映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」観ました
オススメ度
★★★★☆
「ドゥ・ザ・ライト・シング」観ました。
良い映画。
勧善懲悪でない、
誰もが悪い人間ではないが、
それでも起こる
人間同士の摩擦からの暴動と、
差別が生んだ世界を
淡々と描く人間風刺。
最後の結果は、
なるべくしてなった
流れだったと思います。
「自分は何も
おかしい事はしてないのに」
とか
「何も悪い事はしてないのに」
などと、ピザ屋は言うだろうし、
日本人は、
このピザ屋に同情する者が多そう。
しかし
[過去から続く差別の傷]
に鈍感な者の発言は、
時に思いやりに欠け、
愚かなんですよ。
映画を観ていて思ったのは、
黒人達は、
自分の思った事を言いたい放題に、
それぞれ喧嘩の様に
お互い言い合っていても、
その中で、相手の方が心に
余裕がない者だと感じれば、
譲っている場面が
多々あるんですよね。
自分も決して
我慢したりはしないけれど、
余裕があれば
相手に思い遣りを持つ。
これが彼らの中にある
[お互いに
毒を吐きながらも
共存する仲間としての意識]
であり、
優しさなんだと思う。
心に傷を負っている者への理解、
相手のこだわり、
個性への配慮。
その絶妙なバランスを、
文化の違う部外者が理解し、
割り込んでいくのは
難しい事なのでしょう
(それこそ
「ヘアスプレー」のトレイシー位、
相手の気持ちをわかる人間でないと)
作中、
イタリア移民のピザ屋には
それが無かったと思う。
間違った事はしていなくても、
際立った差別はしていなくても、
「知った事か!!」
という態度を一貫し、
「ここは俺の店だ!!」
という態度
(自分本位の余裕のない正論)
を一貫して、
異常な程の個性と、
こだわりを持っている者を
「社会性が無い」
と馬鹿にし、
[相手の個性を尊重し譲る]
という場面が無かった。
マジョリティ
(優遇される属性とされている側)と
マイノリティ
(差別されてきた側)という
デリケートな関係の不理解もある。
日本にもこういう
社会人男性は多いなぁ・・
という印象があります。
[子供の言い分を理解せず、
正論で押さえつける父親]
みたいな。
あと、
[労働が本質ではない者]
もこの世にはいるんですよ。
そういう者達は、
[貧しさ]という代償があっても、
自由な時間と団欒を欲する
(私もそういう人種だけど)。
そういう人達に
「労働しない者は屑だ!!」
という自分の価値観を押し付けるのも、
やはり相手の個性を認めない行為
なんですよね。
これも日本でもよく見る光景。