魂と宗教のワルツ
変なタイトルをつけてしまったが、母が亡くなったことで私の価値観を大きく揺さぶったのは、魂のことだった。
私は魂の存在を信じているし、いわゆる天国というか、死者のいる場所があって、なんなら母は既に他界した家族や親戚たちと出会えているんじゃないかな、と思う。でも、そうやって魂の安寧を願うと、とたんに宗教じみてくるのが不思議だ。
葬儀の手続きにはいろいろなルールがあって、遺族が行わなければならないことがある。それから、信仰のない私にはよくわからないこともたくさんある。例えば・・・お経の長さとか。
告別式では、親近者のお経の時間、母方の親族のお経の時間、その他の親族のお経の時間などが決められていて、来てくれた親族たちに母と十分なお別れの時間を持ってもらいたいと思い、お経の時間をできるだけ短くしてもらった。その一方で、弔いには十分かどうかも気になるわけで。
人が最後の息を引き取ったら、魂は果たしてどこに行くのでしょうか。
宗教はある意味とても合理的で、それぞれに発展した理由が、今は本当によくわかる。
人は、愛する人を弔う方法を見出したいのだ。愛する人が、たどり着いたその場で安らかに過ごせることを保証するような何かが欲しいのだ。魂の安寧を約束してくれる何か。それを分かりやすくしたものが、きっと宗教なのかもしれないなと思う。
私には信仰する宗教がない。だけど、魂の存在を信じている。そして祈りは届くとも思う。
今日も母の魂が、この宇宙のどこかで安らかであることを願う。