人生の向こうの方
「将来のこと考えてるとわくわくするよね」
大好きな同級生が放ったその一言に、全く肯定の気持ちが浮かんでこず、フリーズしたことを思い出した。明るくて、笑顔が素敵で奔放なのに思慮深い言葉遣いをする子だった。
私は自身の将来のことを考えるのがすごく嫌いだ。苦手だ。
願った通りになることはほとんどないのに、ふんわりと思い続けてきたことはある日突然叶ったりする。努力を要求してくるくせに努力が実ったところは見られなかったり大変わかりづらかったりする。こんな不透明な人生というものの向こうの方を見通そうと、少しでも明るくしようと、もしくは自分で道を形作っていこうとする行為がすごく苦手だ。
すべては自分の怠惰で怖がりな性格に由来することはわかっているけれど。
進路を考えたりするのも、後回しにして最後には直感で考えてしまう。あほだと言われても仕方がないような性質。
急にこんなことを思い出したのは、新年早々「将来」に否応なく、しかし優しく向き合わされる出来事があったからだ。
毎年なんだかんだ実家にもどり、だらだらとした年末年始を過ごしている。今年も例にもれず、多分再来年以降はゆっくりできないだろうということで長めに実家に帰省していた。
病み上がりで体力のない母と一緒に散歩をしたり、ゲームをしたり、お昼寝をしたりで幸せな年末年始だった。
「今年は来た分だけ返そうと思って」
毎年私の10倍以上の年賀状を書いては受け取っている母がそう言うので、先の大病で私の想像以上に体力を削られているのか、それともデジタル化の波に乗っているのか・・と思っていたところ、やはり今年も大量の母宛ての年賀状がきた。これをすべて返すのか、と途方に暮れている母に、あて名書きをやろうか?と提案した。
私は実は年賀状を書くのが好きで、もちろんメッセージを書くのも好きだがあて名を書くのも嫌いでない。大切な人の名前、住んでいるところを、息を整えつつ書く瞬間が好きだ。字はお世辞にもきれいとは言えないけれど。
体力を温存したい母と、あて名書きをやりたい私の需要と供給が一致し、早速母宛ての年賀状を見ながら、あて名を書き始めた。
埼玉、北海道、愛知、色々なところからの年賀状があって楽しい。人の名前の漢字を意識しながらかくのも楽しい。何の気もなく書かれているメッセージもちらりちらりと読む。
「定年があと2年延びそうで、複雑な気持ちです」
「最近は家の中より庭にいることが多い毎日です」
「長女は大学生になって、頼りになります」
私にくる年賀状(といっても今年は3枚しか来なかったが)とは全く違うことが書いてある。年に1回の年賀状のみの付き合いの人も大勢で、その人たちの今の生活をふわりと表された一言。多分50-70代の知らない人たちの生活。
あれ。
私も生きていったらきっと迎えるだろう年齢の、その人たちの生活。畑で笑っている写真。ワイン片手に微笑む夫婦の写真。大きな子供たちの写真と小さな家族写真。
これ、人生の向こうの方、よく見えないくらいの地点の「将来」じゃないか。
何も考えずに始めたあて名書きが、にわかに大きな意味をはらんだ時間に変わった。
年賀状にどんな生活をしているとつづりたい?
不透明で見えづらくて、とても苦手だった「将来を考えること」が、私の中で100gくらい軽くなった気がした。こういう風に考えたらいいのか。肝心の答えが見つかる前にあて名書きは終わってしまったけれど(そして、母の中学の国語の先生の、住所の漢字を間違えるというような失態もいくつか犯したけれど)、新年早々大切なことを教わった気がした。
さて、どんな将来にしよう。
ふわりと考えていこう。
2022年、今年も少しずつ文章を書けたらいいなと思っています。
今年も読んでくださる方、有難うございます。今年も読ませてくださる方、有難うございます。
宜しくお願い致します。