夢なんてさ、日常に転がってると思うんだ
梅雨時期、むしむしした教室の中で折り紙で一生懸命に飾りを作る子供たち。一人ひとりにカラフルな色鉛筆が配られ、子供たちは好奇心を目に浮かばせながらそれを手にする。
私も例外なくその一人だった。
その後教室に響く先生の声。
「短冊にみんなの将来の夢を書いてね。」
そう、目の前には七夕が迫っていた。
子供の時に描く夢はどんなものだろう。
「サッカー選手」「お花屋さん」「看護師さん」
まあ、だいたいそのあたり。
最近はYouTuberなんかが上位らしいが。現実はそう甘くはないけれど、たいへん夢のある職業である。
当たり前のようにみんな同じようなことを書いている。
かく言う私はというと、昔からおませなクソガキだったため特にこれと言った将来就きたい職業なんてものはなかった。
しかし、求められている以上書かなくてはならない。
そういう時にいつも書いていたモノがある。
「好きな人のお嫁さんになりたい。」
幼稚園生まではこれで許されていたのに、小学生になってからはこの答えは邪道なものになってしまった。
どうして夢が仕事をすることでなくてはいけないのだろう。
いいじゃないか、何だって。
だって夢であることに変わりはないのだから。
◇
大人になった今も描く夢は変わっていない。
好きな人のお嫁さんだ。
その他にも夢がいくつかある。
何処へ行きたいやら、何が食べたいやら。
日常の中の非日常的に輝く部分が私の夢なのかもしれない。
その夢の一つに"甘海老をお腹いっぱい食べる。"というものがあった。
甘海老はすごく美味しくて魅力的な食べ物なのに、何処に行ってもお腹いっぱい食べる事ができない。
できる場所は探せばあるのだろうが、私にはそれに見合ったお金がない。
お寿司だって一貫にたった二匹しか乗っていないのだ。あまりにも少なすぎる!私はもっと口の中いっぱいに甘海老を頬張りたいのだ。
以前、テレビの特集で甘海老の食べ放題をやっているお店を紹介していたが、行く計画を立てている途中にそのお店が無くなってしまった。
心が砕かれたような気持ちだった。
どうしてあんなに美味しい食べ物なのに世の中に魅力が伝わっていないのだろう。
切なくてそんなことばかり思い巡らせていた。
◇
それから数年経ったある日のこと。
頼んでもいないクール便が我が家に届いた。
"なんだろう?“と首を傾げすぐに開封した。
恋人から私へのとっておきの贈り物が届いたのだ!
一緒に住んでいるにも関わらず、たまにこういった粋なことをしてくれる。本当に最高のパートナーだ。
翌日、恋人と夢の甘海老パーティーをした。
身は全て刺身にした。綺麗に並んだその姿を見た時は、まるで宝石を見ているかのようで、思わず手を叩いて喜んでしまった。
出た殻は出汁を取り味噌汁にした。卵もたっぷり入れて。
海老の血液は成分のせいで青色をしている、というのは昔読んだ図鑑から知識として得ていたが、卵まで青いとは思っていなかった。また一つ知識が増えて優秀になってしまった。
肝心のお味は、、、
まあ、これは皆様のよく知っている甘海老の味だ。
ただ、これを複数個ポンポンっと口の中に入れ一気に噛んだ時のプリプリ感とトロトロ感。絶妙な甘味といったら、言葉に出来ないくらい感動的なものだった。
あぁ、また一つ夢が叶ってしまった。
夢なんて、きっと大層な物じゃなくて良いと思う。
あの服を着てみたいとか、お腹いっぱい好きなものを食べたいとか。
日常の中に、想像できる範囲にいくらでも転がっていると思うんだ。それを夢と呼ぶか呼ばないかの違いだけで。
夢と呼ぶことできっと生活が豊かになっていると、私は思う。
さて、また一つ夢を叶えてしまったのでまた新しい夢を探すとしよう。
今度はハリボーグミの食べ比べがしてみたいなぁ
◇
追伸
甘海老と一緒にメッセージカードが入っていた。
私は恋人にお母さんだと思われてるようだ。
毎日クスッとさせてくれてありがとう。