選者のレベルに合わせる必要はない
腕試しと思って投稿したり、○○短歌大会のようなものに応募してみたり、何かの物差しで力量をはかって見たいと思うのは誰しもが考えることでしょう。
かくいう私もお試し程度にちょっとだけ投稿したりしてみましたが、当然何処にも何にも引っかからずにいずれも音信不通。何かコツというか、気を付ければ良いことはありますかとミルクさんに尋ねてもみましたが、当のミルクさんご自身は殆ど投稿したことがないとのことで、「敢えて最大公約数的な歌に仕上げるくらいしかないですね。」とのお返事。
最初はつれない返事だと思っていたのですが、よくよく伺ってみると選ぶ人が誰だかわからないのに、そんな特定の個人にウケるかウケないかなんてわかるはずもない、投稿なんてまるでくじ引きのようなものだとおっしゃるのです。
良いとか悪いとかいう以前に、選者はすべての短歌を丁寧に見ているわけではないと教えて頂きました。一つの歌に10分でも時間を掛けているのなら正確な読み解きがされるかもしれないけれど、大方の場合は数秒から数十秒で判断されてしまうので、もはや選者の好きな傾向とかその時の気分とか嗜好とか、そんな要素の方が大いに影響を及ぼすということでした。
尋ねておいて知らずに恥ずかしかったのですが、中には1次や2次の選考はそもそも選者が行っていなくて、企画の担当者とか編集者が選考しているというものもたくさんあるそうです。投稿の数や選考の時間的な制約などもあるでしょうが、選考過程や落選の理由をすべてに明らかにする必要はないわけで、過程がブラックボックスならではの曖昧な馴れ合いを孕んでいるのは当たり前のようです。
選考基準が極めて曖昧だということと、読みに掛けられた時間が短すぎる、選者のレベルもはっきりした段位や階級ではなく、よくわからないということでミルクさんは殆ど投稿などしたことはないとおっしゃっていました。
確かに1首をじっくり味わってほしいミルクさんと、通り過ぎる数千首を相手にする選者では、考え方の何もかもが違いすぎて噛み合わないはずです。目指している方向性も180度違うわけですから、何語を話すかわからない相手にいきなり話しかけても無駄だということなのでしょう。
そもそもミルクさんは他人の評価自体も欲してはいません。
SNSにも投稿なさらないし、ブログにはいいねボタンすらありません。
純粋に自分の求める短歌像を追い、自分が納得する歌のためにその道のようなものを模索されているに過ぎません。
良いと思った歌の「良い」も大切だけど、悪いと思った歌の「悪い」の方がもっと大切だと言われて、すべての歌に1首評のようなものがあるだけでも随分学びかたが変わってくるとおっしゃっていました。
ただでさえ、Goodボタンしか用意されていない世界です。Badもなければコメントもアドバイスもない。自分で考えて自分で答えを見つけて、選者(他人)に委ねろというのです。結構乱暴な世界だと思いますけど、どうなのでしょうか?
ミルク教の信者としては、素性のわからない誰かにわざわざ合わせて歌を作るというのもしゃくに障ります。きっとミルクさんは「わからない奴は放っておきなさい」とおっしゃるに違いありません。歌の本道は善し悪しよりも残るか残らないかだと学べたことは本当に宝物です。
いつか言葉が自分を選んでくれたとき、ご褒美のように美しい歌が詠めるのだと信じて向き合い続けたいと思っています。
ミルクさん 短歌のリズムで https://rhythm57577.blog.shinobi.jp/