"自分"でいよう
ブラジルにいた時、何度かビキニを着る機会がありました。初めてのビキニ。今までできるだけ避けてきたもの。
「ビキニなぁ。太ってるから恥ずかしい」
「は????どこが太ってるの???」
「バカじゃないの???」
ブラジル人の友達複数から怒られました。
「えー、〇〇ちゃん太ってないよー。私こそ痩せなきゃー」
のトーンではなく、まじで呆れた顔して言われたんです。
「だって、日本では私でも”太ってる”分類に入るんだよ」
「それは何の基準なの???」
「いや、一般的に…?」
「他人の意見がなんなの??あなたの体なんだからあなたが決めることでしょ。てか、そもそもあなたは”太って”いない」
あ、そっか。そうだよな。って思いました。当たり前すぎることなんだけど、多くの日本人があまり考えられないこと。
”自分”はこの世界に一人しかいないし、”自分”は”自分”であることで成り立ち、”自分”であるほどその人はとても輝く。
ブラジルで道を歩いていてまずびっくりしたのが、いろんな体型、髪型髪色、服装の人がいること。ブラジルではメジャーのタトゥーの絵柄も人それぞれ。なんていうか、みんな、眩しいほど個性があるんです。
その個性が眩しいのは、みんなそれを”自分”の構成要素としてちゃんと認識し認めているから、と思います。誰かに言われそうしているわけでもなく、そうしなきゃいけないわけでもない。ただ、”そう”あることで、みんなそれぞれ成り立っている感じ。
私は、他の人と一緒になり、同一になることが苦手です。自分は自分でいたい。
それと同時に、自分のことが好きじゃありませんでした。自信がこれっぽちもなくて、自己肯定感マイナス100くらいでした。
・・・そう。「でした」
他人と一緒になることが苦手なのに、その”他人”の評価を無意識に自分の中で”自分の評価”と間違えて捉えてしまっていたんです。
そしてその”他人”の評価で”自分”を作ってしまっていたから、バグが起きたんです。だから、すごく不満だったんです。
そうさせてしまえるのが、今の日本なんじゃないかな。
容姿だけの話じゃない、習慣、仕事、生き方とかも。このバグが常にありすぎてもはやバグに気が付けない人がたくさんいる。
上手く気が付けなかったのを、ぶん殴って目を覚まさせてくれたのがブラジルです。
他人の意見が悪い、他人の判断は聞くなと言ってるんじゃないです。”自分”であることと、自分勝手であることは全く違う。”自分”の認識は自分にしかない。その認識をするために他人の意見や評価は使われるけど、それはあくまで参考。最終的には、「自分自身がどう思うか、考えるか」
私みたいに、不満を抱いていたり自信がない子、たくさんいると思います。でも、こんな風に「この”自分”は”自分”が考え選んだ”自分”なんだから何が悪い!」でいいんだと思います。まぁ、これを悪いことに応用しちゃいけないんですけどね。
帰国して、みんなから「すごく前向きになったね」「表情が豊か」とか言われるのも、”自分”らしくなったからなのかな。
これからはちゃんと”自分”でありたい。
そう考えた次第です。