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教えること、学ぶこと、香りの記憶
あれから二十年以上が過ぎた。
それでも、あの日の記憶は今でも鮮明に蘇る。
日本語教師として働き始めたばかりの頃、私は「先生なのだから」と肩に力が入り、教案を練り、文法の説明を覚え、日本文化についても詰め込むことに必死だった。
茶道、歌舞伎、大相撲、能……名前と簡単な説明だけは、いつでも答えられるように準備していた。
「先生、”こうどう”についてどう思いますか?」
授業後、アンリという学生が私に尋ねた。
その言葉を聞いて、一瞬私の頭の中は「?」でいっぱいになった。
いきなり「こうどう」って……。
行動(こうどう)? 講堂(こうどう)? それとも光堂(こうどう)?
どの「こうどう」なのか全く分からなかった。
「え、こうどう…ですか?」と、私は少し困惑して答えた。
すると、アンリはにっこりと笑いながら、突然手を鼻に持っていき、香りを嗅ぐジェスチャーをし、「そうです!香道は、香りを楽しむ日本の伝統文化ですよ!」と言った。
その瞬間、私は心の中でホッとした。
ようやく意味が分かったものの、正直に言うと、それがどんなものなのかはほとんど理解していなかった。
香りに関して、さすが香水発祥の国フランス人らしいなぁと思いながら、アンリの言葉を聞いていた。
そこから始まった彼の話は、私の「教師」としての意識を少しずつ揺さぶっていった。
「フランスでは、香りは自己表現なんです。だから香水をwear『まとう』んです。でも日本の香道は違う。香りを『聞く』なんて、なんて素敵な表現でしょう!」
同じ「香り」でも、文化によって受け止め方がこんなにも違うのか――。
「源氏香」という香りの組み合わせ遊びについて、アンリは熱心に説明してくれた。
香りによって物語を表現する。その発想に、彼は心から感動していた。
その時、私は自分の浅はかさに気づいた。
目の前にいるフランス人の学生は、私よりもずっと深く日本文化の一面を理解していた。
私は「教える」ことに必死で、「学ぶ」ことの喜びを忘れていたのだと。
それから二十年。
教室で出会った数多くの生徒たちの中で、あの日アンリから学んだことは今も私の中で生き続けている。
香りは目に見えない。
でも、あの日の香りの記憶は私に大切なことを教えてくれた。
それは、教室がただ知識を伝える場所ではなく、互いに学び合う場であるということだ。
教えているつもりでも、実際には彼らから学ぶことが多いと気づかされた。
今でも時々、あの日のことを思い出す。
あの時、今より経験が浅かった日本語教師が、一人の生徒との対話を通じて気づいたかけがえのない学びの瞬間を。
年を重ねた今だからこそ、あの時の経験の大切さがしみじみと分かる気がする。
そして、いつか香道についてじっくりと学び、あの時のアンリとの会話を深く理解できる日が来ることを楽しみにしている。