魂とともに海を漕げるようになったことがかなり大きく影響しているのだろうか

それともわたしが還暦をすぎ、今まで以上に日本の四季や大地に慈しみを感じるようになったからなのだろうか、

それとも可愛すぎる孫娘たちへの愛おしさなのだろうか、

10代から50代まで長い間憧れだったハワイ、マウイ島にこうして居ながらも
日本に帰りたい、日本の海を漕ぎたい、というのが今のわたしの心境なのだ、

わたしの人生に大きな変化と影響を与えてくれたHokule'a と共にマウイにいるにもかかわらず、、、

5年ぶりのハワイへの旅の今回の最大の目的は、モロカイホエ、
ハワイの伝統文化でもある6人乗りのアウトリガーカヌーを使用してのモロカイ島からオアフ島までの海峡を9人で交代を繰り返しながら約70キロを漕いで渡るレースに10年ぶり参戦するのが目的だった、

通称モロカイチャンネルとよばれるモロカイ島からオアフ島までのこの海峡をローカルハワイアンはkaiwi'i channel(祖先の遺骨の海峡)と畏敬の念をもってそう呼んでいる、
この海峡を渡り海に消えて逝った多くのハワイアンの祖先、太平洋戦争の間南洋の島々やその海では日米ともにあまりにも多くの人たちが帰らぬ海の藻屑となった、その多くの魂を癒すための神聖な儀式という心意気で戦後まもなくに始まったMoloka'i Hoe(モロカイ漕ぎ)という儀式が5年ぶりに蘇ったのだ、

わたしたち『和を尊ぶ世界最古の海洋民族の末裔』たちが、日本のオハナと家族の思いとともに、”いこなひめ”やアマテラスなどの日本の神々からの力をいただき、ひとつのエネルギーとなり太平洋のど真ん中の海峡を1000人近くの海の民の末裔たちがその手で海を撫でながら決死の思いで、
海との調和、仲間との調和だけを念じるように心がけて漕いで渡る、

海に感謝し

母なる地球に愛を伝え

そして
海を渡った先人たちの魂を癒す

その愛と調和のエネルギーは波紋となって太平洋全体を癒し、母なる地球をやさしくつつみこむ、

まさにそんな命がけの精根尽き果てるような儀式だ

とわたしは感じている、

2012、2013、2014、と今までオーシャンとしてこのモロカイホエに参戦したことがある、そのときは世界で一番由緒ある過酷でいて美しすぎる憧れの海峡横断レースという感覚がわたしにもクルーみんなにもあった、

たしかインタビューされて「アウトリガーカヌーレースのスーパーボールだ!」みたいなチャラいことを言っていたのを覚えている、

そのあと、2016、2017、年とタヒチのハワイキヌイヴァアというフレンチポリネシアの4つの島を漕いで渡るというタヒチアンが胸をはって言う「桃源郷を目指した偉大な祖先とつながるためのレース」に参戦して、おおくのことを感じて影響をうけ、クラブとしては、とくに速く漕ぐことを求めるメンズは常にタヒチアンへの憧れとともに練習で海に出るようになった、

Covid-19のパンデミックが開けて、昨年またハワイキヌイヴァアへ行こうという流れになったけども、ずっと就航をお休みしていたAir Tahiti nui の直行便がレース前日でないとパペーテに到着しないということが判明したのでそれを諦めた、ならモロカイホエに行こうとなったけども、ラハイナの大火災の影響でモロカイホエはまたキャンセルになったのだった、

それは自分たちの計画ではなく大いなる存在のおはからいだった、

すべてが大きな流れだった、大きな目に見えない存在の導きだったのだ

そして、今年になり、これもまたえたいのしれない大きな大きな導きにより、海や祖先の魂とはまったく縁がないような生き方をしてきた多くの人たちを巻き込んでの一大プロジェクトが動き出し、シーズン前の3月の時点ですでに今年のメンズ、@ocean_vaaの目標はモロカイホエとさだめられたのだった、

このことに関しては、これから数カ月後に多くの日本人が知ることになると思う

こうして文章をかくために何気に振り返ってみると、この数年でいろんなことが、わたしが頭でプランをたてたり求めたり、それこそ願ったりする必要もなく、自分の意思とは関係なく、大きな宇宙の生命の力により人間の生き死にがコントロールされてるのと同じように、わたしたちは導かれ、わたしたちが進むべき場所にむけて進んでいるかのようだ、

ただわたしが常に心がけてやってきたことは砂浜で、そして海をなでながら感謝と愛の祈りをささげるように聖霊の種を撒いてきただけなのだ、、

そしてハワイアンもわたしたちと同じように何かを求めていたのだ、、
単に海峡横断レースの復活ということだけではなく、海洋民族としてのスピリットを覚醒させるような何かを、

この太平洋の真ん中の島、ハワイアン発祥の地とも言われ、今でもむかしのままの風景と原始のマナが残るこのモロカイ島に、「和を尊しとする日本海洋民族の末裔としての誇りと魂」を持つ選ばれしクルー9人で来れるようになるまでに10年かかった

それぞれの現実社会での成長のタイミングと、魂の目覚めと、そして大いなる宇宙の生命力に導かれてモロカイ島に9人で戻ってくるのに10年もかかったことになる

そしてこの導かれた9人のクルーは、わたしが今年のシーズン始まる前、この一大プロジェクトが始動するまえにすでにイメージしていたモロカイクルーそのものだった、

漕ぎ力だけじゃなく、これこそオーシャンのオハナ代表、日本海洋民族の代表と胸を張って言えるような、長い年月を共に漕いできたすべてにおいて信頼できる経験者と、誠実で自分の役割を理解している、動ける若手のメンズ9人たちだったのには私自身も驚いた、

彼らは一人一人の漕ぎ力も経験値も、遠くハワイアンには及ばない、
ハワイでは子どもたちも授業の一環としてカヌーを漕ぐことから始まる、祖父、祖母、そして両親たちからモロカイ海峡を渡った時の武勇伝を聞いて育つ、一つのカヌークラブが保有する6人乗りのカヌーの数は日本列島全土にある6人乗りのアウトリガーカヌーの数量の数倍にも及ぶ環境の中で、

毎朝、日課として仕事前に海を漕ぎ、夕方また海を漕ぐことを習慣としているパドラーたちがすべての島にいて、そういうライフスタイルを100年以上前から3世代から4世代と続けながら一年中暖かな常夏の島で暮らしている、

モロカイホエの最後の約20キロのコースをなんどもなんども伴走艇を付けて練習をし、波のかたち、風の吹き方、潮の流れ方、などすべてを熟知している人たちが多くいる、
タヒチのような漕いでお金をもらうような実業団クラブはハワイには無いが、漕げる才能がある若者は、そのファミリーにとって最高の栄誉で誇りだから親族皆からのサポートを受けながら漕ぐ、そして強いカヌークラブを渡り歩いていくのだ、

ヴァアという6人乗りのアウトリガーカヌーを知ってまだ2年も経たない20代の若者も含め、30代、40代の男たちも、皆フルタイムで働き都心に通勤し、家族を養いながらできる範囲で日々漕ぎ続けてきた私たちオーシャンのメンズたち、カヌーの文化もなく、周りからの援助もなく、オハナにあたたかく見守られて、なにかに取りつかれたようにこの数ヶ月、皆のために、という心意気だけで海に出続けてきた彼らたち、

そんな日本から3日前にモロカイに降り立ったわたしたちが、名だたるハワイのカヌークラブや海外からのクルーをも押しのけて、オープンメンズクラスで20位になるということは、誰も口には出さないけども、私はクラブの長老として冷静に判断してみても凄いことだおもうのだ、
それは順位だけではない、
すべてに守られ導かれて海峡横断ができたこと、目に見えない大きな力が確実にそこには働いていた、
海を渡る6時間弱の間だけでなく、この日の数ヶ月まえから、色んな場面でなにかにみ守られ導かれていた、

まるで、こうしなさい、というように、

もちろんpeperu(舵取り)をやったコーチでもあるkenny の14回モロカイ海峡を渡ったという経験値と漕ぎ力はハワイアンなみ以上だし、伴走を直前で引き受けてくれた律儀なナイスガイのDeanくん(彼との出会いも導かれていて、当初予定していたボートキャプテンとモロカイに到着してから急に連絡が取れなくなり、前日まで日本に観光旅行に行ってたという彼に白羽の矢がたったのだった)のエスコートの技術は正確で素晴らしかった、そのおかげで6時間をきることができたといっても過言ではないだろう、

5年前のコロナ禍からというもの、オーシャンだけでなく
わたしたちをとりまく環境は劇的に変わった、

母なる地球🌏が新しい周期にシフトした、宇宙の規則が変わった、と言ってもいいぐらいに、

『母なる地球にアロハをこめて海を撫でる』

『母なる地球が一つの愛に包まれるために私たちは海を漕ぐ』

と言ってももう誰も笑わない、そんな時代がもう始まっている、

物質やお金や権力の影響力ではなく

愛と感謝の祈りの影響力に誰もが気付き始める時代になった、

モロカイホエレース当日、10月13日は古代から続く占星術の世界では、宇宙の法則として数年前から始まっていた『風の時代』 へのシフトが完了するというスペシャルなその日、

わたしたち『和をもって尊しとなす世界最古の海洋民族の末裔』@ocean_vaaの虹の戦士たちと、太平洋の海をアロハを込めて漕ぎ続けてきたハワイアンたちが、
ひとつの調和のエネルギーとなり太平洋の真ん中の海峡を決死の思いで漕いで海をなでる👍


レース前日のコーチミーティングの最後に壇上に上がり、スタンディングオベーションで迎えられ、集まったパドラーのコーチに向けて語った73歳のアンティーの最後の言葉がすべてを物語る、
彼女は76年の初代ホクレアクルーの娘でもあり、
母親はホクレアの最初のワヒネクルーだったと紹介された、

彼女は最後にこう言ったのだ

One Ocean, One Heart, One Spirit,
私たちは海の民、

「一つの海、一つの心、一つのスピリット、」

そして、彼女は涙ぐみながらこう締めくくった

「明日は海に敬意を表してお互い尊敬し合い助け合って地球とつながりなさい」と、、、  

私たちオーシャンの今回のモロカイクルーは常にそういう気持ちで海に出てきた、

南伊豆の海を漕ぐときも、

葉山の海を漕ぐときも、、

10年ぶりのモロカイホエ、
すべてが10年前とおおきく変わっていた、

9人誰一人として、たんに海峡横断レースとしてハワイに憧れて、モロカイ島のHale O Lono (ハレオロノ)『ロノ神の家』というこの神聖な浜にパドルをもって立った人は誰もいない、

10年が経ち、

誰一人として自分自身のわがままや達成感や満足感、そして虚栄心のために、この『祖先の遺骨が眠る海峡』を漕いだ人はいない、と断言できる、

彼らは全員が最後は泣きながら漕いでいた、海を撫でていた、すべての人のことを思って、

そして、ゴールした彼らの口からでた言葉は感謝しかなかったのだ、

ありがとう、
愛してる、

その感謝の念は、確実に海にそして母なる地球にとどいている

もうすでにこの9人のモロカイクルーを追い越すかのように、葉山では海のこどもとこびとたちが確実に育ってきている、
数年後にはタヒチアン、ハワイアンに負けない海を熟知したパドラーたちが育ち、調和と助け合いの心で海を撫でながらいろんな海を漕ぎ続けるだろう、彼らには確実に先人たちの魂が宿っている、

『和をもって尊しとなす世界最古の海洋民族』

の魂と誇りを今の世界に蘇らせることができる、と私は確信した

そんな2024年のモロカイホエだった



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