消えないように、消さないように〜8回目の月命日〜
空(くう)が死んだ。
空というのは実家で飼っていた犬のことで、死んだというのは8ヶ月前の11月22日、比喩でも何でもなく“死んだ”のだ。
こげ茶色の毛、真っ黒な目、走るとパタパタ跳ねる耳、大きく太い声、長い胴体、短い足、お腹を出して大の字で寝る姿、土の匂いがする肉球、チャッチャッとなる爪の音、お酒を飲んだときの真っ赤な顔、賑やかが好き、走り回るのも好き、お散歩も好き、赤ウインナーは嫌い、卵焼きの端っこも嫌い、マックのポテトが好き、竹輪ときゅうりも好き、チーズも好き、少し間抜けで意気地無し、優しい
いずれ死ぬのは分かっていた。その“いずれ”が来ただけの事で、特に公言する程のことでは無かった。
去年の11月22日はちょうど三連休ど真ん中で、私も弟も父も、家族みんな仕事が休みだったから「実家の犬が死んだので休みます」なんて連絡をしなくても良かった。誰にも知らせず、家族だけ。葬儀場で小さなお葬式を上げて、終わった。
いずれのままだと思っていた。それが“今”になっても、未だに全てを受け入れることは難しい。どこか遠い国の、会ったことも無い誰かの身に起きた少し悲しい日常で、これは決して私たち家族の話しでは無い。
そう言い聞かせてみたけど、目の前には丸くなった茶色い塊がいて、徐々に冷たく固くなっていた。成長して大きくなったな、なんて思っていたけどこんな小さい籠の中にすっぽり収まるんだ、なんてほんの少し寂しくなった。
「生前着ていた服やドッグフード等は一緒に燃やせませんのでお持ち帰り下さい」
葬儀場の人に言われて、今まで使っていたリードや服、大好きだったマックのポテトは頂いた骨壷と一緒に家に持ち帰った。
空(くう)の匂いがいっぱいになった布団やクッション。お日様と土と獣の匂い。暖かい匂い。つい数時間前までここにいたことを証明する匂い。
肺いっぱいに吸い込んでもまだまだ溢れてくるから、余すこと無く全部吸い込んでしまおうと思った。今の私が空を感じられるのは、この匂いと頭の中にある記憶だけ。ここから先、新しい空を見る事は叶わない。
もっとこんな事してあげれば良かった。あんな事しなければ良かった。なんて、月並みな事を思いながら9ヶ月が経った。
実家に帰ると、チャッチャッと爪の音を鳴らしながら歩き回る音がする。8ヶ月じゃ消えてはくれない。匂いも、声も、ふと気を抜くとそこにいる気がする。
消えなくていい。消えて欲しくない。彼がいた。確かにそこで生きていて、同じ時間を共にしていた。それは、この先決して忘れてはいけないもので、“他の何か”には替えられない唯一の存在なのだ。
空にとってこの17年間はどんなものだったのだろう。幸せだっただろうか。犬は過去も未来もないとどこかで読んだことがある。あるのは「今」だけ。一緒にお昼寝をした事も、散歩をした日も、彼は忘れてしまったのかもしれない。それでも、最後に目を閉じたその瞬間が幸せであって欲しい。
空の全てを飽きるくらい頭の中で反芻した。まだ涙は溢れてくるし、悲壮感が全身を覆うこともある。それでも私は生きているし、生きなければならない。
一眼レフで撮った写真の整理をしていたら、たくさんの彼の写真が出てきた。穏やかな顔で寝る姿も、全速力で走る姿も、笑顔も、忘れかけていた事を少しずつ思い出す時間は温く穏やかだった。「悲しい」の中で見つけた優しい時間に、今はとても救われている。いなくなっても支えてくれている小さな彼の存在の大きさが、心地よい空気を纏って私を包んでくれている。
少しずつ、ゆっくり、昇華していこう。果てる時まで、消えないように。
ごめんね。ありがとう。お疲れ様。大好きだよ。
またね。