散歩が好きだ
散歩という整理の時間が好きです。
なんとなく自分は生きづらさを抱えているな、と考えている僕は、それを無かったことにしたり論理的に抑え込んだり仕方ないと思い込んだりするために時間がかかる。
普通に仕事をするだけでも、普通に人と話すだけでも、普通に情報を収集するだけでも。普通に生きるだけでも。めんどくさいとか、生きづらいとか、しんどいとか。考えてしまう。
言い方は良くないかもしれないが、自分のどこが悪いか、ちゃんと気づけてしまう。
ちゃんと自分を責めることができてしまう。
身の回りに起こること全て自分のせいにできてしまう。
生きづらいに決まっている。
表面上ヘラヘラするのが得意なのも相まって。
辛くても、嫌なことがあっても。ニコニコして。
家に帰って、死にたくなる。
そんな繰り返しの毎日だ。
それをリセットするために、散歩をする。
酒を飲んで。
タバコを吸って。
大音量で音楽をかけて。
独り言をひたすら発して。
「うるせ〜知らね〜!」で締めて。
今、仕方なしに生きていくための「好きな言葉」は、「うるせ〜知らね〜!」だ。
世の中の理不尽も、僕自身のせいで抱える理不尽も、完全に僕が悪くない理不尽も、知らね〜!
僕が生きにくい世の中が悪いな?と思い込んで生きていく。
頑張れないのば何故だろう。
バランスが悪いのだ。
世の中の人の多くが、週5日8時間働いている。濃度はともかく。
今、週4で7時間半働いて、週1で6〜8時間という決まっていない時間で働いて、月2回2時間ほど働いている。
ある程度得意で、後悔しようもない仕事だから続けられている。
その上で、散歩という時間が確保できているから生きられているのだと思う。
ラジオや音楽に肯定されながら、生きている。
こうやって生きている人もいるのだ、と思う。
成功している人の言葉は、僕の中ではとても軽い。
もっと言えば、成功したことだけで生きながらえている人の言葉は軽い。
成功しても、もっともっと、と悩んでいる人が好きだ。
話が逸れまくっている。
散歩は自己肯定の時間になる。
もしくは自己確認の時間になる。
1時間近く、歩いて、酒を飲んで、タバコを吸って。
これが好きだという再確認と、これでいいのだという安心感を得るための時間だ。
何も目的無くずっと同じ場所に座って、同じことをしていても、何かが違う。
目的地に向かって歩いているという、作業をしているという安心感を得ながらでないと、「効いて」こない。
誰よりも体力がなくて、誰よりも面倒くさがりのくせに。
ただぼーっとするのが不安になる。
これでいい、ということを確かめたくて、散歩中に作詞をすることがある。
散歩中は、ポジティブな歌詞を作る事ができる。
作詞をするときのメンタリティは、如実に歌詞に現れる。
次に公開する予定の曲は、散歩中に作った曲だ。
ネガティブな表現は多いが、自分の中ではオチのポジティブに向かって徐々に「上げて」いく構成だ。
ネガティブな表現が多い分、散歩中でもないと終着点がネガティブなままになってしまう。
まあ要するに散歩が与えるポジティブな影響を語りたいだけではあったが。
ここ最近で1番支離滅裂だった気もするが。
自分の足で歩いている感覚を得たいのかもしれない。
普段生きている上で、ほとんど得られないものだから。
再生回数はどうでもいい。
次の曲は自己満足度が高い。
最近ばなに作詞を任せてばかりだ。
また、散歩しながら作詞をしていきたい。