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正解よりも、ときめきを。


「看護師免許取得発、正規雇用による総合病院勤務行き、終点は年収500万超えの安定した管理職になります」
なんてアナウンスが流れる電車が走っていればいいのに。



小学生の時は、スタートラインに立てばゴールがどこかひと目でわかるリレーしか無かった。隣には自分と同じ先を目指す選手達。ゴールテープの元で「ここまで来てね」と手を振る先生。真っ直ぐ、一直線。なんの迷いも不安もなく、力一杯走って行けた。
私は今も変わらず私のままなのに、歳を重ねるとゴールテープもレーンも、頼るものは何一つない孤独なリレー。
長く細く引かれた白いスタートライン。手を振ってくれる先生も、他の選手もいない。声援すらない。全速力で走れていたあのリレーはどこに行ってしまったのか。



数時間先のことすら分からないこの世界で、何に怯えてるのだろう。「人が1番恐怖心を抱くのは“分からない”事に対して」だということをどこかで聞いたことがある。それが本当ならこれから先も、未来に対しての漠然とした恐怖と共に生きていかなければならない。



勤務日数も月給も、目の前の与えられた条件には不安要素などひとつも無い。それでも、ふとした瞬間に恐怖を感じるのは、20代の私が未婚でひとり暮らしで、「派遣社員」だという事。子育てで時間が制限されている訳でも、配偶者の扶養に入っている訳でもない。何故?と聞かれた時理解して貰える解答が浮かばず、自分自身を笑って誤魔化すことしか出来なかった。

「今のままで本当にいいと思ってるの?」『変えなきゃとは思ってるよ』「じゃあその為に何かしてる?」『何か…したいとは思うけど…』「思うだけじゃ変わらないよ」頭の中でたくさんの小さな私が討論会をしている。毎日、毎日。責めるのも私。応えられないのも私。分かってはいるけれど、どの道に進めば正解なのかが分からない。

お風呂の中、布団の中、通勤中、食事中と、絶えず開かれている討論会で出てきた少しの疑問は

「正解ってなに?」

私が今求めているのは「正解」なのか。正解を得られた先には何があるのか。そもそも正解とは…?

正しい答えがなんだ。間違いがなんだ。私の人生を私が歩いている。それこそが正しい事で、選んだ選択肢に間違いなど無い。



あんなに乗りたかった電車は、よく見ると小さな文字で「急行」と書いてあった。途中下車は許されず、絶え間なく真っ直ぐにしか進まない。時間を惜しまず何度も小さな駅で止まって、その度美しい景色に心が温かくなる感覚を楽しみたい私には魅力を感じられなかった。

スタートとゴールが明確なリレー。安心感と引き換えに失うものは、「ゆとり」と「個性」だった。目標とそれに向かう為の努力を最初から用意されているリレーに“我”を持ち込む隙間なんてなかった。ゴールテープの位置も、走りたい方向も、自分で決めたい。転んで泣く時間だって私には必要だ。


欲しかったものが「正解」ではなく「ときめき」だと分かった時、得体の知れない不安がサラサラと消えていった。

おぼつかない足元で、立っているのがやっとなのに、今の私はこんなにもわくわくしている。安定していたあの頃は1度も味わったことの無い心が揺れる感覚。多分今の私がいるところは「不正解」なのだろう。それでもいいと思えた。心が踊っている。見えない未来に向かって、小さなときめきを感じながら。

正解か間違いか、そんなものより、ときめきを。

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