「月の光を殺そう!」
西脇順三郎は『雑草と記憶』というエッセイのなかで
と述べていますが、ヒュームもまたロマン主義者たちが神秘性の象徴として好んで取りあげ、思い入れたっぷりに歌いあげた題材である「月」の姿を一個の風船玉としか見ません。
未来派もまたロマン主義的な月のイメージに反発します。彼らは数百個の電気の光をかざして月の光を抹殺しようとします。
稲垣足穂(1900-1977)は十代のころ未来派芸術に出会い衝撃を受けます。やがて彼らの思想の底流にベルクソン哲学が流れているのを知り、ベルクソンの著作も読みあさります。
未来派のマニフェスト文を写し取って教科書の間に挟んでいたタルホ少年は数年後、作家となります。彼はイタリア未来派が葬り去った月の代わりに、ブリキで作ったお月様を黒いボール紙製の天に貼りつけてみせています。
マリネッティたち月光抹殺者と違って、足穂はあくまでも「月光密造者」なのでした。
足穂のファンシーなイメージ、「物そのものとして物を見る」態度、オブジェ嗜好にはイマジズムに通じるところがあるように思います。
「イメージは詩人の絵の具である」
現代詩に大きな影響を与えたヒュームですが、自身は作家というよりは哲学、理論のひとであり、夭折したこともあると思いますが、詩人としては上記のような短詩を数編書き残しているにすぎません。また、それらの作品に対する評価も高いとは言えません。
実際にイマジズムを主導し、そのイメージの詩学を発展させたのはエズラ・パウンドでした。
このようなパウンドの姿勢はベルクソンが「われわれがさまざまな芸術のうちに見いだすのは、事象に対するいっそう直接的な視覚であり、芸術家が人よりも多くのものを知覚するのはその知覚を利用しようと考えないからである」(「変化の知覚」『思想と動くもの』[訳]河野与一:岩波文庫)と述べていることに通じるように思います。
抽象化を嫌い、純粋な感覚のみを記述しようとするのはイマジズムに限らず十九世紀後半から二十世紀にかけての芸術の大きな特徴となります。
二十世紀芸術のさまざまな技法もこの純粋感覚に達するための試行錯誤から生まれています。
パウンドがそのイメージの詩学を確立するにあたって大きな示唆を受けたのが漢字と日本の俳句です。
という守武の句の英訳、
にインスパイアされたパウンドは日本の俳句を手本にして次のような短詩を書いています。
よけいな説明や観念を避けてイメージにまたイメージを重ねることで「瞬間のうちに知的・情緒的複合を表現する」ことが時間的、空間的制約から読者を自由にして、不意の解放感を与えてくれるのだ、とパウンドは言っています。
「偉大な文学とはまさに能うかぎり意味を充電させた言語である」(パウンド「いかに読むか」『詩学入門』[訳]沢崎順之介:冨士房百科文庫)というのは、ピカソなどの二十世紀絵画がそうであるように、さまざまな要素が極端に圧縮されることでより強固な美が構築されるという意味ではないかと思います。
ヒュームやパウンドから強い影響を受けたT.S.エリオット(1888-1965)の詩になると何の説明もなく断片的なイメージが投げ出され、突然に外面描写から内面描写へと視点の移動がおこなわれたりします。また時制や話法の直接・間接の別なども、わざとごちゃまぜにされます。
このエリオットもまたベルクソン哲学によって自らの考えを深めていったようで、岩崎宗治(「講座 英米文学史12」:大修館書店)によると、エリオットの代表的論文である『伝統と個人の才能』における、「歴史的感覚」はベルクソンの「持続」、「個人の意識とヨーロッパ精神のアナロジー」は「創造的進化」、「非個性論」は「二我の説」というようにそれぞれベルクソンの影響下に書かれたものだと考えられるそうです。