言ふなかれ、君よ、わかれを、
「大東亞戰爭に就いて」という文章で白秋は「 詩歌を以て愛國の至情を獻げ得る我がこの職分を思ふと、血湧き肉沸る思がする」と言い、戦時に歌を詠む心構えを説いています。
しかし、そんな白秋が書いたのは次のような詩でした。
この詩は『大東亜戦争少国民詩集』 (北原白秋著、朝日新聞社, 1943)という本に収められているものなのですが、北原白秋記念館 の北原白秋作品年表を見ると白秋の最後の詩集は昭和17年9月1日発行『小国民詩集満州地図』となっており、白秋死後の昭和18年8月20日に発行されたこの詩集は後記で藪田義雄が書いているところによると白秋の絶筆であるということなのですが、白秋記念館では無視されているのでしょうか。
私がこの詩集を読んで注目したのは、その内容よりもむしろ朝日新聞出版局によって書かれた序文です。
これまでの詩は青白い感傷とひ弱で不健康な美意識に縛られていたのである、と断じているのですが、これ白秋の長年の詩業も否定してしまっていますよね。絶筆なのに。いやひどくないですか朝日さん。
こういうのを読むと詩歌などというものが「健康で逞しい精神」を持った人たちから見れば世の中の役にも立たない、日陰者の戯言ぐらいの存在でしかないのだなあ、とあらためて思うのです。そして当時の詩歌人が戦意高揚詩に手を染めていった心情というのも少しわかるような気もするのです。
それまで日陰者の存在であった自分たちが突然、光栄ある聖戦の熱血の進軍歌の歌い手としてメインステージに躍り出たわけですから。
日本の抒情詩を代表する存在であったいわゆる「四季派」のひとりである丸山薫の次のような詩にはそういう詩人たちの心情がよく出ているのではないでしょうか。
これから自分が描くのは民族のみなぎる力と意欲と理想による雄渾な未来への素描であり、昨日までの浮ついたまやかしの薄っぺらな絵とはちがうのだ、と言うのです。
これは時局に望む姿勢の象徴であると同時に自らの詩法の転換も示唆しているのでしょう。
このような詩人たちを使って『辻詩集』(日本文学報国会編) 、『大東亜戦争愛国詩歌集』(大政翼賛会文化部編)、『嗚呼特別攻撃隊』(楓井金之助編)、『国民詩』(中山省三郎編)など、つぎつぎと国策的なアンソロジーが戦時下で編まれていくことになりました。
『戦争詩集』 (大阪詩人倶楽部, 1939)というアンソロジーがあるのですが、これについて三好達治は、雑誌『新日本』(新日本文化の会)の1939年4月号誌上の「灯下言―詩歌時評」に実戦経験のない銃後作家の書く詩の空想癖と無力さに対して警鐘を鳴らしています。
はじめに紹介した白秋の懸念と似たようなことを三好もまた言っているのですが、しかし、そんな三好も白秋同様、数年後にはこんな詩を書くようになります。
三好は「ここはお國を何百里」という軍歌について、雑誌『文芸』(改造社)1937年10月号の「軍歌雜記」に、
と書いているように、詩に対してイデオロギーではなく、何よりも「哀感と感愴とを、その昂奮と陶酔とを」求めたため、時局の異常な高揚感に抗するすべもなく、高く高く舞い上がって行ってしまったのでしょうか。
そんな三好を杉山平一は「三好達治の詩と人柄」(『杉山平一詩集 現代詩文庫』、思潮社)で弁護してこう言います。
「普通の詩と一緒に同列に並べて批判するのはちょっと酷、気の毒ではないか」という杉山のいいぶんにはうなずける点もあります。でもそれにしても、「普通の詩」との落差が大きすぎないでしょうか。
杉山の校歌だから普段の自分の詩法とかけ離れるのはしょうがない、というのは、そうは全面的には言い切れないと思います。
例えば、「信濃川 静かに流れよ 我が歌の尽くるまで・・・」 というのは西脇順三郎が故郷の小千谷高等学校のために作った校歌の 書き出しなのですが このフレーズについて目崎徳衛の回想があります。
もちろん校歌と戦意高揚詩では 締め付けの度合いは全く違うでしょうが、 ただ 、いろいろとうるさい制約の中でも西脇は遊びを入れることを忘れなかったのでした。
「戦意高揚詩」と「普通の詩」の落差については戦後派詩人の代表的存在であった鮎川信夫などがとくに批判のカナメとして問題視していますが、もはや問題にする価値もないとして、高崎隆治は「民衆の戦場詩について」(https://core.ac.uk/download/pdf/223206293.pdf)で専門詩人ではない民衆詩人の発掘の必要性を訴え、『征旅転々 : 中地清詩集 』 (至玄社, 1941)や『ガダルカナル戦詩集 : 前戦にて一勇士の詠へる』 (吉田嘉七 著,毎日新聞社, 1945)などを紹介しています。
中地清は詩、小説など複数の著作を持ち『戦陣の瞑想』( 中地清 著 ,矢貴書店,1942)の奥付の『みなみ』重版の宣伝文には「世の好評を得特配紙を受領せり」と記されているように当時は紙も貴重で誰でも彼でもが本を出せるような状況ではなかったであろうことから中地清を素人作家ということはできないのではないかとは思いますが。
高崎は専門詩人たちの戦意高揚詩を「無内容な侵略詩」と断じて取り上げる価値なしとするものの、戦中詩をすべて切り捨てて近代詩史に空白を生じさせるのもまた不毛なことだとして、民衆兵士の詩の発掘ということを提起しています。
しかし私はあえて詩人たちの戦意高揚詩を読み直すことでも有意義な発見があるのではないかと思うのです。戦中詩については、ある種の嫌悪感や、まともに取り上げるのも馬鹿馬鹿しい、という考えや、また書いた詩人本人も恥として隠してしまいたいという思いが強いという事情からか、批判的に語られる場合の断片的な紹介の他はほとんど顧みられません。が、私はやはりそのような状況は詩を考える上での空白であり、それよりも全て明らかにして誰でもが語り合えるようなフラットな状態にすることがこれからの詩の世界を豊かにする糧になるのではないだろうかと思うのです。
戦意高揚詩のなかには進軍ラッパのような勇ましいだけの詩とは違うものもあります。
まあ、「兵隊さんが紅葉のやうな血を流している」とか「私は美しい涙を流す」とか、なにいってんだという感じで、まったく評価のしようのない詩なのですが、私が興味を持ったのは同じ作者の戦後の詩との比較なのです。
この詩だけを単独で読むと、どうということもない詩で、薔薇は摘まれると心が痛むのにクローバーは縄を編めるぐらい摘んじゃっていいんかい!というくだらないツッコミが思い浮かぶだけなのですが、先程の戦中の詩と比較すると一種異様な感じを私は受けるのです。
5年の間に神は「天皇陛下」から「キリストさま」に、大東亜共栄圏地図はキリスト教会学校の絵カードへ、兵士は「神通力」で「神のつばさを持った」存在から「世界中の無名戦士」へと変わり、血だらけの兵士の敵前上陸と心を一つにしようと呼びかけていたのが「摘むのはお止し」「匂いを嗅げばそれで良い」と慈愛に満ちた母となって子供を諭しているのです。
このあからさまな変節ぶりにある人は憤慨し、またある人は冷笑するかもしれません。
しかし そういうことよりも私が 異様に感じたと言ったのは、思想的には180°の大転換がこの数年の間に作者に起こっているのにもかかわらず、その語り口の調子もリズムもほとんど変わらず、精神の激しい葛藤のあともうかがえないということです。
さらに言えば 二つの詩に共通する自らの世界を美しく描こうとするあからさまなナルシシズムにも、敗戦はなんの痛手も与えなかった様子です。
よく、自分たちは軍国教育に洗脳されていたのだ、そして敗戦によって自分たちは目が覚まされた、というような回顧を目にするのですが、この壺田花子の戦中戦後の詩の語り口の変わりなさを見ると、軍国主義もあるいは戦後民主主義もひとを「洗脳」なんてできはしないのであり、もっと別の動かしがたいものに従ってわれわれは生きているのではないか、とふと思うのです。
そんなことを考えるきっかけとしても戦中詩を読むことは無駄ではないのではないでしょうか。
戦時中の戦意高揚詩は多くは時局に迎合したキャンペーンのように決まり文句が羅列されていて、それこそ 杉山平一の言う校歌のような、それもかなり出来の悪い、どれもこれも似たり寄ったりなもので作者の名前を入れ替えても 気づかないのではないかと思うほどなのですが、それでも中には 今日でも 読むに耐えうるような詩も含まれているのです。
稀にそういう詩に出会うと川原の石の中から自分だけの宝石を探し当てたような、宝探しのような、興奮が味合えます。
例えば大木惇夫という人などは『わが祖国の詩 : 青年と日本愛国詩史』(野間宏 等著 ,理論社, 1952)のような左派系イデオロギーで戦争協力者を断罪していくような本では「侵略者の歌」「狂った軍国主義」と罵声を浴びせかけられていますが、彼の『戰友別盃の歌』などは今日でも読むものに感銘を与えうるのではないでしょうか。
この詩はかなり有名な詩なので宝探しというほどでもないのですが、ご存知ない方のために紹介して終わろうと思います。ながながとありがとうございました。
<参考リンク>
文中でとりあげた本へのリンクを順に紹介しています。国立国会図書館の『個人向けデジタル化資料送信サービス』では多くの戦時中の詩歌書も読むことができます。
『大東亜戦争少国民詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 北原白秋 著 (朝日新聞社, 1943) 「海軍魂」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1129272/23
『白秋歌話』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 北原白秋 著 (河出書房, 1944)
「大東亞戰爭に就いて」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1069596/27
『愛国詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書
日本放送協会 編 (日本放送出版協会, 1942)
「目次:南洋を望んで」丸山薰 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1905204/123
『大東亜戦争愛国詩歌集. 1 (詩歌翼賛特輯)』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 大政翼賛会文化部 編 (目黒書店, 1942) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099211
『嗚呼特別攻撃隊 』国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 楓井金之助 編 (国民新聞社, 1942) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062746
『辻詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 日本文学報国会 編 (八紘社杉山書店, 1943)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1128829
『国民詩. 第1輯』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 中山省三郎 編 (第一書房, 1943) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1128826
『戦争詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 大阪詩人倶楽部 編 (大阪詩人倶楽部, 1939) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1263144
『新日本. (4月號)』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 雑誌 (新日本文化の会, 1939-04)
「灯下言―詩歌時評 」三好達治 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1566494/33
『愛国詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 (日本放送出版協会, 1942)
「アメリカ太平洋艦隊は全滅せり」三好達治 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1905204/29
『文藝. 5(10);10月號』国立国会図書館/図書館・個人送信限定(改造社, 1937-10-01)
「軍歌雜記」三好達治https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10988062/77
『伊丹万作全集. 第1』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 (筑摩書房, 1961)
「戦争責任者の問題」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2466997/111
『平成四年度「西脇順三郎先生を偲ぶ会」総会記念講演』目崎徳衛https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/files/e5b9bbe5bdb1e8ac9be6bc94e8a898e98cb2e68eb2e8bc89e79baee5b48ee383bbe794b0e69d9120210118194511.pdf
『英文学の鑑賞』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 大和資雄 著 (研究社出版, 1949)
目次:三 スペンサーの「祝婚前曲」 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1705841/58
「征旅転々 : 中地清詩集 」国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 中地清 著 (至玄社, 1941)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1129090
『戦陣の瞑想』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 中地清著 (矢貴書店,1942)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130267
『ガダルカナル戦詩集 : 前戦にて一勇士の詠へる』国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書 吉田嘉七著(毎日新聞社, 1945) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1129264
『大東亜戦争愛国詩歌集. 1 (詩歌翼賛特輯)』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 大政翼賛会文化部 編 (目黒書店, 1942)
「一枚の地圖・壺田花子」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099211/18
『現代日本詩集』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書 現代日本詩歌集刊行会 編 (南風書房, 1947)
「子供と五月の花」 壺田花子 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1706878/77
『わが祖国の詩 : 青年と日本愛国詩史』 国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書
(青年学生新書 ; 第3) / 野間宏 等著 (理論社, 1952)
「侵略者のうた 大木惇夫・草野心平」 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1341557/108
『海原にありて歌へる 』国立国会図書館/図書館・個人送信限定図書
(大東亞戰爭詩集 ; 第1輯) / 大木惇夫 著 (アジヤラヤ出版部, 1942)
「戰友別盃の歌」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886064/13