見出し画像

ペーパー・ムーンの詩学~遙かなる二十世紀詩 (2)〈瓶詰めのイメージ〉



「月の光を殺そう!」

西脇順三郎は『雑草と記憶』というエッセイのなかで

私など自然の風情を愛する気持ちは全く vision であって thought からでない。ワーズワスと違いそれは何等神に通ずるすべもないものだ。vision といっても Blake の意味する vision でもない。それは全く現世的なもので、古い一文銭の追憶としての vision で、ただ人生の唯一の夢であるにすぎない



と述べていますが、ヒュームもまたロマン主義者たちが神秘性の象徴として好んで取りあげ、思い入れたっぷりに歌いあげた題材である「月」の姿を一個の風船玉としか見ません。


夜更けて ものしずかなドッグの上に
中空高くそびえたつ帆柱の索具にからまって、
月がかかっている。あんなに遙かに思われたものも、
なんのことない、子供の置き忘れた風船のようだ――。


(T.E.ヒューム「ドックの上に」[訳]長谷川鑛平:法政大学出版局)



未来派もまたロマン主義的な月のイメージに反発します。彼らは数百個の電気の光をかざして月の光を抹殺しようとします。


高原の空気のようにとらえどころのない孤独のなかで、叫び声が聞こえた。


「月の光を殺そう!」


いく人かの者たちが近くの滝へと駆けつけた。いくつかの巨大な車輪が高く上げられた。そしてタービンが水の速さを磁気的な痙攣へと変えた。その痙攣は高い電柱を伝って、光かがやきぶんぶん音を立てている球体へまで、線をよじ登った。


このようにして、三百もの電気の月が、目をくらますその白亜の光線でもって、愛の古来の青白い女王を消し去った。

(マリネッティ「月の光を殺そう」[訳]佐藤三夫 http://homepage3.nifty.com/UTOPIA/Archive/Utopia3/Marinetti3.html)



稲垣足穂(1900-1977)は十代のころ未来派芸術に出会い衝撃を受けます。やがて彼らの思想の底流にベルクソン哲学が流れているのを知り、ベルクソンの著作も読みあさります。
未来派のマニフェスト文を写し取って教科書の間に挟んでいたタルホ少年は数年後、作家となります。彼はイタリア未来派が葬り去った月の代わりに、ブリキで作ったお月様を黒いボール紙製の天に貼りつけてみせています。


ある夜倉庫のかげで聞いた話


「お月様が出ているね」
「あいつはブリキ製です」
「なに、ブリキ製だって?」
「ええどうせ旦那 ニッケルメッキですよ」(自分が聞いたのはこれだけ)


(稲垣足穂「一千一秒物語」)



マリネッティたち月光抹殺者と違って、足穂はあくまでも「月光密造者」なのでした。
足穂のファンシーなイメージ、「物そのものとして物を見る」態度、オブジェ嗜好にはイマジズムに通じるところがあるように思います。


あれをどうしようかと思う時に、「時間」の意識が生まれる。只おどろいたり、きれいだなと思って見ている時は、「時間」はそこに無い。
悪人というのは「時間のしもべ」である。彼はすべてにおいて計算によって動く。見込みが立たなければ彼は手を出そうとしない。


彼らはひたすらに「自分の時間」の延長を願っている。彼らは物をそのままとして見ることができない。あらゆる悪党はうすっぺらである。それは「夢」がないからだ。夢みることから彼らは締め出されているのである。


ろくでもないものだけが開発されて、「本来的なもの」は常にわれわれの手から逃れている。


われわれは技術的に物を見るのではなく、物そのものとして物を見る習慣を身につけねばならない。「視るということの本質的可能性を喚び起こすためには只根源的な哲学と偉大な詩の他にはない」(ハイデッカー)


(稲垣足穂「視る!」)


われわれがいったん意志を断滅したならば、人生はおぼろに淡い只の現象とのみ見えてくる筈だ」ショーペンハウエル随想録中の言葉である。それならば、われわれが意志を断って、静寂派の大立者Guyon夫人のように、「我の今ここにありやなしをすら知らず」の境地にまで到達したならば、風景は一場の幻灯画として映じ、身辺の物体は悉く一種のオブジェになってしまうのではなかろうか?キュビズム以来うけつがれてきた「物体愛好」の心理の奥には、確かに、この現代的涅槃への願求が隠れている。


何事にせよ、それが真のオブジェであるうちは世間からは顧みられない。手頃なおもちゃになって、初めて人々は手を出す。本当のオブジェには堪えられない。何故って幻灯機械のレンズの焦点が引伸ばされるにつれて、各物体は互いに限界を喪失して、怖ろしきカンディンスキー的融合に傾くにきまっているからである。

(稲垣足穂「オブジェ・モビール」)


「イメージは詩人の絵の具である」


現代詩に大きな影響を与えたヒュームですが、自身は作家というよりは哲学、理論のひとであり、夭折したこともあると思いますが、詩人としては上記のような短詩を数編書き残しているにすぎません。また、それらの作品に対する評価も高いとは言えません。
実際にイマジズムを主導し、そのイメージの詩学を発展させたのはエズラ・パウンドでした。


イメージは詩人の絵の具である――そのことを心によく留めてからカンディンスキーを応用するがいい。形と色彩の言語に関する彼の文章を、そのまま詩作にあてはめることができる。


……形と色彩の言語についてのカンディンスキーの文章を読んだとき、私には新しいことは殆どなにもなかった。他人も私が理解したことと同じことを理解して、それを明瞭に書いているな、と感じただけだった。ある芸術家が、すばらしい女性たちの肖像画を描いたり、象徴主義者たちが言うとおりに聖母を描いたりするのに劣らない喜びを、平面の配列や物体の模様に感じうるということは、きわめて当然のように思われる。


精神(マインド)と呼ぶに値する精神の持ち主なら、だれも既存の言語の範ちゅうを越えた欲求をきっと感ずる筈である。ちょうど画家が既存の色彩の名称よりずっと多くの絵の具や色合いを必要とするように。


あらゆる詩的言語は探究の言語である。低級な詩作が行われはじめて以来、詩人たちはイメージを装飾として用いてきた。イマジズムの要点は、イメージを「装飾」に使わないことである。イメージ自体が言葉なのだ。イメージは形成された言語を越えた言葉である。


(エズラ・パウンド「ヴォーティシズム」[訳]新倉俊一:青土社)



このようなパウンドの姿勢はベルクソンが「われわれがさまざまな芸術のうちに見いだすのは、事象に対するいっそう直接的な視覚であり、芸術家が人よりも多くのものを知覚するのはその知覚を利用しようと考えないからである」(「変化の知覚」『思想と動くもの』[訳]河野与一:岩波文庫)と述べていることに通じるように思います。


われわれが物に対するわれわれの知覚よりも高いところにのぼろうとしないで、知覚を掘り下げ拡げるためにそのなかに沈んでいくと考えてごらんなさい。われわれがその中にわれわれの意志を入れこみ、その意志が拡がるとともにわれわれの眺めも拡げていくと考えてごらんなさい。
そうすれば、われわれは感覚や意識の与えられた条件を少しも犠牲にしないような哲学を得ます。そこではどんな性質も、事象のどんな眺めも、ほかのすべてを説明するという口実をもってそれにとって代わるということがなくなります。」

(ベルクソン「変化の知覚」)



抽象化を嫌い、純粋な感覚のみを記述しようとするのはイマジズムに限らず十九世紀後半から二十世紀にかけての芸術の大きな特徴となります。
二十世紀芸術のさまざまな技法もこの純粋感覚に達するための試行錯誤から生まれています。


「フローベルが、美しい小説はとくにこれという主題のない小説、ちょうど支えるものもなく中天にかかっている地球のように、その文体の力だけで成立しているような作品だ、と言っていたのは、あきらかに抽象概念を避け、論理の骨組みをしりぞけて、イメージ群だけで構成するような表現を意味していたはずである。主題や題材を否定することは、言語表現では、体系的な論理構造を否定することにほかならない。いわば絵画における輪郭線の否定、文章における文法の否定、建造物における支柱の否定と同じようなもので、一種の自己矛盾である。」
「彼らは具象レベルに留まるために、論理や体系を拒絶して、事物が視覚器官に印象づけたイメージの粒子を直接的に書きとめることにした。画家が輪郭線を排除して点描法を工夫する。文学者は意識の流れや独白、モンタージュ、断想化などの技法を開発して、小説でも詩でもシンタックスの論理的構造化の志向を崩してしまう。」

(野中涼「歩く文化座る文化―比較文学論」:早稲田大学出版部)



パウンドがそのイメージの詩学を確立するにあたって大きな示唆を受けたのが漢字と日本の俳句です。


落花枝にかへると見れば胡蝶かな



という守武の句の英訳、



The fallen blossom flies back to its branch: A butterfly.



にインスパイアされたパウンドは日本の俳句を手本にして次のような短詩を書いています。


The apparition of these faces in the crowd: Petals on a wet,black bough.


人混みのなかのさまざまな顔のまぼろし
濡れた黒い枝の花びら



よけいな説明や観念を避けてイメージにまたイメージを重ねることで「瞬間のうちに知的・情緒的複合を表現する」ことが時間的、空間的制約から読者を自由にして、不意の解放感を与えてくれるのだ、とパウンドは言っています。
「偉大な文学とはまさに能うかぎり意味を充電させた言語である」(パウンド「いかに読むか」『詩学入門』[訳]沢崎順之介:冨士房百科文庫)というのは、ピカソなどの二十世紀絵画がそうであるように、さまざまな要素が極端に圧縮されることでより強固な美が構築されるという意味ではないかと思います。
ヒュームやパウンドから強い影響を受けたT.S.エリオット(1888-1965)の詩になると何の説明もなく断片的なイメージが投げ出され、突然に外面描写から内面描写へと視点の移動がおこなわれたりします。また時制や話法の直接・間接の別なども、わざとごちゃまぜにされます。


シュタルンベルガ・ゼー湖の向うから
夏が夕立をつれて急に襲って来た。
僕たちは廻廊で雨宿りをして
日が出てから公園に行ってコーヒーを
飲んで一時間ほど話した。
「あたしはロシア人ではありません
リトゥアニア出の立派なドイツ人です」
子供の時、いとこになる大公の家に
滞在(とま)っていた頃大公はあたしを橇(そり)に
のせて遊びに出かけたが怖かった。
マリーア、マリーア、しっかりつかまって
と彼は言った。そして滑っておりた。
あの山の中にいるとのんびりした気分になれます、
夜は大がい本を読み冬になると南へ行きます


「荒地」T.S.エリオット(西脇順三郎 訳)



このエリオットもまたベルクソン哲学によって自らの考えを深めていったようで、岩崎宗治(「講座 英米文学史12」:大修館書店)によると、エリオットの代表的論文である『伝統と個人の才能』における、「歴史的感覚」はベルクソンの「持続」、「個人の意識とヨーロッパ精神のアナロジー」は「創造的進化」、「非個性論」は「二我の説」というようにそれぞれベルクソンの影響下に書かれたものだと考えられるそうです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?