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教科書の中の『考える人』に会いに行く

パリの空は曇っていた。彼に会いに行く朝、まるで水彩画のように色あせた空が、静かに街を包んでいた。

私は芸術とは縁遠い人間だ。美術の教科書で見た「考える人」以外、ロダンの作品など知らなかった。

ロダン美術館に向かうメトロの中で、スマートフォンで検索した情報を読み返す。

ここには、日本人女性・「花子」という作品があるという。

森鴎外の小説に登場する花子の存在が、この美術館との距離を一気に縮めてくれる気がした。

共通点はただ私も彼女と同じ日本人ってだけなんだけどね。

正門をくぐると、まず目に入ったのは手入れの行き届いた庭園。

やっぱり彼のまわりにはスマホ片手の観光客でいっぱい

その中をかき分けて私も彼「考える人」の前に立つと、思わず笑みがこぼれた。

教科書で見た姿そのままなのに、なぜかずっと身近に感じられる。

考え込む姿勢とかよく真似したりしたよなぁ…なんて、懐かしい記憶が蘇ってくる。

館内に入る前に、リュックを預かってもらう。

「スリに気をつけてね」という親切な忠告を受けながら、いざ中へ。

想像以上の静けさに包まれた空間で、大理石の床を歩く足音だけがかすかに響く。

ガイドブックには載っていない、作品から作品へと続く

「永遠の青春」の前で足を止める。

関係ないけどすごーく足の長い美女と「永遠の青春」

これ、どっかで見たことあるなぁ。。。

これまで触れてきた彫刻美術作品といえば、印刷された平面的なイメージだけだった。

目の前にある立体は、見る角度によって表情を変え、光の加減で陰影を深める。

庭に戻ると、「地獄の門」の前では、観光客たちが足を止めて写真を撮っている。

私はそばのベンチに腰を下ろした。フランスの庭園には、どこか数学的な美しさがある。

幾何学的に配置された木の向こうに、パリの空が広がっていた。

木陰で、スケッチブックを広げる画学生たちがいる。

彫刻だけではなくゴッホやモネの絵画もたくさんあって楽しめた。

タンギー爺さん

館を出る前に、もう一度庭園に出てみた。午後の陽射しが、彫刻の輪郭を優しくなぞっている。

曇り空は静かに晴れていった。

芸術とは、案外、特別な知識や経験がなくても、ただそこに佇むことから始まるのかもしれない。

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